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もちろん尽だって、天莉が毎年率先してそう言うことをしていたのは把握していたらしい。
そう言う面も含めて、天莉が博視にフラれたと知った際、自分の契約婚の相手として相応しいのはあんな女性だなと、やや打算的に白羽の矢を立てたところもあったんだ、すまない……と心底申し訳なさそうに告白して。
その上で、尽が続けた。
「天莉が俺のモノでない時には好ましく思えていたキミのそう言う献身的なところが、天莉のことを本気で好きになった途端、他の人間には尽くして欲しくない、やめて欲しいとか思うようになったと言ったら……キミは引くかね?」
「え……っ?」
「なぁ、天莉。キミは俺の妻になる女性だ。他の人間になんて尽くさなくていい」
そんなことを言って、耳をペタッと寝かせた大型犬のような顔をした尽が、切なげに天莉の顔を見詰めて懇願するから、天莉は言葉に詰まってしまう。
「つ、尽くすって言ってもっ。会場にお食事や飲み物を運んだり……そう言うのをお手伝いするだけだよ?」
ややして、やっとの思いでそう告げた天莉だったのだけれど――。
「俺が贈った服で、下働きみたいな真似をするって言うの? 俺の目が届かないところで?」
拗ねたようにそう続けられてしまっては、確かにこの服でそれはないかも?と思わざるを得ない。
そう。
いつもならば天莉、それなりに小綺麗に見える黒のパンツスーツに、白のブラウスを合わせた、割と普段の仕事着に近い服装で親睦会に参加していたのだ。
けれど……。
今日は尽から贈られたくすみ感のあるローズベージュのクラシカルドレスを着ている。
過日ハイブランドのアパレルメーカーで尽からプレゼントされたその一着は、とても着心地の良いレースとシフォンの異素材ワンピースで、デコルテ周りが透け感のある仕様になっている。
肌を薄らと透けさせつつも、首元は低めのスタンドカラーで、胸元が開きすぎる心配もない。
加えてボリューム袖がさり気なく二の腕をカバーしてくれるのが、天莉的に嬉しいデザインだった。
確かに尽が言うように、この服で雑用係はちょっと違和感があるかな?と思った天莉だ。
それに。
(変に頑張りすぎて、汚したりしたら大変だもんね)
そう思いはしたものの、だったら何をして過ごせば?と、先程の〝話し相手が見つからないかも知れない問題〟に直面して、天莉は弱ってしまった。
その戸惑いを如実に感じ取ったらしい尽が、「今日は俺の手があいたらすぐにでも――」と何かを言おうとして「まぁ、それは本当に時間が出来てからの方がいいか」と言葉を濁す。
「えっ、なに、なに? 尽くんの手があいたら……何があるの?」
天莉は尽が何を言おうとしたのか、気になって仕方がない。
なのに――。
「おいおい分かるから楽しみにしておいで? それはさておき……」
――もう一度よく見せて?と話題を変えられて、尽の腕の中へ引き寄せられた天莉は、いつものことながら仕立てのよい尽のスーツからふわりと香る、幽かなコロンの芳香にうっとりと吐息を落とす。
「私、尽くんの香り、大好き……」
ポツンとそんな言葉を落とした天莉に、尽が「そうか」と嬉し気に微笑んで。
「だったら」と言って天莉から一旦離れてから、いつも自分が身に付けているブルガリの香水瓶を手に戻って来た。
「ちょっとだけ、ね?」
言って、尽が天莉のいる上空にシュッと瓶の中身を軽く一吹きするから。香り付きのミストがごく微量、天莉の全身に降り注いでくる。
「これでキミも、今日一日は俺と同じ匂いだ」
尽から艶っぽく微笑まれて、「マーキングしたよ」と言われたように感じた天莉は、何だか物凄く照れ臭くなってしまった。
「それと――」
尽の言動のせいでほんのりと熱を持ってしまった左手を持ち上げられて、薬指の婚約指輪の存在を確認された天莉は、「仕事中にはしてないみたいだけど……親睦会の間だけは必ずつけておいて?」と念押しされてしまう。
今日は社内の人間のみならず、社外の人間も沢山入り乱れる会だ。
取引業者だけでなく、『株式会社ミライ』の系列会社の関係者も数多く出席する。
自社の中でならば、長く付き合ってきた恋人に失恋したばかりの天莉に、そんなに不埒な真似を働く人間はいないかも知れない。だが、逆にチャンスだと近付いてくるバカ者がいることも否めないと尽が言って。
「社外の人間まで含めると、誰がキミに言い寄るか、全く想像がつかなくなるのが腹立たしいね」
と、心底嫌そうに溜め息を落とすのだ。
尽は「一緒にいられないくせに着飾らせ過ぎたか……」と眉根を寄せると、「天莉はいつも綺麗だけど、今日は特に気を付けて?」と釘を刺してくる。
「尽くん、心配し過ぎ」
そもそも自社の人間なら、プライベートでは取っ付きにくいと評判の天莉に話しかけることはないだろうに。
余りに尽が心配するから、思わずクスッと笑ってしまった天莉だったのだけれど。
「恋人の心配ぐらいさせて?」
と切なく見つめられて、指輪をはめた薬指をスリスリと撫でられては、恥ずかしくてたまらないではないか。
「今日の天莉を見たら、横野のバカが復縁を迫らないとも限らないだろう? そうしたらこの指輪を見せつけて『間に合ってます』ってキッパリ突っぱねてやるんだよ? 分かったね?」
尽のセリフに、そんなことはないと思うんだけどな……と応えながらも、心の片隅。博視は江根見さんと上手くいっているのかな?と、天莉はちょっとだけ心配になった。
***
尽は会場まで一緒に行こうと言ってくれたけれど、天莉はその誘いを丁重にお断りした。
何故なら尽が言う〝一緒に〟は尽が普段仕事で使っている運転手付きの高級車に同乗しないか?という誘いだったからだ。
「途中で直樹も拾うから、うまくいけば璃杜やふわりにも会えるよ?」
尽が畳み掛けるように告げたその言葉自体はとっても魅力的で。
いつも尽と直樹の会話に出てくる二人に会ってみたいな?と、一瞬グラリと気持ちが傾きそうになった天莉だ。
けれど、尽とこのまま順調にお付き合いを続けていければきっと……いずれ伊藤家の面々とも会えるはずだと思い直した。
「……まだ尽くんと私がお付き合いしてるのは秘密でしょう?」
尽のために用意された社用車から、高嶺常務付の秘書・伊藤直樹が降りてくるのは自然だけれど、ただの総務課平社員の天莉が一緒なのはどう考えても不自然だ。
そう言外に含めて尽を見詰めたら、小さく吐息を落とされた。
「俺は……今すぐにでもキミは俺の婚約者だと公言してもいいくらいなんだがね」
その言葉は正直すごく嬉しかったけれど、まだ天莉は尽の両親に付き合いを認めてもらっていない。
高嶺家の面々に挨拶を済ませて了承を得た後ならばまだしも、そんなフライングは良くない。
ふるふると首を横に振った天莉を、尽がたまらないみたいにギュッと抱き締めた。
「キミのそう言う筋を通す真面目なところ。きっと直樹から言わせると俺の暴走の歯止めになって好ましいって褒められるんだろうけど……俺としてはちょっと寂しいかな?」
「……尽くん」
確かに尽は割と激情型なところがある。
今まで尽が上に立って色々やってきて、そういう直情的なところが仕事に支障をきたさなかったのはきっと、直樹の功績が大きいのだろう。
尽の即決力やフットワークの軽さが必要な場面では手を放し、良くないシーンではストッパーになってきた直樹の姿がありありと目に浮かんで、天莉は思わず笑ってしまった。
「天莉……?」
そんな天莉に、尽が怪訝そうな顔をするから。
「あのね、尽くんには伊藤さんが公私ともに必要不可欠なんだろうなって思ったら……何だか微笑ましくなっちゃったの」
「は……?」
天莉の言葉に尽が不満げな声をもらして。
「そりゃぁもちろん直樹がいないと困るが……。天莉だってもう、俺にとっては立派にそういう存在なんだと自覚してる?」
ギュッと抱き締める腕に力を込められた天莉は、何も言わずにそんな尽をそっと抱きしめ返した。
***
尽がどうしても譲ってくれなくて、結局会場となるホテルまではタクシーで行く羽目になった天莉だ。
天莉としてはいつものように公共の交通機関――バスと徒歩で向かうつもりだったのだけれど。
「ねぇ天莉。今日のキミはいつも以上に綺麗なんだって分かってる? バスなんかで行って……悪い男に目を付けられたらどうするんだ」
と眉根を寄せられてしまった。
「えっ?」
――そんな心配必要ないと思うんだけどな?
即座にそう返したかった天莉だ。
そもそも尽から贈られたワンピースが素敵過ぎて目立つと言うのなら、上に着慣れたスプリングコートを羽織るつもりで準備していたから大丈夫なのに。