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【番外編】 “ハーマイオニーはだいたい全部分かっている”
ハーマイオニー・グレンジャーは、基本的に他人の恋愛に口を出さない主義だった。
面倒だからだ。
もちろん相談されれば乗る。必要なら助言もする。けれど、自分から進んで他人の色恋へ首を突っ込む趣味はない。なぜなら大抵の場合、人は恋愛になると普段より少しだけ愚かになるし、その愚かさはたいてい当人たちにしか処理できない種類のものだからだ。
だから本来なら、ハリー・ポッターとドラコ・マルフォイがどういう関係であろうと、本人たちが黙っている限り放っておくつもりだった。
本来なら。
「その紅茶、何?」
ある日の午後、ハーマイオニーはついに本を閉じてそう言った。
談話室の窓際。
外は小雨。暖炉の火は安定していて、部屋の中には本を読むにはちょうどいい静けさがある。
ハリーはソファに座っていた。
その隣にはドラコ。珍しく同じソファに座っている時点で、もうかなり手遅れだとハーマイオニーは思っている。
「紅茶だけど」
ハリーが素直に答える。
その答え方がまず駄目だ。何の警戒心もない。まるで「何がおかしいの?」と本気で思っている顔をしている。
ハーマイオニーは目を細めた。
「それは見れば分かるわ。そうじゃなくて、何の紅茶かって聞いてるの」
視線をドラコへ向ける。
「さっきまであなたが飲んでいたものでしょう」
ドラコは新聞を読んでいるふりをしたまま、眉一つ動かさない。
「だから何だ」
「だから何だ、じゃないのよ」
ハリーがここでようやく「あ」と小さく言って、自分の手元のカップを見た。
遅い。
気づくのが、あまりにも遅い。
「別に、近くにあったから取っただけだよ」
ハーマイオニーは無言で彼を見る。
近くにあったから。
取っただけ。
なるほど。ではその理屈で言うと、なぜハリーの手元にはまだ自分の飲みかけのカップもあるのだろうか。なぜわざわざドラコのほうを自然に手に取って、一口飲んでから何事もなかったように会話を続けていたのだろうか。
そして何より、なぜドラコ・マルフォイがそれを止めなかったのだろうか。
普通なら言う。
確実に言う。
「触るな、ポッター」くらいは絶対に言う。
なのに、さっきのドラコは新聞をめくる手すら止めず、ただ「熱いから気をつけろ」と言っただけだった。
それはもう、終わっている。
「……あなたたち」
ハーマイオニーは本を膝に置いた。
「まだ隠しているつもりなの?」
ぴたりと空気が止まる。
ハリーが固まる。
ドラコは新聞を下ろさない。下ろさないが、耳だけがわずかに赤い。
それを見て、ハーマイオニーは深く、深く息を吐いた。
「本当に?」
「何のことだか分からないな」
とドラコが言う。
「その台詞、もっと説得力のある状況で使いなさい」
「状況は十分に平常だ」
「飲みかけの紅茶を無意識に共有してる時点で平常じゃないのよ」
ハリーがここでようやく、少しだけ顔を赤くした。
「……そんなに変かな」
「変よ」
「いやでも、君たちだって昔は」
とハリーが言いかけたところで、ハーマイオニーは即座に遮った。
「ロンと私は少なくとも、付き合う前に飲みかけのカップを当然みたいに交換したりしなかったわ」
そこで一拍置く。
「しかもあなた、今それを“無意識に”やったのよ」
ハリーは完全に言葉を失った。
ドラコがようやく新聞を下ろし、いかにも不愉快そうに言う。
「いちいち観察眼が鋭すぎるんだ、グレンジャー」
「ええ、知ってる」
ハーマイオニーは冷静に答える。
「そしてあなたたちが思っているよりずっと前から、私は気づいてる」
その一言に、二人そろって黙る。
ハーマイオニーはその反応を見て、少しだけ胸の奥がやわらいだのを感じた。
本当にこの二人は、妙なところで似ている。肝心な時ほど自分だけが上手く隠せていると思っているところとか、見抜かれた瞬間に二人そろって妙に静かになるところとか。
しかも、隠せていない理由がまた似ている。
相手に向ける視線だ。
ハリーは、ドラコが入ってきた瞬間に気づく。
どれだけ本に夢中でも、部屋の端で誰かと話していても、ドラコの気配がするとそちらを見る。しかも本人はそれを自然なことだと思っている節がある。
ドラコはもっと厄介だ。
見ないふりをする。新聞を見るふり、書類を見るふり、窓の外を見るふりをする。だがハリーが少し咳をしただけで顔を上げるし、疲れている時は一番先に気づいて紅茶を淹れる。しかもそれを親切ではなく当然の処置みたいな顔でやる。
見ているこちらが恥ずかしい。
数日後、その印象はさらに悪化した。
図書室の奥の長机で、ハーマイオニーは資料を広げていた。
向かいにはハリー。隣にはドラコ。なぜこの配置になるのかは聞かない。聞いたところで、きっとくだらない言い訳しか返ってこないからだ。
「ポッター、そこ違う」
ドラコが言う。
「え?」
ハリーが羊皮紙を見下ろす。
「どこ?」
ドラコは大きくため息をつき、椅子を引いてハリーのほうへ少し寄った。
ここまではいい。問題はそのあとだ。
彼はペン先で該当箇所を示すかわりに、ハリーの手首を軽く取って角度を直した。
あまりにも自然だった。
自然すぎて、ハリーも一瞬それを受け入れてしまってから、遅れて「あ」と小さく言った。ドラコも同時に、自分が何をしたのか気づいたらしい。二人の間に、ひどく短く、でも濃い沈黙が落ちる。
ハーマイオニーは本を閉じた。
「……ねえ」
二人が同時にこちらを見る。
「お願いだから、せめて“人前でどこまでなら自然か”くらいは一度すり合わせて」
ハリーが耳まで赤くなる。
「今のはほんとに無意識で」
「それが一番まずいのよ」
ドラコは咳払いをした。
「大げさだな」
「大げさじゃないわ」
ハーマイオニーは真顔で言う。
「あなた、自分が今、彼の手首を取ったあと何秒見つめていたか分かってる?」
ドラコが言葉に詰まる。
その顔がほんの少し悔しそうで、ハーマイオニーは危うく笑いそうになった。
この男は昔から人を見下す顔は得意だったが、自分が図星を突かれた時の処理はあまり上手くない。とくに、相手がハリーの時はなおさらだ。
「あなたたち、昔はあれだけ会えば噛みつき合っていたのに」
ハーマイオニーは淡々と本を積み直す。
「今では片方が咳をすれば片方が即座に蜂蜜入りの紅茶を出して、片方が資料で行き詰まればもう片方が無言で横から修正して、しかも本人たちは隠せてるつもり。頭が痛いわ」
ハリーが小さく笑い、ドラコは本気で不機嫌そうな顔をした。
「誰が蜂蜜入りの紅茶なんて」
「昨日やってたでしょう」
「……一昨日だ」
「そういう問題じゃないのよ」
そこでハリーが吹き出した。
ドラコがぎろりと睨む。
「何が可笑しい」
「いや、君、自分で日付は訂正するんだなって」
ドラコは無言でハリーの脛を軽く蹴った。
ハリーは「痛っ」と言いながらも、まったく堪えていない顔で笑っている。
ハーマイオニーは額を押さえた。
本当に、どうしてこうなるのだろう。
何年もかけて傷ついて、遠回りして、ようやく隣に立てるようになったのに、いざ日常へ戻ってくるとやっていることは高校生みたいな軽口の応酬と、隠しきれない世話焼きなのだ。
でも、だからこそよかったのかもしれないとも思う。
夜に一人きりで崩れそうだったハリーを知っている。
何でもない顔をして、その実ずっと呼吸の仕方を忘れていた時期を知っている。
そしてドラコのほうも。
あの男は人前ではいまだに高慢で、面倒で、言い方も最悪だ。
それでもハリーの名前を呼ぶ時の声だけ、ほんの少しだけ違う。硬さの奥に、すぐには気づきにくい温度が混ざる。ハーマイオニーにはもう、それが分かってしまう。
ある夕方、談話室でハリーがうっかり本を抱えたまま寝落ちしたことがあった。
暖炉の前の肘掛け椅子。
半端な姿勢で眠っていて、このままでは確実に首を痛める角度だ。
ロンは「起こすか?」と小声で聞いた。
ハーマイオニーは答える前に、すでにドラコが立ち上がっているのを見た。
彼は何も言わずにハリーの手から本を抜き取り、しおりを挟み、椅子の背にかけてあったブランケットを肩へかけた。ついでにずり落ちそうだった眼鏡まで外してやる。
その手つきが、驚くほどやさしかった。
あまりにも自然で、あまりにも慣れていて、見ているこちらが少し困るほどだった。
ロンが「うわ」と小さく呟く。
ハーマイオニーは即座に肘で小突いた。
ドラコはこちらを見もしない。
ハリーの寝顔を一秒だけ見て、それから何事もなかったように自分の席へ戻る。
「……今の」
ロンが小声で言う。
「もう完全に」
「ええ」
ハーマイオニーも小声で返す。
「完全に」
その時、ドラコが不意にこちらへ顔を向けた。
「何か言ったか」
「いいえ、何も」
ハーマイオニーは即答した。
するとドラコは一瞬だけ目を細め、それ以上は追及しなかった。
代わりに、その少しあとで目を覚ましたハリーがぼんやりした顔でブランケットを見下ろし、「……君?」とドラコに聞くと、彼はそっけなく「寒そうだったからだ」とだけ言った。
ハリーはそれで十分だったらしい。
少し笑って、「ありがとう」と言った。
そのたった一往復の会話に、どれだけのものが詰まっているのかを知ってしまっている側としては、もう本当に勘弁してほしかった。
数日後、ついにハーマイオニーは言った。
「あなたたち、少しは加減を覚えたら?」
夕食後の談話室。
ハリーはドラコのネクタイが少し曲がっていることに気づいて、あまりにも自然に手を伸ばして直してしまったところだった。
二人とも固まる。
「……今のは」
ハリーが言いかける。
「反射で」
「それが問題なのよ」
ハーマイオニーは本気で呆れていた。
ドラコは耳が赤いくせに、無理やり平静な顔をつくる。
「大したことじゃない」
「そうね。ネクタイを直すこと自体はね」
ハーマイオニーは冷静に返す。
「でも、そのあとあなたが三秒間まばたきを忘れていたのは大したことだと思うわ」
ドラコが完全に黙った。
ハリーが顔を覆う。
ロンは隣で肩を震わせている。
「ほんとに、やめて……」
ハリーが言う。
「自覚し始めると余計恥ずかしいから」
「自覚していなかったの?」
ハーマイオニーは逆に驚いた。
「今まで?」
「してたけど」
ハリーは手の隙間から言う。
「たぶん、思ってたよりもっと分かりやすかった」
「ええ。かなり」
ドラコはそこで小さく舌打ちした。
「笑うな、ウィーズリー」
「いや無理だろ」
ロンがとうとう吹き出す。
「お前ら、隠してるつもりだったのかよ」
その言葉に、ドラコは本気で不愉快そうな顔をした。
だが隣を見ると、ハリーまで半分笑っている。自分たちの隠し方が思っていた以上に雑だったことを、ようやく受け入れ始めた顔だった。
それを見て、ハーマイオニーは少しだけ目を伏せた。
よかった、と思う。
本当に。
呆れるくらい分かりやすくて、見ているこっちが恥ずかしくなるくらい互いに甘くて、それなのに肝心なところではまだ少し不器用で。
でも、こうして笑えるところまで来たのだ。
失って、傷ついて、遠回りして、それでも最後にちゃんと隣へ辿り着けた。
そのことを知っているから、ハーマイオニーは本気では腹を立てられない。
ため息くらいはつくけれど。
「……まあ、いいわ」
そう言うと、三人が一斉にこちらを見る。
「何が?」
とハリーが聞く。
ハーマイオニーは本を開き直しながら答えた。
「あなたたちがあまりにも分かりやすくて、もう訂正する気にもならないってこと」
一拍おいて、ページへ視線を落とす。
「ただし、次に私の前で無意識に飲みかけを共有したら、その場で魔法生物学の本を朗読して邪魔するから」
「なんで魔法生物学?」
ハリーが困惑した声を出す。
「一番雰囲気が壊れそうだからよ」
ロンがまた笑い、ドラコは本気で嫌そうな顔をし、ハリーはとうとう吹き出した。
その笑い声を聞きながら、ハーマイオニーはほんの少しだけ口元をやわらげた。
呆れる。
本当に呆れる。
でも、こういう呆れ方なら悪くないとも思う。
暖炉の火が静かに揺れる。
ソファではハリーがまだ笑っていて、ドラコがその横で「だから笑うなと言っているだろう」と言いながら、でも完全には離れない。
ハーマイオニーはページをめくった。
賢い人間は、だいたい全部分かっている。
そして、分かっていても何も言わないほうがいい時と、さすがに一言くらい言ってやるべき時があることも知っている。
今夜はたぶん、後者だった。
それで十分だ。