輝きを放つ魔法少女、ありふれた旅装の少女、黒い影、虹色の蛇。それぞれに全く違う出で立ちの母子三代と一匹は堂々と誰に見咎められることもなくシシュミス教団の砦の回廊を大股に通り過ぎていく。深奥に潜む三人と一匹は現世の人間にとって夕べの人影や路地裏の気配、空き家に潜む幽霊の如き存在であり、またいずれにせよ砦には人っ子一人いない。結局姿を消したハーミュラーを見かけることはなく、アギムユドルの中心の砦に占められた広場へと出てきた。
深奥の街の様子は違った。アギムユドルの魂は破壊されておらず、この国の栄えていた往時のように背の高い城壁は傷一つなく健在で勇ましい姿で街を取り囲んでいる。一方で、その城壁の瓦礫で出来ているはずのシシュミス教団の砦の魂も同時に存在するのだから不思議なものだ。丁度巨人の遺跡とバソル谷の街が融合していたように重なり合っていながら、互いに干渉せずに存在している。砦も城壁も、やはり幽霊のようなものだからだろう、とユカリは解釈しておく。
静寂に満たされた魂のアギムユドルを突き進む。初めは積み重なった影のように見えた魂の輝きも、慣れてしまえば地上と何も変わらないように見える。人の姿のない索漠たる光景だが、見知らぬ建築家の美意識を表した建築物の威容、計算され尽くした街路樹の並ぶ佇まいは生き生きとしている。『死霊も通さぬ堅き門』だけが非現実的な巨大さで呪われた緑の空の一部を覆っていた。
「普通に街が広がってるね?」とエイカが確認するように尋ねる。「切り取られたような姿って話だったけど」
「魔法少女のお陰だよ」とユカリは得意げに教える。「ヴォルデン領にかけられている呪いは人を孤立させる呪いなわけだけど、魔法少女のことは呪えない。これは魔法少女が孤立しないだけでなく、魔法少女と縁のあるひとを孤立させないってことなんだと思う」
「ふうん」と腑に落ちない様子でエイカは相槌を打つ。「でもゼレタのいた場所は切り取られてたんだよね? その時は魔法少女じゃなかったの?」
「あ」ユカリはそれ以上何も言えず、もう一人の母に目配せで助けを求める。
「関係性の差だろうね」とジニが補足する。「この魂の空間である深奥を構成するもう一つの次元。ひととひとの関係性、魔法少女とゼレタの縁が薄かったからさ。おそらくあたしらが見ているこの景色だって魔法少女を通してのことなんだろう」
義母もまた「たぶん」といったのをユカリは聞き逃さなかった。
ああだこうだと議論しながら先へ進み、ゼレタと出会った場所まで戻ってきたが誰もいなかった。
「まだ慣れないかい? こことゼレタの居場所とは深さが違うんだよ」とジニが説く。
思わず地面を見下ろしたのはユカリだけではなかった。そっちの方向にいる訳ではないのだが。
「どうします? 不安がってるでしょうし、一度会っておきます?」ユカリはゼレタの蝶を探しながら提案する。
「全部終わってからでいいんじゃないかい?」とジニは気楽に言う。「どのみち解呪すればみんな地上に出てくるんだ」
「私を拾ってくれた恩人に対してぞんざいじゃない?」とエイカがジニをなじる。
「あたしだってあんたを育てた恩人さ」
「恩着せがましいな」
「たまには恩を着せてくれても構わないんだよ」
二人の言い合いを聞き流しつつ、ユカリは『死霊も通さぬ堅き門』、その魂の麓へとたどり着く。
現実のそれと違って、ユカリの予想通り、門を合掌茸が覆っていた。
「信仰されていたのは門ではなく、その魂というわけです」得意げに話しつつ内心ユカリは推測が当たったことにほっとする。「この門だけは切り取られた街の外に聳えているように見えましたから。おそらくゼレタさん以外の孤立した人々にも見えているのでしょう」
ジニは門を仰ぎながら感嘆する。「深奥では魔法がこう見えるんだね。つまり魔法の魂ってことになるのかねえ」
「どういうことですか? 魔法の魂?」
「門の周りに光る天道虫が見えないかい? あれがこの門を『死霊も通さぬ堅き門』たらしめる魔除けだよ。不思議なもんだね。もちろんこういう形で見るのは初めてだけど、見れば分かる」
ユカリにも見えてくる。というよりは見えていたが曖昧な光の流れだったものが、ジニの指摘を聞いた途端、次第に天道虫の形を成す。
「こうじゃない形で見たことがあるんですか?」
「うちにもあったよ。我が家の扉もこの魔除けの省略形を使ってたのさ」
ユカリとエイカは二人同時に驚く。カーサは知っていたらしい。
途端に天道虫の造形がより精細に変化した。
「壊せるの?」とエイカが尋ねる。「この門に対する信仰を奪わないといけないんでしょ?」
壊せるだろうがユカリは心情的に躊躇われた。せっかくこの城塞都市で唯一破壊を免れた門なのだ。それに既に話してしまった。寂しがり屋で健気な罪のない門だ。
「別に開くだけで構わないんじゃないかい?」とジニは推測する。「この門が守ってくれているという気持ちを門の信徒から失わせればいいわけだからね。とはいえ門を開かせない魔除けだから、どちらにしても同じくらい難しいことだろうけど」
それでもやはりユカリには思い切れなかった。この門が閉じていることが孤立している人々の心の支えになったのだ。悪しきものを退けてくれているはずだ、と。
「まあ、物は試しだよ」
ユカリが止める前にジニは門の天道虫に向けて光線を放ってしまった。しかし天道虫は無傷だった。
「ううん、駄目か」ジニは悔しそうに目を細める。
「ちょ、ちょっと待ってください! まだ壊すとも開くとも決めてないです!」
「どっちにしたって魔除けを壊すしかないよ。あたしの魔法は打ち止めだけどね。今の魔術があたしの知る最も強力な破壊の魔術だからさ」ジニは当然のことのように言う。
ユカリは安堵の溜息を漏らす。
「そうですか。それに関しては魔導書を触媒にすれば……、いや、でもまだ待ってください。もうちょっと慎重に行動すべきです、二人は」
「私まだ何もしてないでしょ!」
エイカの訴えを聞き流しつつ、エイカの意見とジニの意見を検討し、何となく二人を見比べる。ふとユカリは気づく。
『死霊も通さぬ堅き門』を守る魔除けはオンギ村の失われた我が家の扉にも施されていたというが、あの扉はユカリと義父ルドガンを閉じ込めるためにエイカによって取り外されたのだ。
「門を動かすことはできませんか? エイカのあの魔術で。門も出入り口なわけですし。門を自在に動かして、それをアギムユドルの人々が見れば門の上位者の存在を認識させられるはずです」
「なるほど。そうすると信仰が改められるってわけか。考えたね。試す価値はある」とジニはユカリの提案を前向きに受け止める。
「良いんだけど、あれは義母さんに教わった魔術で私の魔術ではないよ?」とエイカが似つかわしくない謙虚さで説明する。
実際は教わった通りにできていないのだが、「それについてはまた後で話しましょう」
そしていざやるとなると簡単な話ではない。出入り口を移動させる魔術に使う呪文は対象の大きさや厚さ、本来の場所からの移動距離などで調整を求められる。かつてない大きさの門を計測するだけでも丸一日がかりであり、魔法少女は縦に横に飛び回る羽目になった。ジニとカーサは魔術儀式全体に従事し、エイカは自分の得意としているはずだった魔術が失敗であることに落ち込んだり、これはこれで新たな魔術であるという義母の補足に得意になったりしていた。
一通りの準備を終えて最終確認をする。
「そもそも皆さん気づくでしょうか?」
『死霊も通さぬ堅き門』のそばでユカリは深奥にその理想的な姿を残すアギムユドルの都を眺める。魂となったアギムユドル市民が街のあちこちで様々な深度で一人、孤独に暮らしている。きっとここが死後の世界だと思い込んでいる者もいるだろう。それはきっととても辛くて寂しいことだとユカリは確信する。決して呪いを満ち溢れさせることが救いへと繋がるはずがない。ハーミュラーの言葉を思い出しつつ、また今度会った時にはきっちり言い返してやろうと心に決める。
「それについてはあたしが演出を考えたよ」とジニが自信を滲みだす。「町中にいる誰からでもはっきりと動いていることを認識させる必要があるからね」
「どうするんですか? 人々がどういう風に街に散らばっているかも分からないのに」
「『死霊も通さぬ堅き門』に街中を行進させるんだよ」
二人の娘には母の言っていることがいまいち呑み込めなかった。