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太中じゃないです。中太です。(言い訳)
ヨコハマの空は、暴力的なまでの快晴だった。 雲一つない蒼穹は、隣で不機嫌そうに(しかし足取りは羽が生えたように軽く)歩く中原中也の瞳の色を、そのままぶちまけたような鮮やかさだ。
「おい太宰! テメェ、人の財布だと思って勝手に最高級の蟹三昧コース予約してんじゃねぇよ! そもそも今日は、不可侵条約の更新っていう『仕事』のついでだろうが!」
中也は怒鳴り散らしているが、その手は太宰のコートの袖をがっしりと掴んでいる。人混みの中、少しでも目を離せばこの「歩く入水願望」がどこの川に飛び込むか分かったもんじゃない、という建前。だが実際は、指先が触れ合っているその距離感こそが、彼らにとっての「不可侵の聖域」なのだ。
「いいじゃないか中也。堅苦しい会議の後は、美味しいものを食べて、私の美しい心中相手……ではなく、私の可愛い元相棒と語らう。これぞ人生の誉れというものだよ」
「誰が可愛いだ、ブチ殺すぞ!」
太宰はケラケラと笑い、中也の腕に自分の腕を絡めた。二十二歳。ポートマフィアの最年少幹部と探偵社のエース。かつて「双黒」としてヨコハマの闇を支配した二人は、今や白昼堂々、ショッピングモールのど真ん中で痴話喧嘩を繰り広げている。
「見てよ中也、あのペアリング。私たちが着けたら、きっと呪いの魔力が倍増してヨコハマが沈んじゃうね」
「沈むかよ!……つーか、ペアリングなんざ着けなくても、俺とお前の腐れ縁は魂に刻まれてんだろ。今更そんなモンで繋ぎ止める必要がどこにある」
中也がふいっと顔を背けて吐き捨てた言葉は、あまりにも直球な愛の告白に等しかった。太宰は一瞬だけ目を丸くし、それからこれ以上ないほど甘く、蕩けるような微笑を浮かべた。
「……あぁ、そうだね。流石は私の犬だ、たまには良いことを言う」
「犬じゃねぇっつってんだろ!」
高級レストランの個室。窓の外には、宝石を散りばめたようなヨコハマの夜景が広がっている。 テーブルの上には、これでもかというほど肉厚な蟹料理の数々と、中也が「今日のために」とマフィアの地下倉庫から(独断で)持ち出した、数百万は下らないヴィンテージの赤ワイン。
「……美味いね。中也の血より美味しいよ」
「当たり前だ、俺の血はもっと鉄臭ぇよ」
冗談を言い合い、ワインを酌み交わす。 そこには、自分を偽る「なお」もいなければ、足を切断する狂気も、誰かの結婚式を遠くから眺める孤独もない。 ただ、互いの存在が「生きている理由」そのものになっている二人の男が、そこにいた。
「中也」
食事が一段落した頃、太宰が不意に真面目な声を出した。 中也がグラスを置き、眉を寄せる。
「……なんだよ。急にシリアスなツラしやがって。また自殺の勧誘か?」
「いいや。……さっき、中也が『魂に刻まれてる』って言っただろう? あれ、訂正させておくれ」
太宰は椅子から立ち上がり、中也の背後に回ると、その逞しい肩を後ろから抱きしめた。中也の体温が、太宰の冷えやすい肌にじんわりと伝わっていく。
「魂なんて不確かなものじゃない。私の細胞の一つ一つが、君の重力を、君の声を、君の温度を覚えている。……世界が明日終わるとしても、私は君の隣で、君の悪口を言いながら、世界で一番幸せな死体になりたいと思っているんだ」
「……太宰」
中也はため息をつき、頭を後ろに倒して太宰の顔を見上げた。その青い瞳は、慈しみと、呆れと、そして底なしの情愛に満ちている。
「お前は本当に、相変わらず面倒くさい野郎だな。……いいぜ。世界が終わる時も、その次の世界でも、俺がお前を重力で繋ぎ止めてやる。地獄へ行くなら俺も付き合ってやるし、天国へ行くなら俺が門番を殴り飛ばして道を作ってやる」
中也は太宰の首を強引に引き寄せ、深い、深い口づけを交わした。 ワインの芳醇な香りと、互いの体温が混ざり合う。 かつて「心中」を夢見ていた男は、今、この男と「心中」するために、一日でも長く生きようと願っている。
「……大好きだよ、中也。君のその、単純で、力強くて、私を甘やかす天才的な才能が」
「……五月蝿ぇ。……俺もだ。テメェ以外の隣なんて、これっぽっちも想像できねぇよ」
外では、二人の門出を祝うように、ヨコハマの祝杯の汽笛が鳴り響いた。 誰が何と言おうと、これは世界で一番ハッピーな、二人の怪物のための物語。 悲劇も、闇も、すれ違いも、すべては今日この日の「最高に幸せなキス」のためのスパイスでしかなかったのだ。
「さぁ、中也。夜は長いよ。次はどのバーで、私の愛を語らせてくれるかな?」
「一晩中付き合ってやるよ。覚悟しとけ、クソ鯖!」
二人は笑い合い、繋いだ手を離さないまま、光り輝く夜の街へと駆け出していった。 そこには、永遠という名の、終わらない幸福だけが続いていた。