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その日
空はどこまでも灰色に沈んでいた。
冷たく湿った空気が
肌にまとわりつき
まるで世界そのものが
悲しみに沈んでいるかのように
アリアには感じられた。
屋敷の寝室。
その布団の上で
冷たくなった時也が
横たえられている。
アリアは
息を引き取った時也の胸に
そっと寄り添っていた。
もう——
その胸に耳を押し当てても
何の音も聞こえる事は無い。
時也の心臓は
静寂の闇の中で
その鼓動を完全に止めていた。
冷たい。
薄い布越しに
冷え切った肌の感触が伝わってくる。
かつては
自分を優しく
抱きしめてくれたその胸は
今やまるで石のように硬く
冷たかった。
アリアは
その胸に顔を埋めたまま
静かに瞼を閉じた。
(⋯⋯火葬にするべきか
土葬にするべきか⋯⋯)
思考がめぐる。
火葬ならば
彼の身体は
不死鳥の炎に包まれることになる。
——あの、忌まわしい炎に。
その考えが、胸を苛んだ。
時也を奪った
その炎で彼を焼くことになる⋯⋯
まるで
不死鳥が笑いながら
再び時也を焼き尽くすかのような
そんな残酷な情景が
脳裏に浮かんだ。
(⋯⋯そんなものは、耐えられない)
アリアは顔を上げ
そっと時也の頬に手を添える。
「⋯⋯ならば、土葬にしよう⋯⋯」
消え入りそうな声が漏れた。
——その声を聞いてくれる者は
もうこの部屋にはいなかった。
アリアは
無意識に彼の髪に指を通す。
時也の黒褐色の髪は
まだ柔らかだった。
指先が髪を梳く度
彼が生きていた頃と変わらない
優しい感触が手に残る。
「⋯⋯⋯」
その髪を撫でながら
アリアは静かに決意を固めた。
(⋯⋯彼が愛した
植物たちに囲まれた場所に⋯⋯)
彼は、桜の花が好きだった。
かつて
桜の木の下で出逢った時も
彼はその花を
とても愛おしそうに見つめていた。
(⋯⋯お前が愛した桜が⋯⋯
お前の墓標となるのなら⋯⋯)
それが
彼にとって最も相応しい形の筈。
「⋯⋯不死の血を添えれば⋯⋯
桜は、永遠に咲き続ける⋯⋯」
アリアは
自らの言葉に小さく息をついた。
——不死鳥の血。
それは
彼女が最も忌むべき呪いである。
不死鳥の血は
どんな命の灯火も
永遠のものとさせるが
決して再び灯すことはない。
死者を蘇らせることなど
不死鳥の血をもってしても
できるはずがなかった。
アリアは以前
時也をその血で癒そうとした。
不死にしてしまおうともした。
しかし⋯叶わなかった。
当然だ。
時也を蝕んだのは
不死鳥なのだから——。
アリアは
その苦しみを押し殺しながら
そっと時也の唇を指先でなぞった。
「⋯⋯⋯」
顔を近付けると
時也の唇は
まるで氷のように冷たかった。
(⋯⋯何かしらの形で⋯⋯
この世界に残るのなら⋯⋯)
アリアは
ゆっくりと
手首を口元へと持ち上げる。
鋭い歯が、白い肌を食い破った。
皮膚が裂け
濃く赤い血が静かに流れ出る。
一筋の血が手首を伝い
細い線となって滴った。
アリアはその血を口に含み
時也の冷えた唇へと口づけた。
「⋯⋯⋯」
その行為に、涙はなかった。
不死鳥の血が
時也の唇を濡らし
静かに流れ落ちる。
(生まれ変わるのならば⋯⋯
今度こそ、永遠に⋯共にいよう⋯⋯時也)
——ただの祈り。
——ただの願い。
「それまで⋯⋯さようならだ⋯⋯」
アリアはもう一度
時也の冷たい頬に触れた。
その指が
もう一度温もりを求めるように
彼の頬を撫でた。
けれど
そこにはもう何の反応もない。
今や
彼が微笑むことも
手を差し伸べてくれることも
もうないのだ。
アリアは、静かに立ち上がった。
彼女でさえも
軽々と持ち上げられるほど
時也の身体は軽かった。
時也の遺体を
二人が出会った桜の下に埋め
そこに自らの血を注ぐ。
それは
彼の魂がどこかで
安らぎを得ることを願う
ただの祈りだった。
「永遠に⋯⋯お前だけを、愛している⋯⋯」
まるで
桜が時也であるかのように
彼女はその幹を抱き締めた。
そして
その瞳に再び冷たい光を宿し
無言のまま桜の傍を離れる。
彼の眠るその場所に
彼が愛した桜が
やがてどんな嵐にも負けぬように
咲き誇ることを信じて——。