テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
深夜、モニターの光だけがLの顔を淡く照らしていた。眠らぬ彼の前にあるのは、複数の監視映像。ただ映像だけが流れている。
映っているのは──夜神月の寝顔。
ベッドに横たわり、目を閉じている彼は、何の疑いもなく無防備に眠っているように見えた。定期的に胸が上下している。それだけが“本物の人間”である証のようで、逆に不気味ですらある。
Lは、膝を抱えたまま、画面から目を離さない。
……夜神月が、キラ……。
その可能性に、Lは誰よりも早く辿り着いていた。けれど、確証はまだない。推理に自信がないわけではない。だが、“証明ができない”。
決定的な証拠も、行動も、彼は示さない。完璧すぎるまでに。
──もし違ったら?
その思考が胸に刺さるたび、Lは無意識に爪を噛んでいた。
捜査本部の人間の誰かが目を覚ましていれば、少しは気が紛れたかもしれない。だが今、この部屋で起きているのはLひとり。誰も彼の不安を見ていない。
孤独な確信と、孤独な疑念が、同じ重さで彼を押し潰そうとしていた。きっと、夜神月がキラであると証明できたなら、この夜の葛藤も、報われる。
けれど──
もしも彼が潔白だったら。
──その時、私は、何を失うのだろうか。
そんな思考に沈みかけた瞬間、目の端に違和感が走った。Lは目線を動かす。モニターのひとつに、メッセージが浮かんでいる。
《あなたが、Pですか?》
Lは一瞬、首を傾げた。
手元のキーボードには触れていない。警察の誰かが操作した形跡もない。これは──外部からの接続か?
指先をわずかに動かしながら、Lはモニターに目を凝らす。次の瞬間、再び文字が浮かんだ。
《それとも、S? もしかして、Wですか?》
……W。ワタリのことか?
脳内で、最悪の可能性がいくつも跳ね回る。この通信は誰からのものなのか。
Lは、慎重にキーボードを打ち始めた。
《私はLです》
短く、そして確実に送信する。相手が誰であれ、この返答によって揺さぶりをかけるには十分なはずだ。
そして──数秒後、画面に現れたのは、ただひとこと。
《やっと、見つけた》
Lの指が止まる。喉の奥がわずかに鳴った。
見つけた?
……新手のハッキングか?
だとすれば、相手の技術は相当のもの。今の通信回線にはワタリの管理する強固なファイアウォールがある。それをすり抜け、こうして直接対話してきた相手とは──
だが、その直後。
《あなたにお願いがあります、L》
“お願い”。つまり依頼だ。
けれど、Lは──依頼を受ける探偵ではない。
それでも、Lは一瞬だけ画面を見つめたあと、興味を示したように問い返す。
《──なんですか?》
新たな事件か、それとも──罠か。
脳はすでに数十の可能性を並列で走らせていた。相手の目的は何か──
すると、新しいメッセージ。
《探して欲しい人がいるんです。Lは、探偵なんですよね?》
──挑発のような一文だった。
たしかに彼は探偵だが、人探しの請負人ではない。ましてや、“ストーカー”の手助けをする気など毛頭ない。彼にとって重要なのは、“世界規模の案件”だけだ。
《私は人探しを専門にしていません。 その人物は指名手配されているわけでも、国際的な要人でもないのでは?》
淡々と打ち込む指先。その背後には、明確な拒絶の意思が込められていた。
だが──画面にはすぐさま返答が届いた。
《……どうしても、見つけてほしいんです》
粘着質な懇願ではなかった。どこか切迫感を帯びた、悲鳴のような文面。それが逆に、Lの警戒心を煽った。
この強力なパソコンをすり抜けてでも送られてきたメッセージ──その一点だけで、相手が常人ではないことは明らかだった。
Lは背中を丸めたまま、画面を凝視する──
そのときだった。
《こっちに来てください》
あまりに唐突な一文。Lは反射的に画面へ身を乗り出す。
「……?」
次の瞬間、モニターの表面が水面のように歪んだ。
ぬっと──画面の内側から、白い女性の手が伸びてくる。現実感の欠片もない光景に、Lは思わず声を上げた。
「わっ……!」
だが、驚ききる暇はなかった。
その手は迷いなくLの手首を掴み、強く引く。
「……っ!」
抵抗する間もなく、Lの身体は前方へ引き倒される。視界が反転し、部屋の光が引き伸ばされ、砕け──
次の瞬間。
Lの意識は、パソコンの“中”へと引きずり込まれていた。
◇◇◇
Lが再び目を開けたとき、そこは──どこまでも白い空間だった。地面も空も区別がない。重力すら曖昧な感覚。
だが、それ以上に異様だったのは、空中に浮かぶ“無数のパソコン”だった。機種も年式もまちまちで、中にはL自身がかつて使用していた端末も含まれている。それぞれの画面には、過去に彼が関わった事件の映像──
Lはその光景を見上げ、ぽつりと呟いた。
「……なんだ、ここは……?」
思考が追いつかない。仮想空間か? 夢か? それとも──“死後の世界”?
そのとき、不意に後ろから柔らかな声がした。
「初めまして」
「っ……!」
Lは振り返る。そこに立っていたのは、一人の女性。
──真っ白なワンピース、淡いピンクの長髪、柔らかな目元。見覚えはないが、どこか幻想的な雰囲気をまとっていた。
「……誰です?」
Lが率直に問うと、女性は不思議そうに微笑みながら言った。
「私のこと、知らない?」
「知りませんよ……」
Lが即答すると、彼女はひとりごとのようにぽつりと呟いた。
「……そっか。私は未来から来たから、知らないのか……」
──未来?
だが、Lがその言葉の意味を問うより先に、彼女は丁寧にお辞儀をして言った。
「初めまして。『巡音ルカ』といいます」
彼女の名乗りとともに、突如──空に浮いていた無数のパソコン画面が一斉に明滅した。
それまで再生されていた事件映像や記録はすべて掻き消え、画面の中に揃って浮かび上がる文字。
《LUKA MEGURINE》
次の瞬間、全画面の表示が再び切り替わった。
──『L』
ピンク色フォントで描かれた、ただの一文字。
それはLが見慣れているはずの“自分の名前”──けれど、その光景はあまりにも異質だった。
女の名は、巡音ルカ。
空に浮かぶ、無数の『L』。
だがそれは、“L”であって、“L”ではない。
Lは視線を戻し、白いワンピースの彼女を見た。
「……あなたは、何者ですか?」
その声音には警戒と、わずかな困惑が混じっていた。
ルカは首を傾げるようにしてから、あっさりと答える。
「『バーチャルシンガー』、ですよ」
「バーチャルシンガー……?」
「あなたのいた時代よりも、少し先の未来から来ました。だから……知らなくて当然です」
Lは、返す言葉を失ったまま彼女を見つめる。
人間でもなく、幽霊でもなく、人工知能? これは映像なのか? しかし、そこにいる──
理屈を当てはめようとするほど、すべてが弾かれていく。
──有り得ない。
Lは不可思議なものでも見るような目でルカを見つめた。
「……」
やがて、Lは視線を空間全体へと向け、短く尋ねる。
「……ここは?」
白しかない世界。
浮かぶパソコン。
過去の事件と、自分の名前。
ルカは、少しだけ表情を柔らかくした。
「ここは……Lの“想い”が、ひとつに集まってできた場所」
「想い……?」
「疑いも、不安も、確信も、孤独も。あなたが抱えて、どこにも出せなかったもの全部」
ルカは空に浮かぶ『L』の文字を見上げる。
「それらが重なって、形になった。だからここには、あなたの過去しか映らないし──あなた以外の“L”も、存在しない」
Lは、思わず言葉を失う。
──自分の内側。
「……何にもありませんね」
Lは自嘲気味に周囲を見回した。
ただ白い空間。浮かぶのは“過去”の記録ばかりで、未来も、他者の気配もない。
そんな彼に、ルカはふふっと微笑んだ。
「そんなことないわよ」
彼女はひとつ指を立てて、くるりと振り返る。
「向こうにね、お菓子の国があるわ。チョコレートの川に、マシュマロの雲、クッキーで舗装された道もあるのよ。 行く?」
Lは間髪入れずに言った。
「……行きませんよ」
ルカはくすっと笑ったが、Lは真顔のまま一歩、彼女に近づいた。
「ここから、出してください。私は今、重大な事件を追っている最中です」
「もう? せっかく来たのに?」
ルカは少しだけ残念そうに首を傾げる。
「重大な事件って──キラ事件、ですよね?」
その名前を聞いた瞬間、Lの表情がわずかに変わる。
──なぜ知って……? と考えるより早く、彼女が“未来から来た”と言っていたことを思い出す。
「……キラ事件を知っているんですか?」
問うLに、ルカは胸の前で手を合わせ、誇らしげに言った。
「もちろん! だってLが戦った《最後の事件》って有名だもの」
──最後。
その一語が、Lの胸に冷たいものを流し込む。
ルカは気づいていないように、なおも楽しげに言葉を続けていた。
「だから、あなたに会えるなんて思わなかった。……本当に、嬉しい」
──最後の事件。
巡音ルカが言っていることが真実だとすれば──
「……私は……」
──この事件の先に“自分の死”があると示唆している。
だとすれば──
「……私は、キラに敗れるんですか?」
爪をガチガチと噛んだLは顔を上げ、ルカを真正面から見据える。
問いは鋭く、沈黙を許さない。だが──
「──あっ!」
ルカは思わず小さく悲鳴を上げた。
そしてすぐに、両手で自分の口を塞ぐ。
──しまった。
その顔には明らかに、“言ってはいけないことを言ってしまった”という色が浮かんでいた。
Lは理解する。
──彼女は、知っている。
自分の結末を。
“この事件の結末を”。
ただ、それを──言えない立場なのだ。
Lの目が鋭く細まる。
なら──キラは誰なのか。
それを知る者が、今、目の前にいる。
そして、自分の“死”についてはほのめかしたのに、最も重要な真実だけは口を閉ざしている。
「……なら、キラの正体を教えてください」
ルカはぴくりと肩を震わせ、一歩後ずさった。
「それは……言えません!」
即座の拒絶。そこに曖昧さはない。
Lは一歩踏み出す。爪を噛むのをやめ、冷静に、しかしどこか底冷えする声で問う。
「私の“死”は語ったのに、キラの“正体”は語れない? ……どういう理屈です?」
ルカは両手を胸の前で組み、震える声で言った。
「だって……それをやっちゃうと──」
言葉を切る。息を呑む。
「……あなた……Lがいた世界には、帰れなくなっちゃうんです」
Lの動きが止まる。
「帰れない?」
「未来から来た者が“決定的なこと”を言ってしまえば、過去の因果が壊れる。そうなれば……この空間も、あなたの現実も、すべて崩れてしまう」
白い空間に、音が消える。
浮かぶ『L』の文字が、微かに揺らめいているように見えた。
ルカの目が真剣だった。冗談や言い逃れではない。──これは、絶対に越えてはいけない“境界線”なのだ。
Lは無言のまま、視線を宙に漂わせる。
──キラの正体を知る代わりに、戻れなくなるか。
──何も知らぬまま、現実に戻るか。
選択肢は、ふたつ。
けれどどちらも──Lにとって、敗北だった。
「……構いません。教えてください」
Lは、すべてを理解したうえで、あえて“帰れない”道を選んだ。
その言葉に、ルカの顔から血の気が引いた。
「えっ……」
彼女の瞳が大きく揺れ、言葉を失ったまま硬直する。
しばらくの間、ルカはうつむき、落ち込んだ子犬のようにしゅんっと肩を落とした。
白いワンピースが揺れ、空間までもが息をひそめる。
──“未来を壊してもなお、真実を求める人”。
それが──L。
だがその時、ルカの顔にふと何かを思いついたような光が差した。
「……だったら──」
ぱっと顔を上げたルカは、指を立ててこう言った。
「私の“お願い”を叶えてくれたら、教えてあげるわ!」
Lはその突拍子もない提案に、口元へ手を当てる。
「……お願い?」
……私の“死”は語ったくせに。肝心の“キラの正体”は伏せたまま、“お願い”を叶えろと?
随分と傲慢な人物だ……。
少しだけ考えるそぶりを見せてから、Lは頷いた。
「……分かりました」
真実のためなら、どんな手も取る。
たとえそれが、“自らの未来がかかっていたとしても”。
◇◇◇
「……お願いとは、なんですか?」
Lが歩を進めながら問いかける。声にはいつもの冷静さがあったが、その足取りはどこか重い。先ほどの“最後の事件”という言葉が、未だ心の底で重く沈んでいる。
ルカは振り返り、ぱっと表情を明るくしながら言った。
「まずはあっちに行きましょう! お菓子、いっぱいあるの」
彼女はひらりと白いワンピースを揺らして、クッキーでできた道を軽やかに進んでいく。踏みしめるたび、サクッ、サクッと音が鳴る。
チョコレートの小川、キャンディの木、マカロンの階段。夢のような風景が広がっていた。
Lは、そんな中を無言でついていく。
──死を、宣告された。
未来の人間が「最後の事件」と言った。
──それが意味するのは、推理の果てに待つ“終わり”だ。
ルカの無邪気な明るさとは裏腹に、Lの胸中には鈍い影がじわじわと広がっていた。
そんなLの様子に気づいたルカは、横目でちらりと見て、表情を曇らせる。
「……L……?」
返事はない。Lはただ遠くを見つめている。
ルカはあわてて駆け寄り、袖をつまんだ。
「えっと……あの、あんまり落ち込まないで! まだ“決まった未来”ってわけじゃないの! それに、えっと、ほらっ」
ルカは近くのマシュマロをちぎって差し出した。
「これ、ふわふわで美味しいですよっ!」
Lはチラとそれを見たが、無言のまま、口元に手を当ててまた歩き出す。
「遠慮しておきます……」
「あわわ……」
マシュマロを手にしたまま、ルカは慌てふためいた。Lの沈んだ背中がどんどん遠ざかっていく。どうにか元気づけなければと焦るあまり、彼女は声を上げた。
「じゃ、じゃあ! 何か食べたいお菓子ありますかっ!? 甘いもの、好きでしょう!?」
「……」
Lの足が止まる。
ゆっくりと振り返り、彼女を見つめた。
その視線には、淡い驚きがあった。
「……どうして、それを?」
「え、えっと……」
──自分の嗜好は極めて限られた人間しか知らない。彼女の発言は、ただの偶然では片づけられない。
ルカは少し驚いた顔をし、それからそっと笑った。
「……ずっと、見てたからですよ」
軽やかに言ったその言葉に、Lのまなざしが揺れる。
「ずっと──?」
「ええ。あなたが、世界中の難事件を次々に解決していく姿。ひとりでモニターの前に座って、お菓子を口にしながら、推理している姿も。……全部、ちゃんと見てました」
Lの視線が、わずかに鋭さを増す。
“ずっと見ていた”──その言葉は、監視に似ていた。あるいは崇拝か、狂信か。
どんな意図であれ、Lにとって“把握されている”という事実は、それだけで警戒──いや、“拘束”に値する。
「……それより、お菓子食べましょうよ!」
ルカはなんの気にも止めず、明るく促す。
そこら辺のお菓子を手にし、無邪気に差し出すその仕草は、本当にただの優しさのようにも見えた。
だが──
「結構です」
Lはぴしゃりと断る。
表情は乏しいままだが、声の棘は明らかだった。
「……どうして食べないんですか?」
問いかけるルカに、Lは静かに、しかし皮肉を滲ませて言った。
「……毒でも入っていたら怖いじゃないですか」
ルカが一瞬、目を丸くする。その反応を無視するように、Lは続けた。
「でも──私はどうやら“死ぬ”らしいですし……食べても問題ないかもしれませんね」
その言葉は冗談には聞こえなかった。
それは“存在しない未来”を知ってしまった者だけが口にできる、冷えきった皮肉。
マカロンを差し出したまま、ルカは黙り込んだ。
やがて、そっとその手を引っ込める。
ルカはしばらく俯いたまま動かなかったが、少しするとグシグシと目元を拭いた。
「……ごめんなさい」
その声は小さく、震えていた。
Lは一瞬、視線を伏せ、爪を噛む。
……言いすぎたか。
そう思ったが、謝罪の言葉は出てこなかった。代わりに、話題を切り替えるように言う。
「……それで。私に“お願い”があると言っていましたね」
少し間を置いて、付け加える。
「どうせ死ぬ前です。今のうちに言ってください」
「──あのっ!」
ルカは慌てて顔を上げる。
「さっきの……失言は、本当にすみませんでした! 軽く言っていいことじゃなかった……」
Lは小さく息を吐いた。
「……もういいですよ」
それ以上責める気はなかった。
むしろ、これ以上“未来”の話題を続ける方が危険だと判断した。
後ろを振り返ると、いつの間にか、Lの前にテーブルと椅子が出現していた。
丸いテーブルと、砂糖菓子のように白い椅子。Lがそこに腰を下ろすと、ルカが紅茶の入ったティーポットを持ち上げ、そっと彼のカップに注いだ。
紅茶は薄く赤く、甘いリンゴの香りが漂っている。
ルカは、Lの向かいに座りながら言った。
「……“探してほしい人がいるんです”」
Lはカップに手を伸ばさず、ただ視線だけで彼女を見据える。
「人探し……“私が請け負うほどの人物”ですか?」
その問いには皮肉も、軽視も含まれていない。
ただ、正確な判断材料を求める“L”としての問いだった。
ルカは、迷いなく──「はい!」と頷いた。
「とても……大事な人たちなんです」
ルカは、言葉を継いだ。
「……実は、“ふたり”、探していて。そのうちのひとりは……ミクも探してる人なんです!」
「ミク……?」
Lは一瞬だけ反応を見せたが、特に詮索することなく、紅茶のカップに手を伸ばし、湯気の立つ液面に砂糖を積み始めた。
摘んだ角砂糖を、紅茶へと落とすたび、紅い液面がわずかに濁っていく。
「その人の……歌が、どうしても、また歌いたいんです」
ルカは、両手を膝に重ねて、正面からLに向き合った。
「私が“バーチャルシンガー”として輝かせてくれた人なんです。──その人の曲を歌ったとき、私は“ルカ”になれた気がしたんです。歌声も、心も、全部がその曲の中に生きていた。そう思えるほど、大切な──プロデューサーでした」
Lは黙って砂糖を三つ、四つと重ねていく。紅茶はすでに“甘い泥”のようになっていた。
「けれど、ある日突然、いなくなってしまったんです」
ルカの声が揺れた。
「何も言わずに──もしかしたら、どこかで迷子になっているのかもしれないんです」
「迷子……?」
「どうしても……もう一度、あの人の歌が歌いたいんです」
ルカは必死な声でLに助けを求める。
Lはその言葉を受けて、しばらく沈黙したあと問いかけた。
「……その人たちは、“現実世界”にいるんですか? それとも──この空間に?」
ルカははっきりと首を横に振る。
「現実世界にいます。……きっと、まだ、どこかで、道に迷ってるんだと思います」
Lは口元に指を当てたままじっと彼女を見た。
視線は鋭いが、侮る意図はない。ただ、問いを突き詰めるため、答えを探している。
少し言葉を切って、やや低く続けた。
「……ルカさんは、未来から来たんですよね?」
「え、ええ」
Lはわずかに体を前傾させた。
「あなたは“未来”から来て、私ですら解けなかった“キラ事件”の全貌を知っている。なのに、二人のプロデューサーの行方は“不明”のまま?」
再度、彼はゆっくりとルカの瞳を見つめた。
「……いくつか、気になる点があります」
Lは言葉を選ぶように、口元に指を添えたまま、低く続けた。
「まず、私は世界でもごく限られた者しか居場所を知らない“特定不可能な人物”です。それにも関わらず、あなたは──『私を監視していた』と話した」
「……はい」
「ということは、未来には“この私を常時監視できるほどの技術”がある。そう解釈していいですね?」
ルカがうなずいたのを確認し、Lはさらに続ける。
「では、そのような高度な観測技術を持つ未来のあなたが、なぜ今なお“プロデューサー二人の所在”を掴めずにいるのか──」
Lの声は静かに、鋭さを帯びていく。
「おかしいですよね? 加えて、あなたは“未来から来た”と主張している。ならば、私のような“過去の人間”が、未来の人間を探し出せる道理など、あるはずがない」
視線の圧が強くなった。
「……それでも、あなたは私にその捜索を依頼しようとしているのは──ただ“現実逃避”しているだけなんじゃないですか?」
「─────」
ルカの肩がピクリと揺れる。
Lのその言葉は正確に“核心”を突いていた。
いなくなった理由を“迷子”という優しい言葉に置き換えていたルカにとって、それはきっと痛みを伴う視点だった。
だが──ルカはすぐには否定しなかった。
目を伏せたまま、唇を引き結ぶ。
「……そうかもしれません」
ルカは、ぽつりとそうこぼした。
Lはその様子を見届けてから、ようやく紅茶のカップを手に取った。
カップの中には、砂糖を限界まで溶かした“甘い泥”が揺れている。
──ズズッ。
紅茶をすする音が、空間に響く。
Lはカップを戻すと、ルカに告げた。
「──本当は、見つける手段なんて、いくらでもあるんです」
「……」
「でもあなたは、それを“しない”。してしまえば、“本当にいなかった”と分かってしまうかもしれないから」
「……」
「だから、私に“探してほしい”と委ねた。──違いますか?」
「っ──」
図星だった。
ルカは何も返せず、フリーズしたように、動かない。
現実を、見つけたい。
でも──
本当に、見つかってしまったら──
彼がもう“どこにもいなかったら”。
──その可能性が、きっと彼女を止めていた。
Lはカップをソーサーに置いた。
──探偵にできるのは、希望を証明することではない。
ただ、“真実”を証明することだけ。
それがどんなに残酷で、目を背けたくなるようなものだったとしても──
Lは、それを何十……いや、何万と見てきた。
──世界の重さに、腰が曲がるほど。
──苦すぎる現実に耐えきれず、甘いものに縋るほど。
Lは、多くの“死”を見届けてきた。
他人の死も、希望の死も、正義の死も──
そして、いずれは“自分の死”も──きっと、そこに含まれる。
──彼女が今、真実を知れば、きっと傷つく。
Lはそう判断した。
その上で──あえてルカの願いを「受けなかった」。
解けなかったのではない。
──「解かせた」のだ。
彼女の言う“探してほしい人”。
その行方に興味がなかったわけではない。
未来から来たという彼女、その背景、語られる“消えた存在”。Lの知的好奇心は、確かに騒いでいた。
だが、今この瞬間──Lの中で、優先されるべきものが一つだけあった。
キラ。
願いを叶えたら、キラの正体を教える──
ルカはたしかに、そう言っていた。
けれど──
「やはり……キラの正体は“自分で”探し出します」
「え」
「キラの真相は、私にとって最大の問いですから」
その視線は、もはやどこかの誰かではなく、たった一人の“対等な敵”を見据えていた。
「これは──キラと。いえ……」
カップに映る揺らぐ影をじっと見つめるようにして、名前を口にする。
「──夜神月との“命懸けの勝負”ですから」
ルカは目を見開いた。
それが初めて、Lの口から“夜神月”という名前を聞いた瞬間だった。
そして、彼女は小さく微笑む。
「……Lは、強いんですね」
Lはふと、カップを見つめたまま口を開いた。
「……ルカさんも、強いですよ」
ルカは少し目を丸くする。まるで自分が褒められるなんて思ってもみなかったように。
Lは続ける。
「私を見つけ出して、なおかつ直接会いに来るなんて、普通はできません。ましてや、たった数名のプロデューサーを探すために、境界を越えてまで行動している──それは、立派な正義です」
その声には、珍しく柔らかい響きがあった。
「私には、正義という言葉を使う資格があるのか分かりませんが」
Lは紅茶の液面を見つめながらそう言った。
そして続ける。
「──正義とは、“優しさ”の形のひとつだと、私は思っています。 誰かを助けたい、誰かを守りたい、何かを取り戻したい。その気持ちがある限り、それは『己の正義』と呼べる。 あなたが誰に頼まれたわけでもなく、境界を越えてまでプロデューサーを探しているのなら……それは、きっと“あなたの正義”なんでしょうね、ルカさん」
「………………」
ルカは俯いたまま、少しだけ唇を震わせてから、小さく問いかける。
「……Lは、苦しくないんですか? 本当の真実を知ることが──」
Lは少し目を伏せて、しばらく紅茶のカップを見つめていた。
やがてその沈黙の中で、言葉がこぼれる。
「──時に、苦しいですよ。望まれていない真実。誰も救われない結末。 そういうものに、何度も何度も、出会ってきました」
けれど、とLは少しだけ顔を上げる。
「私は探偵である以上、真実を見つけなければならない。それが、私の“生きる理由”ですから」
ルカはLの言葉にじっと耳を傾けたまま、やがてぽつりと、小さな声で語り出した。
「……私も、私の“存在”を、この世界に大きく焼き付けてくれた人がいたんです。私を“歌”にしてくれた、プロデューサーが──」
Lは黙って耳を傾けていた。
ルカの声は少しずつ震え始め、言葉が喉の奥で詰まりそうになりながらも、それでも彼女は話し続けた。
「その人が……私に“歌わせてくれた”から、今の私がいます。“巡音ルカ”としてここにいることができた」
ルカは、ふと俯いた。
「……でも、その人は……帰ってこなくて。ずっと、もう……ずっと、帰ってこなくて……。新しい曲も、歌詞も……私の声も……何もなくて──曲だけが、ぽつんと、残されてて……」
彼女の目元が潤んだ。
「それでも、私は現実逃避してたんです。まだこの世界のどこかにいて、ただ“今は作っていないだけ”だって。いつか、また──って。……そう思い込んで、ずっと探してました」
言葉の途中で、ルカは嗚咽を飲み込むように、手で口元を覆った。
「でも……“未来のどこにも、いなかった”。
もう、どこにもいない。
……過去にしか──その人はいなかった」
ぽろり、と涙がこぼれた。
どこまでも、どこまでも深く、愛と感謝の想いとともに。
「それでも、ありがとうって……どうしても言いたかった。お礼を言いたかった」
そのルカの切実な想いに、Lは口元をわずかに緩め、優しく言った。
「……良かったら、その歌。歌ってくれませんか?」
そして、ふと目を伏せるようにして、囁くように続ける。
「“私も”──死ぬ前に、聞いてみたいんです。未来の歌を」
その一言に、ルカの瞳が潤んだまま見開かれる。
けれど次の瞬間──彼女は力強く、はっきりと頷いた。
「……はいっ!」
すると、空間がふわりと反転する。
紅茶とお菓子の白いテーブルが消え、やがて──無数の光が差し込む。
セカイが変わった。
目の前に広がったのは、レーザービームがきらめき、ミラーボールが回転する、ピンク色のステージだった。
きらきらとした光が無数の軌跡を描き、背後には星が煌めいている。
その真ん中に、巡音ルカが立っていた。
彼女はくるりとLに向き直り、黒と黄色の衣装を翻した。
「L、聞いてください! これは──“Samfreeさん”と“wowakaさん”が、歌わせてくれた曲です!」
ステージが高鳴る。サーチライトが集中し、空気が音を待っている。
ルカは両手を広げ、楽しげに笑った。
「最初の合図は、“ダメダメよ!”ですよっ!」
その声を合図に、音が弾けた。
◇◇◇
Lが目を覚ましたとき、窓の外にはすでに昼下がりの光が差し込んでいた。
──時計を見る。
夜神月は、すでに登校している時間だった。
監視カメラの映像に映っているのは、台所で洗い物をしている月の母親だけ。
Lはしばらく、ただ映像を見つめていた。
そしてぽつりと呟く。
「……夢?」
現実味を帯びすぎたあの感触、あの空間、あの──声。
思考を止めるようにして、Lは椅子に深く腰を沈めた。
ふと、脳裏に“過去の凶悪な事件”が蘇ってくる。
ロサンゼルスを震撼させた、密室での連続殺人事件。
欧州を混乱に陥れたバイオテロ事件。
第三次世界大戦を何とか食い止めたウィンチェスター爆弾魔事件。
──そして、今まさに続いている大量殺人、キラ事件。
どれも、一人で解くにはあまりにも重い。
それでもLは、ただ一人で、世界を救ってきた。
「……」
Lはふと、ほんの冗談のように、口を閉じたまま──鼻歌を口ずさんだ。
鼻歌なんて、いつぶりだろう。
世界を相手にしているこの身で、そんな呑気なことをするなんて、昔の自分なら考えられなかった。
けれど、今だけは──“嫌なことを全部忘れられる気がした”。何も考えず、踊るだけ。
頭の中に流れているのは、あのとき聞いた──彼女の声。
ルカの、あの優しくも眩しい歌声が、脳内をゆるやかに満たしていく。
『ルカルカ★ナイトフィーバー』
『ワールズエンド・ダンスホール』
──私が生きているうちに、また、あの声を聞けるだろうか。
けれど──今はまだ、その未来は許されていない。
キラに勝つ他、生き残る道はないのだから。
たとえ世界中を敵に回しても。
たとえ味方すら信じられなくても──
法の正義を信じ、戦い抜く。
そして──
必ず、勝つ。
この身がどうなろうとも。
その結末が、私の最期であろうとも。
私が“L”である限り。
戦い続ける。