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今日は残業もなく、いつもの時間にひなを迎えに来ることができた。
「ママー! かえりにスーパーいく?」
「行くよ。何か欲しいの?」
「アメ」
「ああ……」
そういえば今朝約束したんだっけ。
ひながあのどんぐり飴を見つけてしまって、欲しがったのよね。でもさすがに今のひなには飴玉が大きすぎる。気をつけて見ていたとしても喉をつまらせないか心配だ。だから、保育園の帰りに飴を買ってあげると約束したのだ。
スーパーへ行くと、ひなは待ちきれないとばかりにお菓子売り場をめざした。
これは飴を手に持たないとまともに買い物が出来ないだろう。
ひなが選んだのは黄色いパッケージのパインアメだ。大切そうに胸の前で持っている。
「ひな、1日3個までだからね。食べ終わったらお水を飲むのよ」
今のところ虫歯ゼロなのだ。ちゃんと歯磨きして欲しいところだけど、飴一つを食べる度に磨くのは無理がある。外出先だと口をゆすぐだけというのも難しい。だから口の中のベタベタを取るだけでいいので、水を飲むように勧めている。
「3こ? すくないー」
「噛まなかったらいいのよ。ひなすぐに噛んじゃうでしょう?」
ひなは飴をなめることができない。すぐに噛んでなくなってしまうのだ。
「えー! かみたい」
「噛んでもいいけど3個は変わりません」
虫歯予防のためよ。
ブーブー文句を言うひなを歩かせながらなんとか買い物を終えた。
前のかごにエコバッグ、後ろにひなを乗せ電動自転車を走らせていく。
いつもの夕方だ。
まだ祖母が亡くなって一週間も経っていない。でも生きている者の日常は流れていくのだ。
いつも通り、淡々と――。
ご飯を食べさせ、週末だからと、ひなのお気に入りのアニメを一緒に見る。
アニメに夢中になると、食べることが止まってしまう。そこが難点なんだけれど、夢中になっている様でさえ可愛い。
ほどけた髪がご飯に付きそうになっていたので、耳にかけてやった。
そうしていつも触ってしまうひなの耳たぶ。ぷくっと垂れ下がっている、いわゆる『福耳』なのだ。
見る度に思い出すのはひなの父親、鷹也のこと。
「この福耳、そっくりだわ……」
「んー? ママなんかいった?」
「え……ううん、何でもないよ」
心の声が漏れていたようだ。
ひなには鷹也のことを一切話していないのに。
今のところ父親のことは聞かれたことがない。母子家庭にしては周りに人がたくさんいるからかもしれない。
それに保育園にはうちのような母子家庭の子が何人かいて、父親がいなくてもてもあまり気にならないようだった。
でも、いつかは聞かれるかもしれない。父親のことを。名前は言わないけれど、鷹也の人となりは言うつもりである。
私たちが結ばれることはなかったけれど、鷹也は私の人生で唯一愛した人だから。
光希さんとの生活を邪魔することはできないから、ひなの存在を告げるつもりはない。
ひなは私が勝手に産んだのだから、絶対に迷惑はかけられない。
ひなには申し訳ないと思う。でも父親がいない分も私がひなを大切にする。ありったけの愛情を注いで幸せにするつもりだ。
「……マ、ママ?」
「え? あ……どうしたの?」
「ごちそうさまー」
いつの間にか食べ終わったひなが、可愛らしく両手を前で合わせている。
「わ、きれいに食べたわねー!」
「ママ?」
「ん? どうした?」
「パインアメたべていい? たべおわったらおみずのむから!」
食後のデザートか……。
「じゃあ、一個だけね」
「やったー」
「それ食べ終わったらお風呂に入ろうね」
「はーい」
ピンポーン
「だれかきた!」
こんな時間に?
ひながインターホンを覗き込んでいる。
夜の8時に訪ねてくる人と言えば――。
「あ、だだっ! はーい。いまあけるねー」
やっぱり。いつも遅くにやってくるのは大輝だけだ。
元々ここは大輝の祖母の家でもあるのだから、よく遊びに来ていた。
もちろん鍵も渡してあるのだが、一応遠慮があるのだろう。
今のようにちゃんとインターホンを鳴らして入ってくる。
「だだ! いらっしゃい!」
「ひな、まだ起きていたのか?」
「ひな、おふろにはいるの。だだ、いっしょにはいろう?」
「こら、ひなー? だだも忙しいのよ? ママと入ろう」
「えー」
ひなは大輝が大好きだから、いつもこんな風に甘える。きっと父親のいないひなにとって、可愛がってくれる大輝が父親代わりなんだろうな。
大輝には申し訳ないけど、いつもこうやって遊びに来てくれるのは有り難い。
「どうしたの? 仕事は?」
「オペの後チームのみんなで食べに行った帰りなんだ。今日はオンコールだけど様子だけ見に来た。……大丈夫か?」
「うん……ありがとうね、疲れているだろうに」
「いや、どっちかというとオペの日はアドレナリンが出て全く疲れも眠気も感じないんだ。俺、今日は執刀したから」
医師5年目の大輝は外科に入局している。
今日は執刀したのか……。それはきっと興奮したことだろう。
「ひな、だだと風呂に入るか?」
「うん! おばあちゃんがかってくれたシャボンだまがあるの」
「おばあちゃんが……?」
「あ、そうなの……。亡くなる前日に、おばあちゃん花まつりに行ったらしいわ。その時に屋台で買ってくれたのよ、ひなが好きだから……」
「そっか……。じゃあだだといっしょにやるぞ!」
大輝と私の共通の悲しみ。
祖母を亡くした悲しみを、こうやって明るい思い出で塗り替えていくのだ。
二人がお風呂に入った後、タオルと着替えを用意し、私はリビングへ戻った。
チェストの上には祖母の小さな遺影と小さな卓上ブーケが置かれている。
祖母は華やかな色のお花が好きだったから、淡いピンクのガーベラを選んだ。
本来ならまだ白のお花を供えるべきなんだろうけど、ここには身内しか訪れないからいいよね。
お花の横には瓶に入ったカラフルなどんぐり飴も添えていた。
祖母が私にくれた最後のプレゼントだから。
「お風呂に入っている間ならバレないよね……」
ひなが欲しがるからなかなか口にすることができなかったけれど、今なら出てくるまで時間がある。
そう思って、私はオレンジ色のどんぐり飴を一つ口の中に入れた。
んー! あ、オレンジは味が濃い! おいしー。
――――――そう思った瞬間、私の意識はまた飛んでいた。