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あーうんがってん承知の助(?)
172
ゆゆゆゆ
その日。
FORSAKENの館では、ちょっとした事件が起きていた。
いや。
正確には事件ですらない。
ただの帽子である。
赤いシルクハット。
主――スペクターが珍しく廊下に置き忘れていった私物。
それだけだった。
本当に、それだけだった。
ノスフェラトゥは廊下を歩いていた。
黒いマントを翻しながら。
いつものように不機嫌そうな顔で。
すると。
角を曲がった先。
赤いシルクハットが置かれていた。
ぽつん。
廊下の真ん中に。
ノスフェラトゥの足が止まる。
「……」
赤い帽子。
スペクターの帽子。
主の帽子。
その瞬間。
条件反射だった。
ビシッ。
ノスフェラトゥは片膝をついた。
背筋を伸ばし。
頭を下げ。
完璧な跪き姿勢。
数秒後。
ノスフェラトゥが気付く。
「……」
「…………」
「………………」
何やってるんだ私は。
固まる。
だが立てない。
なぜなら今さら立ち上がるのも恥ずかしい。
誰にも見られていないことを祈るしかない。
すると。
カツン。
足音。
ノスフェラトゥの顔から血の気が引いた。
嫌な予感しかしない。
振り向きたくない。
振り向けない。
足音は近付く。
そして。
「……何やってんのあいつ」
アズールだった。
最悪。
アズールはしばらく状況を理解しようとしていた。
廊下。
帽子。
跪いてるノスフェラトゥ。
帽子。
ノスフェラトゥ。
帽子。
ノスフェラトゥ。
「……」
「……」
「もしかして」
アズールが聞く。
「スペクター様いると思った?」
「黙れ」
即答。
だが顔が真っ赤。
アズールは吹き出した。
「ちょっ、あはははは!」
「笑うな!!」
「いやだって!」
帽子を指差す。
「相手これだよ!?」
帽子。
ただの帽子。
喋らない。
動かない。
命令もしない。
なのにノスフェラトゥは跪いた。
アズールは壁を叩きながら笑う。
「条件反射じゃん!」
「違う!!」
「完全に条件反射だよ!!」
そこへ。
さらに不運が重なる。
ホスフォラス登場。
「何騒いで――」
帽子を見る。
ノスフェラトゥを見る。
帽子を見る。
ノスフェラトゥを見る。
理解した。
三秒後。
大爆笑。
「帽子に負けた!?」
「スペクター様ですらないのに!?」
「ただの帽子なのに!?」
ノスフェラトゥの耳がぺたりと伏せる。
もう死にたい。
ホスフォラスは涙を拭きながら言った。
「すごいね」
「もう帽子だけで動くんだ」
「犬笛みたいなもんじゃん」
「殺すぞ」
その時だった。
廊下の向こうから足音。
全員が振り向く。
現れたのは。
スペクター本人。
赤い帽子を被っていない。
つまり。
目の前の帽子は本物。
今来たスペクターは予備帽子。
「?」
スペクターは首を傾げる。
床の帽子。
跪いてるノスフェラトゥ。
笑い転げてる二人。
状況を理解する。
沈黙。
そして。
「ふふっ」
笑った。
ノスフェラトゥは終わったと思った。
スペクターは帽子を拾う。
埃を払う。
そして。
ノスフェラトゥの頭にぽん、と乗せた。
「よく守ってくれたね」
アズール、崩壊。
ホスフォラス、呼吸困難。
ノスフェラトゥ。
顔面真っ赤。
その後三日間。
館中で
「帽子守護者」
「帽子騎士」
「シルクハット近衛兵」
などと呼ばれ続けたという。
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