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汚染
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その日。
FORSAKENの館では、ちょっとした事件が起きていた。
いや。
正確には事件ですらない。
ただの帽子である。
赤いシルクハット。
主――スペクターが珍しく廊下に置き忘れていった私物。
それだけだった。
本当に、それだけだった。
ノスフェラトゥは廊下を歩いていた。
黒いマントを翻しながら。
いつものように不機嫌そうな顔で。
すると。
角を曲がった先。
赤いシルクハットが置かれていた。
ぽつん。
廊下の真ん中に。
ノスフェラトゥの足が止まる。
「……」
赤い帽子。
スペクターの帽子。
主の帽子。
その瞬間。
条件反射だった。
ビシッ。
ノスフェラトゥは片膝をついた。
背筋を伸ばし。
頭を下げ。
完璧な跪き姿勢。
数秒後。
ノスフェラトゥが気付く。
「……」
「…………」
「………………」
何やってるんだ私は。
固まる。
だが立てない。
なぜなら今さら立ち上がるのも恥ずかしい。
誰にも見られていないことを祈るしかない。
すると。
カツン。
足音。
ノスフェラトゥの顔から血の気が引いた。
嫌な予感しかしない。
振り向きたくない。
振り向けない。
足音は近付く。
そして。
「……何やってんのあいつ」
アズールだった。
最悪。
アズールはしばらく状況を理解しようとしていた。
廊下。
帽子。
跪いてるノスフェラトゥ。
帽子。
ノスフェラトゥ。
帽子。
ノスフェラトゥ。
「……」
「……」
「もしかして」
アズールが聞く。
「スペクター様いると思った?」
「黙れ」
即答。
だが顔が真っ赤。
アズールは吹き出した。
「ちょっ、あはははは!」
「笑うな!!」
「いやだって!」
帽子を指差す。
「相手これだよ!?」
帽子。
ただの帽子。
喋らない。
動かない。
命令もしない。
なのにノスフェラトゥは跪いた。
アズールは壁を叩きながら笑う。
「条件反射じゃん!」
「違う!!」
「完全に条件反射だよ!!」
そこへ。
さらに不運が重なる。
ホスフォラス登場。
「何騒いで――」
帽子を見る。
ノスフェラトゥを見る。
帽子を見る。
ノスフェラトゥを見る。
理解した。
三秒後。
大爆笑。
「帽子に負けた!?」
「スペクター様ですらないのに!?」
「ただの帽子なのに!?」
ノスフェラトゥの耳がぺたりと伏せる。
もう死にたい。
ホスフォラスは涙を拭きながら言った。
「すごいね」
「もう帽子だけで動くんだ」
「犬笛みたいなもんじゃん」
「殺すぞ」
その時だった。
廊下の向こうから足音。
全員が振り向く。
現れたのは。
スペクター本人。
赤い帽子を被っていない。
つまり。
目の前の帽子は本物。
今来たスペクターは予備帽子。
「?」
スペクターは首を傾げる。
床の帽子。
跪いてるノスフェラトゥ。
笑い転げてる二人。
状況を理解する。
沈黙。
そして。
「ふふっ」
笑った。
ノスフェラトゥは終わったと思った。
スペクターは帽子を拾う。
埃を払う。
そして。
ノスフェラトゥの頭にぽん、と乗せた。
「よく守ってくれたね」
アズール、崩壊。
ホスフォラス、呼吸困難。
ノスフェラトゥ。
顔面真っ赤。
その後三日間。
館中で
「帽子守護者」
「帽子騎士」
「シルクハット近衛兵」
などと呼ばれ続けたという。