テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
11,230
#veeronica
ゆ♨️
352
#azure
ゆ♨️
134
FORSAKENの神殿では、毎日のように行われる恒例行事がある。
それは、支配者スペクターによる愛猫Mowlのブラッシング。
誰よりも美しい毛並みを保つため。
……という建前であり、実際はスペクター様が思う存分モフモフを堪能するための、至福の時間でもあった。
「今日は一段とフワフワだねぇ。」
スペクターは上機嫌で笑いながら、金属製のスリッカーブラシを手に取った。
「奥の抜け毛まで綺麗にしよう!」
ガリッ。
ガリガリッ。
ガリガリガリッ!
「……っ!」
Mowlの耳がぴくりと震える。
毛先だけではなく、皮膚ごと引っ張られるような刺激。
毛根がじわりと悲鳴を上げた。
「スペクター様……。」
低い声で、静かに忠告する。
「もう少々、お力加減を……。」
「大丈夫大丈夫! まだまだいけるよ!」
ガリガリガリガリッ!
「……。」
ぴく。
ぴくぴく。
黒ハチワレの耳が小刻みに震えた。
アズールが小声で囁く。
「……止めた方がいいんじゃないかな。」
ノスフェラトゥも頷く。
「今の耳、危険信号だ。」
しかしスペクターは気付かない。
「今日はいっぱい抜けるね!」
ガリッ!!
その瞬間だった。
ぷつん。
何かが切れた。
「シャアアアアアアアアアアッ!!」
神殿中に轟く、凄まじい威嚇。
Mowlの全身の毛並みが、
ぶわっ!!
と一斉に逆立つ。
ふわふわだった毛並みは、まるでハリネズミ。
いや。
巨大なウニそのものだった。
胸の黄色いリボンはトゲの中へ埋もれ、
茶色のマントは逆立った毛に押し上げられ、
丸かったシルエットは完全な防御形態へ変貌する。
耳は後ろへぴたり。
瞳孔は細く。
口元から覗く鋭い牙。
「……これ以上。」
低く唸る。
「私めの毛根を痛めるのでしたら。」
一歩前へ。
「たとえスペクター様でも。」
爪がシャキンと伸びる。
「容赦はいたしません。」
「シャアッ!!」
バシィッ!!
空を切る高速猫パンチ。
紳士の姿はどこにもない。
そこにいたのは、
完全武装した怒れる猫だった。
「ひぃっ!」
アズールが触手を逆立てる。
「Mowl殿が本気で怒ってる!」
「初めて見た……。」
ノスフェラトゥも青ざめる。
「これは本当にまずい。」
神殿で最も忠実な配下。
そのMowlが敵意を見せている。
誰もが最悪の展開を覚悟した。
しかし。
ただ一人だけ。
様子がおかしい人物がいた。
「…………。」
スペクターは固まっていた。
数秒後。
「~~~~~~~~っ!!」
顔が一気に崩壊する。
「ぎゃわいいぃぃぃっっ!!」
「えっ。」
「怒ってる!!」
「イカ耳!!」
「牙出してる!!」
「毛が全部トゲトゲ!!」
「世界一可愛い威嚇だよ!!」
目が完全にハートになっていた。
「Mowlが怒ってるーーー!!」
「レア!!」
「超レア!!」
「可愛いーーー!!」
「シャアアッ!!」
バシッ!!
「いたっ!」
頬を引っかかれる。
だが。
「今の猫パンチ最高!!」
さらに笑顔になる。
「爪まで立ててる!」
「怒ってるのに可愛い!」
「もう一回やって!」
「シャアッ!!」
「ありがとう!!」
アズールが頭を抱えた。
「なんで喜んでるんですか!」
ノスフェラトゥも呆れる。
「怒られて喜ぶ人、初めて見た。」
Mowlは完全に呆れ果てた。
「……。」
ぷいっ。
くるりと背を向ける。
そのまま神殿の隅まで歩いていき、
壁へ向かって丸くなる。
トゲトゲのまま。
完全無視。
完全ストライキ。
背中から漂う空気は、
『話しかけるな』
その一言だった。
「……。」
スペクターの笑顔が止まる。
「Mowl?」
返事なし。
「……怒っちゃった。」
肩が落ちる。
「どうしよう。」
アズールを見る。
「僕、嫌われちゃったかな。」
「だから言ったじゃないですか!」
「力加減ですよ!」
「まず謝ってください!」
「あと機嫌が直る物を。」
「機嫌が直る物……。」
スペクターは考えた。
一秒。
二秒。
「……ササミだ。」
立ち上がる。
「ササミしかない!」
次元の裂け目を開き、
全速力で宝物庫へ飛び込んでいった。
数分後。
神殿に戻ってきたスペクターは、
金色の巨大な宝箱を抱えていた。
壁へ向かったままのMowlの横へ静かに膝をつく。
「Mowl。」
優しく声を掛ける。
「ごめんね。」
「痛かったよね。」
「僕が悪かった。」
静かに宝箱を開く。
ぱかり。
中いっぱいに詰まっていたのは、
宝石でも黄金でもない。
最高級アラスカ産ササミ。
金箔仕立て。
百パック。
香ばしい香りがふわりと広がる。
「全部あげる。」
「僕のササミコレクション。」
「全部。」
「許してくれないかな。」
「…………。」
沈黙。
やがて。
イカ耳がぴくり。
鼻がひくひく。
トゲトゲだった毛が、
少しだけ寝る。
「……。」
さらに匂いを嗅ぐ。
「……スペクター様。」
低い声。
「私めは。」
一歩。
「食べ物程度で。」
もう一歩。
「買収されるような。」
さらに一歩。
「安い猫では。」
トゲが半分消える。
「ございません。」
前脚が宝箱へ伸びた。
一パック。
そっと掴む。
ぺりっ。
開封。
ぱくっ。
「…………。」
もぐ。
もぐもぐ。
「…………。」
もう一口。
「…………。」
三口目。
「…………。」
毛並みが完全に元へ戻る。
ふわっ。
モフモフ復活。
耳も立つ。
「……しかし。」
口元についたササミを舐めながら、
静かに咳払い。
「ここまで誠意を見せていただいた以上。」
もう一パック開封。
「臣下として。」
ぱく。
「無下にはできません。」
もぐもぐ。
「今回は。」
さらに一口。
「特別に。」
ぺろ。
「お許しいたします。」
「やったーーーーっ!!」
スペクターは飛び上がった。
だが今度は慎重だった。
指先で、
本当に羽が触れるくらいの力加減で、
そっと。
ふわり。
Mowlの顎を撫でる。
「これからは優しくする。」
「約束。」
Mowlは目を細める。
「……そのお言葉。」
喉を鳴らしながら。
「どうか。」
ゴロゴロゴロ……。
「お忘れなきよう。」
その喉音を聞いた瞬間。
スペクターは胸を押さえて悶絶した。
「許してくれたうえにゴロゴロまで……!」
「今日は世界で一番幸せだ……!」
こうして神殿史上もっとも激しいブラッシング・ストライキは、最高級ササミ百パックと誠心誠意の謝罪によって無事終結した。
なお翌日からスペクターは、ブラシを握る前に必ずMowlへ、
「今日はこのくらいの力で大丈夫?」
と確認するようになり、
Mowlも満足そうに胸の黄色いリボンを整えながら、
「……そのくらいなら合格にございます。」
と、重厚な低音ボイスで許可を出すのが、新たな日課となった。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!