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ユカリとノンネットは旧シュジュニカ王家の墓地の前で立ち尽くして話し込む。地面は濡れているし、勧められたとしても這いつくばった加護官の背中に座る気にはなれない、たとえそれが修行だとしても。
「その馬を盗んだ馬泥棒が、海から真珠を盗んだ泥棒でもある、と」ノンネットはユカリに確認する。
ユカリは控えめに首を振って否む。「真珠についてはまだ推測の域を出ない。ただ珍しい真珠を持ってたから他にも持ってるんじゃないかなって」
ノンネットは首を傾け眉を寄せる。「いくら何でも言いがかりに思えますが」
「もうシュジュニカ中を探し回って、他に怪しい人はいないんだよ。それにどちらにしてもユビスを返してもらう必要があるんだから」
「それは、まあ、そうなのでしょうけど」と言ってノンネットは言い淀む。
「そういうわけだから、この墓地で目撃情報があったらしいんだけど、今日慰霊に来たノンネットが見ていないのなら、もう行かないと」
振り返ろうとするユカリをノンネットは呼び止める。「待ってください、エイカさん」
立ち止まり、振り返るがノンネットと目が合わない。「何? どうかした?」
ノンネットは言葉を探し、口にする。「その、そう、ユビスはどのように盗まれたのですか?」
「どのように?」ユカリは首を傾げる。「宿の馬丁に預けていた時のことだから詳しくは分からないけど」
「それが、もしかしたら」と言ってノンネットは言葉を選ぶように押し黙る。「毛長馬を取り戻すための手がかりになるかもしれませんよね?」
「ん? まあ、うん。でも今からサンヴィアまで聞きに戻るわけにもいかないでしょ。ねえ? どうかした? ノンネット。何か言いにくいことでもあるの?」
どうにも妙な態度だ、それは、あるいは、まるで、引き留められているかのよう。
ユカリは嫌な予感がして振り返り、菖蒲色の外套を翻す。墓地の入り口で待っているのは盗賊の一人だけだった。
あれだけいた加護官が一人もいない。その名の通り、かれらは護女を守るための存在だ。それが一人を残すこともなく立ち去るなんてことがあるだろうか? 護女より重要な何かがあるとすれば、とユカリは考える。護女自身の命令くらいだろうか。
再びノンネットの方を振り返り、ふと気づく。
「毛長馬って、私言ってないよね?」とユカリは問う。
「いえ、仰ってました」とノンネットはすぐさま答える。
いや、言っていない。
何を隠してる? 何を知ってる? 本当は馬泥棒を目撃した? それで毛長馬だと知っていた? ユビスは昨日この街の盗賊仲間たちから見失われ、だけどノンネットは今日ここへ来た。それはこの街の盗賊仲間たちの話からも間違いない。ユビスも馬泥棒もノンネットが直接見たわけではないはずだ。
ノンネットの後ろに聳える六つの青銅像に今気づいたかのようにユカリは見上げる。そして一つのもっともらしい推測に至る。
亡霊が昨日までに馬泥棒を目撃していて、ノンネットはそれを今日亡霊から聞いたのだ。だとしてもノンネットたちは馬泥棒に何の用があるというのだろう。
ノンネットから数歩退く。ノンネットはただ純粋に見つめ返す。
「エイカさんが救済機構を、魔導書の取り扱いを信用できないのは理解できます」とノンネットは静かながら強い口調で言う。「しかしながらそれは拙僧どもの立場においても同じことです」
ノンネットたちは、馬泥棒が、あるいは真珠が、魔導書に関係していると踏んだのだ。それはひとえにユカリが、魔導書収集家である魔法少女が関わっている事柄だからだ。
ユカリはそれ以上ノンネットに何も言わず、別れの言葉も無しに一人待っていてくれた盗賊の元へ駆け戻る。
ユカリは辺りを見回して盗賊に尋ねる。「加護官はどっちに行きました?」
「加護官?」
「さっきの集団です。炎の刺繍を背負った黒衣の」
「墓地を出て西に行ったぞ」
「彼らも馬泥棒を追っています。私は直接追いますのでお頭に伝えてください」
ユカリもまた墓地を出て、グリュエーと共に西へと走る。前方には北高地の山脈、神々の生み出した巨大な壁、世界の終末と救済を描いた壁画が聳えている。
アギノアと馬泥棒が西へ去ったのであれば、彼らは大隧道を通り抜けられるということだろうか。だとすれば加護官たちにも追いつくことは不可能だ、ユビスに追いつく手段などそう多くはないはずだ。
ユカリは救済機構の寺院を見つけると、グリュエーの助けを借りて、その敷地で、かつこの街で最も高い建物である灯篭塔の頂に上る。加護官たちが見えはしないかと上ったのだが、この街は大通りといえる道も蛇行し、建物が入り組んでいて見通しが悪かった。それに思いのほか東西に延びた街で、北高地の大きさのあまりユカリは距離感を把握できていなかった。
そして加護官たちが、相手は毛長馬だと分かっていて追った理由が分かる。大隧道の巨大な門だけではなく、この城邑を取り囲む城壁、その門の全てが閉じられている。
これも護女であるノンネットが行ったのだろうか。考えてみれば救済機構はこの国の事実上の統治者であり、最高の権威を持つ聖女の候補者が護女なのだ。相当の権力を有していても何もおかしくないだろう。閉じられているのはこの街だけではないかもしれない。道々の関所とて封鎖される可能性が高い。
ユカリは灯篭塔の足元に僧侶が集まってきたことに気づいてその場を離れ、大隧道の閉鎖された門へと急ぐ。
カウレンの城邑の濡れた草に覆われた屋根々々の上を駆け抜けて大隧道門の元へ来る。近くで見てもそれは壁にしか見えない。開けるのも閉めるのもどれだけの人出が必要なのか想像もつかない。
ユカリの降り立った屋根は春は盛りと特に生い茂り、野花を求めてきた蝶と蝶をからかいにきた蜜の妖精が憩っていた。
大隧道の巨大門の前には広場がある。人々が広場に溢れかえっているのは急に大隧道を通れなくなったからだろうか。
馬に跨った加護官の一団も見つける。今まさに数組みに散らばるところだ。その様子から判断するに馬泥棒は大隧道越えを阻止され、まだこの街にいるということだ。
ユカリは広場を見渡す。ユビスは目立つ。ここにはもういないだろう。
ふと視界の端で何かが閃き、そちらへ目を向けると幾度も幾度も派手に火花が散っていた。何者か二人が剣を打ち合っている。ユカリは屋根伝いにそちらへ移動する。
一人は探し人、円套を羽織り、青銅の鎧に身を包んだ武人、馬泥棒だ。もう一人は剣を振るっていることを除けばシグニカの一般的な服装だ。上下の揃いは重ね毛皮で、これといった装飾のない衣。顔かたちは精悍な戦士そのものだが、特別シグニカという国で珍しいものでもない。全体的に整っているが銅色の髪だけはまるで鳥の巣だ。
その二人の打ち合いは尋常のものではない。鳥の巣頭の戦士の突き出す剣は空気を切り裂く重い音を鳴らし、青銅鎧の武人が振るう剣は石畳に当たっても抵抗なく振り抜かれる。
その剣の打ち合う音はまるで昼を知らせる鐘の音のように響き渡り、散らばる火花、放たれる閃光は星の瞬きのようだ。最初は遠巻きに野次馬していた人々もシグニカの野原屋根に隠れていた妖精たちも、その恐ろしい音の聞こえない場所を求めるように逃げていく。加護官ですら逃げないまでも、二人の斬り結びに近寄れないでいる。石畳が割れて弾けて、礫を浴びた加護官の馬が一頭暴れ出す。
ユカリは加護官以外の野次馬に気づく。ドボルグ率いる盗賊団の面々も広場に集まってきたようだった。全員がそろっている。
そして今まで二人の剣士の斬り合いに気を引かれ、そこから遠ざかろうとしつつも腰を抜かしたのか、這って逃げる憐れな人物にユカリは気づき、手助けしようとその者のもとへ足早に駆け付ける。そして、そのもとにたどり着く前に、それが喪服の貴婦人アギノアだと気づいた。未だに喪服を着ている。
「アギノアさん。大丈夫ですか?」と言ってユカリはアギノアに手を貸して立たせる。
アギノアの冷たくて硬い感触を思い出す。この人もあの馬泥棒と同じように中に鎧でも着こんでいるのだろうか。
「ああ、ユカリさん。お恥ずかしいところを見られました。こんな所でこんな時に再会するだなんて奇縁なものです」
ユカリはアギノアを一騎打ちから離しつつ話す。「あの人がアギノアさんの言ってた連れの方ですか?」
前にアギノアが持っていた小さな鞄と似た拵えの大きな鞄を、その青銅鎧の武人は背負って戦っている。
「そうです。突然、あのぼさぼさ髪の方に襲われてしまって。私どうしたらいいのか」
ユカリは辺りを見回して言う。「アギノアさん。ユビスはどこ?」
「ユビス、というのは?」
言われてみればアギノアたちは別にユカリたちの馬を狙って盗んだわけではないのだと気づく。
ふと貴婦人の面紗の向こうの視線を感じ、ユカリは自身の腰に目をやる。そこに小さく存在した真珠の刀剣リンガ・ミルは今まさに光を放っていた。七色の光の粒が波打つように柄から刃へ、刃から柄へ。まるで小さな生き物の鼓動のように点滅している。ユカリが想像していた光り方とちょっと違っていて、少し不気味に感じた。
「アギノアさん」とユカリは言って面紗越しにアギノアと面と向かう。「私、最高傑作、と誉れ高い真珠を探しているんです。お持ちではないですか?」
気が付くと盗賊たちが今まさにアギノアを逃すまいと取り囲もうとしているところだった。
しかしそれに気づいたアギノアはユカリを突き飛ばし、盗賊たちの間をすり抜け、裏通りの方へと逃げ込んだ。こんなことが以前にもあったことにユカリは気づく。その時はアギノアを助けようと追いかけたが、今度は捕まえなくてはならない。
ユカリは素早く屋根の上に飛び上がるが、すぐに失敗に気づく。屋根に生える草のために細い裏道が隠されてしまっていた。
盗賊たちの怒声を追い、やはり地上へと降りる。運よく、アギノアに先回りしたが、その喪服の逃亡者はさらに脇の道へと逃げ込む。
しかし、今度もまた、そこは行き止まりだった。そしてまたもやアギノアの姿はなかった。雨樋から滴り落ちる水音だけが追手を嘲笑うように響いている。
「くそ。魔術か。どこに行きやがった」とユカリの背後で言ったのはドボルグだった。
ユカリは魔法少女の杖を掲げ、蓄えていた水を裏道に一挙に溢れかえらせた。その場にいる全員が足を取られて流される。しかしアギノアの姿を見出すことはできなかった。
頭が野太い悲鳴を上げて文句を言う。「おい、何しやがるんだ、嬢ちゃん」
「透明になっているのなら、これで見つからないかなって。どうやらそう簡単ではなさそうです」
ユカリは頭を切り替える。どのような魔術で消えたのか分からない。他に対処法は思いつかない。今できることがあるとすれば、と思考を巡らせ、アギノアの連れ、青銅鎧の武人が思い当たる。
今度は屋根を通って再び隧道門前の広場に戻った。
既に勝負は決していた。勝者は鳥の巣頭の戦士だ。青銅鎧の武人は力が抜けたように巨体を横たえている。しかし鎧が剥がされている様子も血を流している様子もない。あれだけ派手に打ち合っておいて最後は徒手で絞め落とされたのだろうか。
いつの間にか二人のそばにユビスがいて、鳥の巣頭の戦士は軽々と馬泥棒の巨体を持ち上げて、その毛深い背中に乗せ、自身も跨る。
「ユビス! どこに行くの!?」
ぼさぼさ髪の戦士はユカリの叫びを聞いて少しこちらを見たが、ユビスを駆って走り去ってしまった
ユカリは魔法少女の杖から再び大量の水を、しかし今度は一点に絞り、ユビスを狙って放出する。だが銅色の鳥の巣の戦士がそうさせたのかユビスは易々と避けてみせ、曲がりくねる道の向こうに消えた。
「水ばかりだな、嬢ちゃん」と言ってドボルグが苦笑する。
「毛が水を吸って足が遅くなるんですよ。避けられちゃいましたけど。さあ、どちらにしてもそう簡単にこの城邑からは出られないはずです。追いかけますよ」
「待て。まずは隠れるぞ」とドボルグ。
見れば加護官だけでなく、沢山の僧侶、それも武装した僧兵らしき者たちが集まってきている。
少し悩むが、無闇にユビスを追っても追いつけないのは分かり切っている。ユカリもひとまずは身を隠すことに決めた。
とはいえ、現状は芳しくない。アギノアを見失い、意図の分からない第三者に馬泥棒を連れ去られたことは何もかもが白紙に戻ってしまったことに近い。連れがさらわれたことにアギノアは気づいているのだろうか。気づいていたとして、どのような出方を見せるのだろうか。