「あら、麗ちゃん」
「こんにちはお母様。いらしてたんですね」
着替えるつもりなのだろう、きれいな着物を着た継母に声をかけられ、麗は笑みを作った。
今日はこの後、 父の社葬をする予定だった。
ただ、お坊さんも呼んでいないし、お経すらあげないつもりらしい。
オープンに際しての話題作り。きっと姉はまた感動的なことを言うのだ。
会場の隅に父の小さい写真だけ置いてゲストにご会談してもらう。
皆きっと楽しんでお酒も弾むだろう。故人の話など悪口くらいしか出なさそうだ。
それは、麗には、父の霊前にお前にはこの程度の価値しかなかった人間なのだと見せつけるための、姉の復讐のようにも思えた。
「ホテルの近くだから、せっかくだもの」
「ご案内しましょうか?」
「いいわ、麗ちゃんも忙しいでしょう? 一人で適当に回るわ」
忙しいといえば確かに忙しい。
姉の秘書という名目ではあるが、麗にできる仕事など可愛い妹役しかないため、 新装開店したこの店の品出しとレジ応援をしているのだ。
「 ああ、そうそう、一人でといえば、実はね、クルーズ旅行に行くことにしたの」
「いいですね。ご苦労が多かった分ゆっくり羽を伸ばしてください。いつ行かれるんですか?」
「今夜の便で日本を脱出するわ。一年くらい帰ってこないと思うんだけど。あの人の四十九日とか、一周忌とか何もするつもり無いから、麗ちゃんも気にしないでね」
麗はもう、驚かなかった。
「そうなんですね、わかりました。楽しんでください」
「ありがとう。お土産楽しみにしていてね。じゃあ、またあとで」
「はい、お母様」
全てから解放されたとばかりに晴れやかな笑顔で去っていく継母に麗は頭を下げた。
「ねえ、麗ちゃん。大丈夫?」
「えっ?」
唐突に声をかけられ、顔を上げると角田がいた。
「行こう」
そう言われ、売り場から従業員用の廊下に連れ出される。
角田は手にカメラを持っている。CMやポスターづくりのための資料を集めに来たのだろう。いてもおかしくない。
「あ、ごめん。見かけたから声かけようと思ったら、話が聞こえちゃって。あの人、麗音先輩のお母さんだよね? えっと、この度は……」
ご愁傷様です。まで言い切らない人が結構多いのは何故だろうか。という、どうでもいい疑問が頭をよぎる。
「ありがとう。全然平気だから気にしないで。あの人を弔いたい気持ちは私にもないから。それより、この前はごめんね」
角田と最後に話したのは祖母の日記を見つけ、明彦が泣いた麗に激怒した日。何にも悪くなかった角田には申し訳ないことをした。
「ああ、うん。その……聞いてもいいかな? ワイドショーの話は嘘っぽいなって俺思ってて。なんで俺に須藤先輩と結婚してたこと隠してたの?」
「えーっと、それはその。恥ずかしかったの。ほら、私全然明彦さんと釣り合ってないし。それに、あのころ私が姉さんから明彦さんを略奪したって社内で変な噂になってて。実際は姉さんに来た別の縁談が私に移って、そこから相手が明彦さんに変更されただけなんだけど……」
学生時代のように嫌味を言われたくなくて言わなかったのだが、麗はもごもごと誤魔化した。
「やっぱり政略結婚なんだ」
「あの、えっと」
違うとは言いきれない。少なくとも麗には政略結婚だった。
「もし、今辛いなら俺のところに来て欲しい。俺、麗ちゃんが初恋なんだ」
「なに、言って。こんな、ところで……」
角田の真剣な目が麗を捉えている。盛況な店が隣りにあるのにざわめきが遠くなった気がした。
「嘘、だって、嘘」
麗は信じられなくて、からかわれているのかと思ったが、角田の目はどこまでも本気だ。
「本当で本気」
「……私、嫌われてた、でしょ?」
「今となっては黒歴史なんだけど俺はあれで口説いてるつもりだったんだ」
学生時代、角田は麗によく話しかけてきたが、口説かれていたとは思えない。
車道側を歩く麗に、運動神経悪そうだし、危ないから歩道側歩きなよとぶっきらぼうに言われた覚えがある。
可愛いキャラクターのキーホルダーをいらないからとくれた時に、幼い感じがピッタリだからあげると言われた覚えもある。
「あれで……?」
「そうあれで。恥ずかしいから一旦その話しはどっかに置いてくれないかな」
角田は罰が悪そうに頬を掻いた。
「ああ、うん」
「麗ちゃんの気持ちがまだ俺にないことはわかっている。いきなりこんなこと言われても戸惑うよね。でも、お願い、俺と付き合うこと考えてみて」
角田の言葉はどこまでも真摯だ。ただし麗は既婚者である。
「いや、私既婚者だし。そんなの不倫だし、明彦さんのことだって裏切れないよ。どれほどお世話になってきたことか。今の会社の現状だって明彦さんがいなきゃなかった」
決定的な関係に陥ったことはない。ただ、一緒にご飯を食べて、口説かれて。楽しい時間を共有する。
まるでテレビドラマのような現実味のない生活。
「私、もう戻らないと。今の話は聞かなかったことにするから」
麗は人妻とわかりながら告白してきた角田を汚らわしく思っていた。不倫なんて嫌だ。あの父にさんざん迷惑をかけられたから、麗は潔癖だった。
「あ、麗ちゃんっ」
「さよなら!」
麗は角田を振り切って売り場に戻った。
すぐに、目に入ってきたのは姉、そして隣に明彦までいる。目立つのは嫌いなはずなのに、妹を奪ってシンデレラにした王子様として姉に利用されたのだろう。
とても、目立っている。目立たせるためにやっているのだから、当然か。
とても遠く感じた。お似合いの二人。完璧な二人。明彦が何か言うと、姉が笑った。
ずっとずっと、何度も思っていた。
明彦に似合うのは自分ではない、姉だと。
それでも、明彦は麗が好きだという。
(本当に?)
「あの二人、なんだかんだいいコンビだよね。絶妙なコンビネーションで須藤デパートと佐橋児童衣料のイメージアップしてさぁ。そのくせ、いっつもなんかで張り合ってるんだよね」
声の方向は見なかったが、声をかけてきたのは誰かはわかっている。義彦だ。
ああそうだ、二人は好敵手。いつも張り合っていた。
姉のほうが負けていることが多かったようだが、それでも明彦と張り合えるのは姉くらい。
今彼らは何を競っているのだろうか。
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