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坂道の傾斜は緩やかではあるが
歩を進めるほどに視界が開けていく。
淡い石畳の通りを歩く三人の姿は
どこか風景画の一場面のようだった。
先頭を歩くのは、藍色の着物を凛と纏い
涼しげな眼差しを向ける櫻塚 時也。
その左腕に、慎ましく手を添えているのは
金糸のような髪を揺らしながら歩くアリア。
時也はその手を、自然な仕草で包み
まるで宝物でも扱うように
歩調を合わせていた。
その二人の後方──
全身を軽く屈め
左右の腕にバランスよく荷を載せた
ソーレンが、口をへの字に曲げながらも
一言も文句を言わず黙々と歩いていた。
いや、顔には不満が滲んでいる。
だが重力操作によって
荷がほぼ浮かされている以上
文句を言うのも空しいのだろう。
やがて、坂の上に佇む白亜の建物が姿を現す
──教会兼孤児院
〝ラルシュ・ド・ノーブル・ウィル〟
金属の門と高い塀に囲まれながらも
そこから覗く庭は丁寧に手入れされ
花壇の隅では色とりどりの花が咲いていた。
高い鐘楼と、尖塔の影が坂道の端まで伸び
三人の足元をゆっくりと追いかける。
その正門前──
制服姿の一人の少女が
門柱の陰からじっと彼らを見つめていた。
ソーレンが眉を寄せ、目を細めながら呟く。
「⋯⋯ん?
あのガキ、確か⋯⋯アメリアか」
時也は微笑を浮かべたまま
彼女の視線に気付いて立ち止まり
静かに応じる。
「ふふ。
元気いっぱいに
手を振ってくださってますね」
すると、少女は両手をいっぱいに広げ
跳ねるように叫んだ。
「時也せんせー!ソーレンお兄ちゃん!
女神さまもいる!待ってたよー!」
その無邪気な声は
風に乗って辺り一面に響き渡る。
そして、弾けるように園内に走って行った。
時也とソーレンの顔に
ふっと自然な笑みが浮かんだ。
だが──
「⋯⋯あ?」
「そういえば
アメリアさんは盲目だったはず⋯⋯?」
時也が眉を寄せ、口の中で問いかける。
ソーレンも、同じ疑念に肩を竦めた。
「だよな⋯⋯?普通に走ってったぞ?」
言いながら、二人は無言で視線を交わし──
やがて黙って正門を潜った。
そこに、低く滑るような声が飛ぶ。
「時也様!!お疲れ様でございます!!
お手の荷物をお運びいたします!!!」
滑るように地面を蹴って近付いてきたのは
光沢のある黒スーツを纏い
つるりとしたスキンヘッドを輝かせる青年。
〝元ギャング〟――ユリウス
駆け寄ると、まるで
〝神の顕現〟でも拝むかのように
地に膝を突き
手を胸の前で交差させて恭しく差し出す。
その姿は
信仰と狂気が紙一重の礼拝そのものだった。
(この方の〝これ〟には⋯⋯
なかなか慣れそうにありませんね)
時也はやや引きつった微笑みを浮かべながら
手に持っていたアリアの荷物を手渡す。
「ありがとうございます。
では、こちらをお願いいたします」
「⋯⋯おい、てめぇ。
それよか、こっちの大荷物だろうが!」
ソーレンが不満げに唸ったが
ユリウスはまるで
耳に届いていないかのように
にこにことした笑顔で
時也だけを見つめ続けていた。
「おい!無視かよ、ハゲこら!!」
「ソーレンさん?
子供たちも見ている中で
口が悪いですよ?」
その注意に、ソーレンは舌を打ち
肩を落とした。
その時、遠くから走る足音が重なった。
「アリア様、時也様、ソーレンさん!
ようこそ、おいでくださいました!」
正門の内側から
黒の神父服をなびかせながら駆けてくる男。
柔らかな微笑と
整った顔立ち──ライエルだった。
彼の手は、走るアメリアに引かれていて
まるで小さな案内人のように先導されている
その後ろからは
礼服とメイド服に身を包んだ
三人の女性が小走りに追ってくる。
柔和な表情のシスター、エミリア──
そして、整った白のエプロンを身につけた
二人のメイドが
それぞれ整然とライエルの後ろに控える。
「アメリアから
アリア様もいらっしゃっていると聞いて──」
駆け寄ってきたライエルは
白い手袋に包まれた手で
礼儀正しく一礼しながら
にこやかに言葉を続けた。
「メイドの方々にも来ていただきました。
お菓子作り教室の間も
アリア様のことは、どうかご安心を」
時也はその言葉に微笑を返し
アリアの傍らに目を向ける。
彼女は、変わらず無言で佇んでいたが
その姿を見れば
ただ居るだけで
周囲の空気が張り詰めるような緊張と
静謐な威厳を放っていた。
「お気遣いありがとうございます
ライエルさん。
それで、少し伺いたいことがあるのですが
アメリアさんは⋯⋯」
時也は言葉の続きと共に
ライエルの耳元にそっと唇を寄せる。
──その瞬間だった。
(あ゛ぁあああああああああああっ!!!!)
突如、魂を削るような〝雄叫び〟が
時也の頭蓋を内側から叩き割るように
響き渡った。
「⋯⋯ぐ、⋯⋯っう⋯⋯っ」
時也の表情が歪む。
咄嗟に両手で耳を塞いだ。
だが──
耳飾りの宝石が
ただの装飾ではない役目を果たす。
激しく震える絶叫の奔流から
彼を護るように僅かに軟化させていた。
倒れそうになる体を
両足で踏ん張って耐える。
「時也様!?」
すぐ傍にいたライエルが
驚愕の声を上げる。
震える腕を、強く、しかし丁寧に掴み
倒れぬよう支える。
「⋯⋯叫びが⋯⋯聞こえたのですか?」
その問いは、ただの推測ではない。
何かを知っている者の問いかけだった。
しかし、答えが返るよりも早く──
(ああああああああっっっっ!!!!!)
再び、大地の底から吹き上がるような咆哮が
全神経を叩く。
この声は──ただの叫びではない。
喜びか、歓喜か
それとも、信仰にも似た感情の極地か。
得体の知れぬ〝歓喜の奔流〟が
叫びという形で
この場を飲み込もうとしていた。
時也は、一瞬だけ顔を顰める。
だが、それだけだった。
笑顔を崩さず
額に滲む汗を隠すように、呼吸を整える。
──そのとき。
「ねぇ、キミ達」
不意に、ライエルの声色が変わった。
そして──
数歩、距離を詰めたかと思えば
ぐい、と時也の腕が引かれた。
「ボクはちょっと時也と話があるから
アリアとソーレンを案内してあげて?」
その声は──ライエルではない。
だが、姿は同じ。
記憶と人格を入れ替えた
もう一つの存在──アライン。
「かしこまりました、アライン様。
貴女たちはアリア様のお世話を。
では、お二人とも、ご案内いたします」
シスター・エミリアが
メイドたちに静かに指示を出すと
アリアの傍らに立った二人のメイドが
丁寧に会釈しながら、彼女の手を取る。
アリアはそれに何も言わず従い
ゆっくりと屋内へと歩を進めた。
ソーレンも
最後にちらりと時也に目をやってから
荷物の山と共にその後を追う。
──そして。
「⋯⋯っ、アラインさん!痛いです!」
時也は
不意に掴まれた腕の痛みに声を上げる。
強引に人気の無い建物の裏手へと引きずられ
壁際へと追いやられる。
その背中が
冷たい石の感触に触れると同時に──
どん!と。
時也のすぐ顔の横に
片手が叩きつけられる。
アラインの眼差しは
明確な怒りを湛えていた。
アリアのことでも、雄叫びでもない。
彼の中に渦巻く、異常なまでの苛立ちが
まるで堰を切ったように
睨み付ける瞳の奥から溢れ出していた。