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1 ヴァッシュ・コフィンラッド
重厚な樫木の一枚カウンターは、丁寧に塗られたニスがさらに堅牢な印象を与えている。5歳児の頭ほどの高い椅子が5脚ならびその左端の席には短髪で不精髭の男が腰掛けている。くたびれた革の胸当てと左手には金属製の手甲を装備している。
ヴァッシュは木材をくりぬいた杯を握りしめ、カウンターの内側で食器を拭いている店主の背中を静かに見つめている。
酒場の天井は低く、挙手すると手のひらが天井についてしまう。三本の太い梁が店の入口から店内奥のカウンターへと並行しており、その間は白い漆喰で塗り固められている。カウンターの右手には二階へと続く階段がある。壁面は長方形に切り出した乳白色の石材を交互に積み重ねたシンプルなものだ。
無口な店主ガルフとヴァッシュのやり取りは互いに先読みの連鎖で、発する言葉は二手三手先の展開を予期した駆け引きの含みがあり、第三者には理解できないものとなっている。ヴァッシュは46歳の手練れた冒険者ではあるものの、近ごろは楽な仕事を選んで常にラフなスタイルで仕事をこなす。主に戦闘を中心としない仕事のほとんどは情報収集や調査となる。
「依頼は?」
質問を聴いていたのか、店主は右手に持った布巾を調理台の上に放ると、カウンター正面の酒樽の脇にある筒を取り振り返る。筒をカウンターに軽く転がすと「何かある。」とだけ言葉を発した。ヴァッシュは筒を手に取り中から繊維質の巻かれた紙を両手でひろげた。
今回酒場の店主から斡旋された仕事は、役所から依頼されたものだった。地下水路の調査と害獣避けに特殊な香木を遺構内部で焚き、煙を充満させること。とても簡単な作業で、夕方前には酒場のカウンターで麦酒のグラスを握る自分の姿を容易に想像できた。…が、少し気になる事があった。地下水路に関する依頼は古今聴いたことがなかった。
広大な地下水路と遺構は王国が建国される以前からこの土地に存在している。早い話が遺跡である。この遺跡のなかで水路としての役割を担ってくれる重要な場所だけは歩道を設けて管理し、残った広大な遺跡には蓋をして関わりたくないというのが、王家の御意向のようだ。
地下水路は役所が管理しており、その入口を鉄の門で封じ、常に憲兵を立たせている。一般庶民が出入りする事は禁じられている。従って地下水路に出入りする此の手の依頼は今まで見たことがなかった。
半地下のほの暗い酒場を出ると眩しく輝く町並みに眼を細める。…石、石、石。足元から建物まで全てが石材でできている。大きな水桶を馬車に乗せて牽かせる者、子供の手をひく母、槍を片手に巡回する憲兵、女の肩に手を掛けて歩く若者、背負ったカゴから果物を売る農家、露天の日除けをひろげる商人、行商の野菜を値切る女、いつものせわしない市街地の風景。ヴァッシュは役所に向かった。
水道橋沿いに歩くと露天市場が見えてきた。野菜、果物、穀物、調理器具、服屋、革細工、銀細工、さまざまなものがここで入手できる。露店とは言っても職人の妻が店を切り盛りしているケースが多いため、扱う品へのプライドが値引きをなかなか許さない。
露店市場を離れると確りと一軒の店を構えた等級の高い商店街に入る。水の都と呼ばれる此処ならではの店もある。湯浴み屋と呼ばれ、石でできた閉鎖的な風呂を提供し、空を仰ぎながら入浴できる。
このプールは絶えず熱水を注ぐ構造になっている。薪を燃やして鉄の管を熱し、その中を水道橋からの水が通っている。料金が若干高いため庶民はあまり利用しない。一般庶民は桶の水に焼けた石を放り込み、お湯で泳がせた布巾を固く絞り身体を拭き、残った湯で頭を洗う。残った桶の水は中庭にまくか下水道に流す。従ってこの湯浴み屋を利用する客のほとんどはそこそこ裕福で旅をしている商人くらいのものだ。本当に裕福な者たちは、住まいに風呂がある。
商店街を抜けると役所にたどり着いた。城下中央に位置する。市街地の不定形な敷石とは異なり、綺麗な正方形に加工されたタイルが敷き詰められている。国民の血税が市街地の象徴的な此の場所に注がれたと見るべきなのか。
無駄に贅沢が過ぎる建造物の入口には憲兵が二人いる。入口を通るが憲兵の視線は微動だにせず静止している。人形のように生気が感じられない。憲兵団の中でも屈指の精鋭だけが衛兵に選ばれる。
酒場で請け負った仕事、つまり役所の依頼を受けたことを役所に出向いて正式に登録し、仕事に必要な道具を支給してもらう、その目的で役所に入るわけだ。役所の床はドワーフが仕上げたのか、鏡面仕上げのタイルが内部を映す。天井は二階建ての屋上ほどはある。ドーム状になり、光が射し込む構造になっている。
いつも通り、若い女の案内係がこちらに歩いてくる。
「こんにちは、どのような御用件でしょうか?」
透き通るような声がホールに響く。普段、女と話す事がなく、どのように答えて良いか分からなくなった。
「えーっと、依頼を受けた。」
例の筒を案内係に手渡す。
「拝見致します。」
彼女は筒から依頼書を取り出し眼を通す。
「お客様、しばらくお待ち願います。こちらへどうぞ。」
ゆったり座れる長椅子が三列ほどあり、後ろの列では中年の女が二人せわしなく喋り続けている。一番前列に座った。ホールに響く女どもの雑音も聴こえなくなるほど、浮かび上がってくる疑問に集中していた。
『なぜ、待たされる?』いつもは役所のカウンターに案内され、依頼書を渡し、その場で印鑑を押して仕事に向かう。今回はいつもの手順と違う役所、酒場でのガルフの一言、聴いた事のない地下水路の依頼、思いを巡らせていると案内係の女が呼びにきた。
「役所二階までご案内致します。」
役所の二階に上がるのは初めてだった。この階段を利用している者すら見たことがなかった。
案内についていくと廊下の突き当たりの扉を案内係がノックした。
「ヘフナー様、お客様です。」
落ち着いた中音の声で返事が響く。
「入れ。」
重い樫材の扉は音もなく静かに開く。部屋の奧には執務用の机があり、こちら向きに座っていた執政官とおぼしき男が席を立った。左胸に右手を当て軽く会釈をした。
「私は執政官を務めるセイン・ヘフナー、あなたの依頼主です。」
白シャツ、タイ、黒に近いスーツ、腕章、肌は白く髪は黒く長く後ろで軽く結ってある。無表情ではなく、微笑んでいるようにも見える。
「ヴァッシュだ。」
肩書きがヴァッシュにはない。少し無骨な響きがあったかもしれない。彼は案内係に目配せしながら、ヴァッシュのいる応接用のテーブル前に来るとソファーに手を向けて口を開いた。
「ヴァッシュ殿、私は議会から執政官として地下水路の保全を任務として与えられています。今回ヴァッシュ殿に依頼している内容とは別に依頼したい事があり、こちらまで来て頂いた次第です。」
案内係が静かに退室し、ヴァッシュはソファーに深く腰掛けた。議会の下には役所、憲兵団、執政官の三つの組織が独立して付属する。今回は役所の依頼のはずだが。
「報酬は?」
質問に対して、少し嬉しそうな表情を見せる。
「もちろん、御用意しております。」
あらかじめ準備していた返事だとすぐに察した。
「…二日前憲兵が地下水路で失踪しました。」
衛兵を務める者の鉄則がある。無論、憲兵は一人では行動しない。殺されたのであれば、必ず争った跡などその痕跡が残る。赤子の誘拐とは訳が違う。ヴァッシュは素早く予測に集中した。手練れの憲兵が数人地下水路に何かしらの事態の収拾を図る為に出向き、その結果、一人が消えた。
複数人で動くなか、大の男を静かにさらう事がどれほど難しいことか。更に憲兵を静かに拉致するとなれば魔物の類いではない。更に、冒険者一人をその場所に送ろうとしているこの執政官は間違いなく何かを企んでいる。この依頼は危ない。
「今回は降りるよ。俺は弱いんだ。」
セインは表情を変えない。
「ヴァッシュ殿、あなたの兄上殿は近衛兵団の団長を務めていらっしゃる。」
行きつけの酒場まで尾行してわざわざヴァッシュに依頼書が渡るよう仕向け、役所に足を運ばせるこざかしさ、更に逃げ道を断つ周到さ、この手の厄介な仕掛けを用意する執政官は何でもやってくる。憲兵が一人失踪した、この事実を知った者に面倒が増えるだけだとヴァッシュは踏んだ。
「報酬は桁を二つ増やせるか?」
明らかに嬉しそうな目尻を無表情に装いながら両手を広げてセインは応える。
「良いでしょう。」
釣られた以上、セインの仕掛けに敢えて乗ってやるのも仕方なし、報酬を要求する姿勢があれば執政官がこちらに悪さをしてくる事はないと踏んだ。せっかく住み慣れた街で居場所の酒場を潰されたら面白くない。加えて御丁寧に家族まで知っている。
「準備があるんで、二日後にまた来るよ。」
さりげなくやる気をほのめかしてヴァッシュは執政官の顔を見ずに扉のノブに手を掛ける。
「後日、地下水路の地図を御用意します。」
部屋を出ると振り返らずに右手を軽くあげて別れを告げた。
『さて、装備から…か。』
役所を出ると城下の南門に向かって歩いた。路地裏に入ってしばらく進むと『スプマックの鑑定・質屋』と彫られた看板がある。両開きの重厚な木製の扉にフクロウを象った金属製の叩き金、白い壁、橙色の瓦、窓は無い。フクロウが鷲掴みにする門環に指を掛け二度打つ。
「ん?開いとるぞ。」
中からしゃがれた声で返事が届いた。両手で扉の取っ手を開くと、珍しそうにこちらを見ている爺様が近付いてきた。
「たまには顔出せと言ったろ。ペフィは生きとるのか?」
一年ぶりに見た爺様の顔は相変わらずの気丈さが滲み出ていた。死ぬ気は無さそうだ。
「スプ爺、あれを取りに来た。」
用件を聴いた途端、忙しなく車輪の付いた脚立を引っ張り、天井まで続く壁一面の棚に押し当てた。爺様はその脚立を登り棚に収納された布で巻かれたものを両腕で抱えながら降りてきた。年齢と見た目ではこの老人の機敏さは想像できないだろう。
「預かり料、銀貨50枚は頂くぞ。」
がめつい訳でもなく額は安いが、この請求をする瞬間が生き甲斐なのだろう。ヴァッシュは返事をせずに重そうな革袋をそのままカウンターに置いた。重い響きの革袋、銀貨であれば三倍の額は余裕で入っている。
「じいさんはまだ生きてるよ。」
祖父ペフメック・コフィンラッドの友人は多い。かつて世界中を旅した冒険者の一団にこのぺフィーの弟も在籍していた。もうメンバーは全員90代になった。
「たまには顔を出せ。」
振り返らずに右手を軽くあげて質屋を出た。
夕方になった。白い布に巻かれた長物を脇に抱えていつもの酒場に入る。酒樽から木製の杯に麦酒を注ぐ店主の後ろ姿が眼に映った。それをカウンターの左端に静かに置いた。
「で、何かあったか?」
取り敢えず長物をカウンターに寝かせ、いつもの席に座る。隣の席に黒猫が跳び乗り、尾をくねらせながら腹を見せるとあくびをした。一口麦酒を啜る。一息ついて答える。
「あった。」
店主は長物をまじまじと見つめ、付け加えた。
「厄介事、高いか?」
白い布を巻き取り、武骨な隕鉄製の片手剣の刃先を確認する。刀身は月面の様にボコボコのクレーターで覆われている。
「ふた桁増えた。」
ニヤニヤしながらガルフも麦酒を口に含んだ。今回の件、内容はガルフには何も伝えなかった。執政官は多数は存在しない。特定の事情や状況に応じて派遣される。まさか役所の二階に居城があるとは予想していなかった。しかも名目上は役所の依頼となっている。こちらの心配とは裏腹にガルフの口元だけは笑みを湛えている。何かを知っているかのように口を開いた。
「ノスネア事変の前に起こった事、知っているか?」
ヴァッシュにとって、生涯忘れる事の無い衝撃的な事件、『ノスネア事変』、ガルフの声が少しずつ遠退いていく……。
王国歴503年、イース・ノスネア=ルクセント大公が治めるノスネア公国は、新たな宰相を執事という形で迎えた。大公の妻の甥にあたり、若くして優秀美麗、忠実で物静かな青年シャスカ(当時26歳)は、大公の執事として抜擢される。親族として、また執事としても信用を勝ち取り、ムーザ山脈の公国領金鉱床の管理を任される運びとなった。
王国歴506年、シャスカは狙われる。異形の脊柱の狂者に捕縛され『赤子』に選ばれた事が発端となる。『赤子』に選ばれた者はもはや生命そのものが別の生命体になっており、自我の喪失は当然の事、シャスカ自身も存在し得ない。
シャスカは、ムーザ山脈に開拓された公国の金鉱床が、シスト辺境自治区の武力により制圧された事を捏造し、シストの金鉱床奪還と賠償による更なる金鉱床の拡大をノスネア大公に勧める。更に息子ジークをシストの武力衝突の調停に駆り出すが、そこで調停どころか武力衝突が更に拡大する。ジークは公国軍を指揮し、シストとの交戦を継続する事となる。シャスカは、ジーク不在の隙にその4歳の娘キュレルを誘拐する。更にノスネア大公の心労に付け入り、教会の司祭長に相談と称して精神支配をかけ、大公に神への祈りと懺悔を持ちかける。その折、ノスネア公国軍の指揮権がシャスカに委譲されるよう仕組み、大公を教会に幽閉した。
ラッフェルコッフ王国が公女キュレルを誘拐し、大公が心労で倒れたと吹聴した。洗脳された公国軍を戦乱に駆り出す事を目論んでいた。公国において反対意見の貴族諸侯のうち、ラヴィン・バフポートがシャスカの暴挙を砕く為に立ち上がるものの私兵は全て虐殺に終わり、ラヴィンは捕縛される。しかし、ラッフェルコッフに使者を送り、内情を訴えた。
ラッフェルコッフ国王は内乱を案じてパルマー兵団長に鎮圧任務を命じた。ミュカ大森林から公国に通じる街道に簡易砦を建設し、公国軍の侵入を阻止・鎮圧するものの、たびたび武力衝突になる。
シャスカの分身体がたびたび公国軍の中に姿を現し、戦闘になるものの傷を与える事すらかなわず、また異様な術を展開し、対抗策が取れず王国軍にも死傷者が出た。
近衛兵団団長パルマーは遺書を残して最前線に立つ覚悟を決める。パルマー自ら指揮を取り、前線に突入した時、シャスカ本人と対峙する。兵たちは無惨にも散り、パルマーも自らの長剣を折られ傷つけることさえ叶わず、戦況は不利に運ぶが、偶然にも父親が与えた剣、即ち『隕鉄の剣』が、唯一、シャスカを切り裂く事ができた。
シャスカは瘴気を放ち身体中から赤黒い顔が現れる。また、辺り一面が異空間へと変貌し、空は漆黒に覆われ、地面すら無数の苦悶に満ちた顔で溢れていた。もはやシャスカではなく異形との闘いに突入する。
パルマーは異形の一方的な攻撃を盾で躱し、受け続けた。しかし、深手を負い身動きが取れなくなる。命を預けた盾すらも破壊され、異形はパルマーをいたぶり、徹底した冷酷無脾な拷問を仕掛けてくる。足を潰され、左腕は粉砕される。「お前には飽きた」と声を発し異形はパルマーの胸に「孔を空ける」と宣言した。そして、…無慈悲にも触手による突きを見舞った。
瞬時にして貫通した触手が、背中で蠢いている感覚と、止まったような時間、遅れてやって来た激痛は思考を蝕み、視界が暗くなる。
…が、絶命する瞬間、渾身を込めて投げた一刀が異形の胸に突き刺さった。
…同時に異空間は黒い霧となり霧散し、異形の断末魔の金切り声が一帯に響いた。聴いた者はパルマーを除き血を吐き、発狂し、絶叫した。異形は朽ちて枯れ木の様な干物になり、隕鉄の剣がその干物に突き刺さっていた。
……パルマーは穏やかな顔で動かなくなった。
のちに干物は突き刺さった剣ごと国王に渡る。国王は隕鉄の剣を引き抜き、この異形の存在の口外を禁じた。
この壮絶な闘いは、兵団から町中へと伝わり「穿つ者への賛歌」として吟遊詩人の詩となった。異形の口外を禁じる国王とは裏腹にその時の見聞を記す者もいる。
のちにパルマーの遺書から、「隕鉄の剣を次男に捧ぐ」の文言通りにヴァッシュへと継承された。この一連の騒動を『ノスネア事変』として、また『特殊案件十四号』として暗に恐れられる。
「……おい、ヴァッシュ、どうした?」
過去の事を引きずっている者には、長い回想だった。
「…ん?…事変前、何かあったか?」
寝起きのような返事だった。少し呆れ、物足りなさを感じたのか、ガルフはため息をついて呟き、食器を拭き始めた。
「誘拐事件があったろ?」
……『キュレル』の名前がヴァッシュの脳裏に浮かんだ。
祖父ペフメックは今年95歳になる。幼少の頃から落ち着きの無い人物であったかは定かではない。王国の城外の農村に産まれ、14歳まで城内の露店で野菜を売って家計を支えていたらしい。当時、文字の読み書きが普及していなかった時代に、共通語とホビット語を商売の傍らずっと独学で覚え、15歳になるや直ぐに街を飛び出した。
ペフメックは冒険者になって世界中を旅するとだけ30代の両親に伝えたのち、王国北の大森林に向かった。大森林ではエルフ、ホビット、ノーム、様々な亜人種と出逢い、ずっと日記と見聞録を欠かさず書き連ねていた。彼の眼は常に輝き、ホビットたちと常に行動を共にしていた。
明るく忙しなく突拍子もないお喋りホビットの中で彼らの過去に縛られない生き方と前しか見えない純粋さと子供っぽさはペフィーの年齢を止めてしまった。成人しても変わらない素のままの自分。
大森林の地下へと続く商業路「風の道」から地底国への入口があり、行商も兼ねてドワーフたちと物々交換をした。
そんなある時、ジャーミフの遺跡で神聖文字が刻まれた皿を発見し、ペフィーは得意気にドワーフたちに自慢して見せびらかした。ドワーフたちはその「失われた技術」が刻まれた「皿」が欲しいとペフィーにねだり、ドワーフの鍛冶職人が作った作品とその皿を交換する約束をした。
ドワーフたちでも扱えない決して加工できないと言われていた隕鉄をペフィーの飲み仲間、暴れん坊のドワーフ職人ザーグが七昼夜叩き続けようやく剣の形に仕上げた。しかし、研げなかった。ザーグは剣を研ぐために最も硬いと言われる赤竜の鱗を命を賭けて竜の巣穴から取ってきた。その大きな鱗を砥石にして三日間研ぎ続け直剣が完成した。
ペフィーは約束通りザーグの直剣と神聖文字の刻まれた皿を交換した。皿の上に置いた物の時を止めるという凄まじい技術が施されており、ザーグはその失われた技術の習得を志した。
さて、ザーグの直剣は月面のように銀のクレーターが無数に散りばめられ、決して欠ける事のない刃先とザーグの精神が込められた一刀だった。
のちにペフィーはこの直剣を息子のパルマーに譲った。「私は剣を振るった事がないからあげるよ。」……祖父は軽かった。その後、息子のパルマーは王直属の近衛兵団団長まで登り詰めた。
年に一度、王国では国王が剣闘祭を開く。パルマーの息子たち、長男リーサン(18歳)と次男ヴァッシュ(16歳)は出場し、リーサンは優勝、ヴァッシュは準優勝を納めた。国王から推薦を受けリーサンは若くして王国最強の近衛兵団に入隊する事が決まった。父は涙を流して喜び、長男の髪がくしゃくしゃになるほど撫でた。対して、ヴァッシュは兄に勝てなかったことが悔しくて隠れて泣いた。それを見たパルマーは、父親から譲り受けた一刀をヴァッシュに譲ると決めた。
のちに父は壮絶な闘いの末殉職し、リーサンは近衛兵団団長に就任する。父は殉職する前から自らの死を予期し遺書を準備していた。
ヴァッシュはベッドに寝転がり、剣を枕の下に敷いて天井を見ていた。目尻から溢れるものがあった。父親の事を想いながら、うとうとしていた。
二羽の小鳥のさえずりが窓の外から聴こえてくる。入口に用意された水桶の取っ手に木綿が掛かっている。桶からは湯気か立ち上る。木綿を桶の中で軽く洗い、固く絞って顔をぬぐう。次に首と腕を拭い、桶の中で軽く洗う。次に背中と胸、脚…。木綿を桶の中に沈め部屋の扉を開けると、水桶を廊下に出した。朝食のスープと焼いた鶏肉の薫りが部屋に入ってくる。
木綿の服とズボンを着てベルトを通す。革の胸当て・背当てを頭から通して両サイドの革ひもを締め上げる。左手に傷ついた鋼の手甲を装着してベルトを手首から肘にかけて絞めていく。
森の妖魔(ゴブリン)との連戦で盾替わりに手甲で剣撃を弾いた、その時の傷だ。ヴァッシュは愛用の盾を森の小屋に隠し、手甲と剣のスタイルに変えた。
妖魔の出る森林は生気がなく暗い。灰色の森にはオークが出る。
よく子供が読む本に獣の豚に揶揄されたものが登場するが実物は異なる。
人間の鼻をもいだら鼻骨の下から細長い穴が縦に二本現れる。その状態の鼻、鋭くつり上がった目の骨格、瞳の色が金色か明るい褐色、尖った耳、発達した犬歯、髪は薄く長く伸び、人間の身長を優に超え、爪は金属のように尖り、灰色の肌は毛穴が大きく、筋肉質、残忍で獰猛な気性、そして長剣や鎚を力任せに振るう。
その一撃は重く、正面から手甲で受け止める事は腕を切断される事を意味する。あくまでも剣撃の軌道を逸らすだけにとどまる。しかし、オークや危険な妖魔との遭遇がない仕事に転向した今のヴァッシュにとって、剣と盾を持つ意味がなかった。
毎朝の日課として、背負い袋の中身を確認する。金袋の中身は盗まれていない。ランタンと火打ち石・バックルはある。剣も枕の下にある。この、毎日変化のない作業を五年以上繰り返している。ヴァッシュはこの宿が気に入っていた。革のブーツに足を入れ、ブーツのすねの部分に革製の脚絆を巻いた。少しゆるめに巻いた。脚絆はきつく巻くと転倒時に足首を捻挫する。…最悪脚が折れる。
部屋を出て階段を降りると食堂がある。厨房の若い旦那がこちらを見た。ヴァッシュは中庭を指さすと旦那は笑顔で右手を上げた。中庭にはシーツが干されている。
木が一本生えており、その下にテーブルと太い丸太の椅子が三本ある。背負い袋と直剣を椅子の上に置き、自分も腰掛ける。二羽の小鳥はまださえずっている。おかみがお膳の上にいつもの朝食、鶏肉と野菜のサンドと豆と魚のスープを準備して持ってきてくれる。
「今日もいい天気だね?仕事かい?」若いのに気が強いおかみと無口で優しい旦那が営む良い宿屋だ。スープのカップを片手に香りを楽しむ。「役所に行く。」 軽く燻製のような薪の薫りがする。「あんた良い男なんだから早く嫁さんもらいなよ。」 軽く手を挙げ返事する。今日もいつもの口癖を吐くとおかみはシーツを取り込み室内に戻った。…ヴァッシュは静かに考えていた。
宿屋をあとにして鍛冶屋のある城下西門北の庶民街に向かう。平たく言うと金持ちではない者の住む場所だ。ここからは近い。王国にも悪さをする者が希にいる。だいたいはこの辺りの出身だ。悪さと言っても罪の軽い窃盗くらいのものだ。
町並みが変わり区画路が消えて無作為な方向に道が進み、小さな家が密集している。区画路は綺麗な正方形で建物も全て綺麗な正方形をしているが、ここは異なる。しかし、子どもたちが集団で遊んでいるのが特徴的で治安は良い。むしろ昔ながらの町並みに内心ほっとする。
ドーム状石造りの建物が見えてきた。扉は無い。朝なのに、真っ暗な室内からは、時折揺らめくような光と影がここからでも確認できる。規則的に金属を叩く音と空気を噴出するような音が聴こえてくる。中に入ると金属の焼けるにおいがする。暗い部屋に赤くなった炭がゆるやかな点滅を繰り返す。
小柄で筋骨たくましい上半身裸の男がこちらに背を向けている。鎚を右手に、金挟みを左手に持ち金属を叩いている。
「ゴップ!!」
ヴァッシュは大声で名前を叫ぶ。髪の無いスキンヘッド、髭まみれの親父がゆっくり振り返る。足で踏むふいごを止めると部屋が暗くなった。しばらく無言でヴァッシュを凝視していたがゆっくりと口を開く。
「……盾か?」
低く唸るようなしゃがれた声。
「バックラー、玉鉄鋼、革巻き、腕通し、取っ手。」
用件を集約してゆっくりと伝えた。玉鉄鋼とは通常の鉄ではない。錆びず、しなやかで硬度が高い。職人は黙って客の体格を隈無く眼に納め、身体に合った逸品を用意する。従ってカネを食う。
「明日まで待て。」
無言で大金貨1枚をつまみ、彼の眼前に差し出す。ゴップは無言で足元の汚い大壺を指さした。黒く汚れた水の溜まった大壷に金貨を沈める。誰もこんなところに金銀が沈んでいるとは思わないだろう。ふいごを踏む音が始まり炭が赤くなり始める。ヴァッシュは東門を目指して工房を出た。
水の都はシンプルな構造で東西南北に城門を構え、そのまま大通りが十字に街を区分する。現在地は西門北の庶民街、ここから東門に向けて歩くと露店街を抜けて、工芸品を扱う商店街に入る。更に東門に進むと工房と店舗を備えたオーダーメイドの職人がいる。
町並みと共に通行人の服装も変わる。良いものを求める者はそれなりの収入がある。店頭に棚やカウンターを設置して商品を並べてある。やがて大胆にも両開きの大扉を全開にした店が見えてきた。小さな木彫りの看板には『スファム皮革店』とある。
外装の壁面も内装も白一色の漆喰、この地方特有の橙色の瓦に一階建ての平屋造り、入り口の扉は建物の幅ほどはある。木製の扉は端から端までアーチ状になっており、扉を開き切ると店内の箱を全開で見せびらかすような構造になっている。床は綺麗にならした石灰質の石材だろうか、白を基調としている。
店内は綺麗でこざっぱりとしている。値札の付いた製品が棚に陳列されている。革のエプロンを着た店主が奥から出てくる。こちらが脇に抱えた長物に眼を止める。
「いらっしゃいませ。」
小洒落た雰囲気の店に誠実そうな店主、腰掛けて細工を施すのだろう、そのエプロンの下腹部にだけ左右に三本ほどシワが寄っていた。…それにしても店内で何か燻製のような香ばしい薫りがする。
「剣の鞘が必要だ。」
鞘を革で作る場合、粘土か柔らかく多孔質な木材で剣の型を取る。革ひもを張った皮革を型に合わせて伸ばし、革ひもの角度を変えながら、貼り合わせ、縫い上げる。更に大量のニカワで何度も重ね塗りが必要になる。もちろん革の強度を十分なものにするためだ。乾かすのに時間を要する。
「剣の型をとりますので、お借りします。しばらく掛けてお待ちください。」
店主は椅子に手のひらを向けた。白い布を巻き取り、剣を手渡す。…店主は剣を持って奥の工房に入っていった。
店内の陳列棚をじっくり見てまわる。小物入れ、鞄、背負い袋、ベルト、腰袋、カネ袋、膝当て、どれも飴色になっており、ニカワがしっかり塗られている。見て分かるほど丈夫に仕上がっている。良く塗られたニカワは多少の剣撃は通さない弾力と強度を持っている。奥から店主が出てきた。
「明日には仕上がりますよ。」
剣の型を取り終えたのか、両手で直剣を返す。受け取った剣に布を巻いていると、ふと疑問が沸き上がる。ん?そんなに早くできる訳がない。ヴァッシュは訝しげに店主に質問した。
「ニカワ、そんなに早く乾くのか?」
店主はにこやかに工房を指差し、
「窯の煙で燻しています。」
一瞬時が止まり眼が丸くなった。
「煙で燻すと強度も上がるんです。」
ニカワと燻した煙で強度を上げ、しかも乾燥時間を短縮させる。ヴァッシュは予想外の返答に、素人丸出しの質問をした自分に羞恥を覚え、思わず頭を掻いてしまった。
「明日、また来る。」
口ごもるように呟くと店を出た。
盾、鞘、小型カンテラ、火打ち石とバックル、準備は整った。まあ、地下で迷うことはないだろうが水磁針を一応持っている。葉っぱをちぎり水に浮かべる。その浮いた葉の上に磁針を乗せると回転して北を差す。祖父の書いた手記を子供の頃から読んでいた。実体験の手記は本当に知っておくべき事の宝庫だった。
焼けるパンの香ばしさと鹿肉の焼ける脂の薫り、野菜と果物を発酵させたソースの酸味が鼻につく。10歩先の店頭で親子が出来立てのサンドを売っている。子供が大きな声で「できたてー!できたてー!…」とわめいている。店頭に並ぶ客の目の前で、手際よくサンドを紙に包んで手渡しているのが母親だ。見ているだけで小腹が空く。
銀貨5枚、少し割高な気がしたがヴァッシュはサンドを購入し、柔らかい鹿肉の噛み心地と野菜の歯切れの良さ、ソースの甘酸っぱさに胡椒の風味を堪能し、頬張りながら裏道を歩いた。