テラーノベル
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レイはすぐに台所に顔を覗かせた。
だけど入ってくるなり足を止め、私の向いを見つめる。
『あぁ、レイ。今日はありがとうね、助かったわ。
それで学校はどうだった? 迷わずに行けた?』
けい子さんの問いに、レイは『はい』と短く頷いた。
だけど視線は拓海くんに向けたままで、知らない人が家にいる状態に当惑しているようだった。
『……あの、この方は?』
遠慮がちに尋ねたレイに、けい子さんは拓海くんの傍に立って言った。
『紹介するわ。こっちは息子の拓海。
普段は大阪の大学に通ってるんだけど、夏休みで帰省してきたの』
『あぁ、そうなんですね。
初めまして。 レイ・フィリップです』
レイは拓海くんがだれだかわかると、いつも通りの穏やかな微笑みを向けた。
対する拓海くんは、驚いた顔のまま固まっている。
『あぁ……初めまして、拓海です』
やっと返事をした拓海くんは、「澪!」と、すぐに私の腕を引っ張った。
「なんなの、こいついつからいるの?
てか、ゲストがこんな若い男だなんて聞いてねーよ!」
耳打ちされ、私は無意識にレイを見てしまう。
だけど彼がこちらを向いていたから、意図せず目が合い、慌てて逸らした。
「えぇーっと。
いつからって、6月のはじめだった……と思うけど」
「それで9月までって、3か月もいんのかよ!
ありえねー!」
拓海くんは納得できないらしく、小声でうなった。
「そうそう、澪。
今朝言えずじまいだったけど、レイと学校で会った?」
そこでふと、けい子さんが思い出したように尋ね、場が持たずにみたらし団子を食べようとしていた私は、危うく喉に詰めそうになった。
「っていうか、けい子さん!
レイが来るなら先に教えておいてほしかったよ……!」
むせながら抗議すれば、けい子さんは「ごめんごめん」と軽い調子で言った。
「だって急に決まったんだもの。昨日の朝にね。
もともと予定してた人が風邪ひいちゃって」
けい子さんは細かいことを気にしないタチで、だいたいがこんなふうにあっけらかんとしている。
その様子から文句を言っても無駄だと悟り、私はため息をこらえて団子を一気にほおばった。
「なぁ、話が見えねーけどさ。
なにこの人、今日澪の学校行ってたの?」
拓海くんがレイを横目に見ながら、けい子さんに尋ねる。
「そうよ、少し前に市から英会話のボランティアの依頼が入ってね。
レイにピンチヒッターをお願いしちゃった」
「しちゃったって……。
そんな軽いノリでゲストに行かせるって、おかしーだろ!」
拓海くんたちが言い合っている横で、私は「ごちそうさま」と、そそくさと手を合わせた。
これ以上この話の中にいれば、学校でのことを思い出して顔が赤くなるし、なにか聞かれたらボロを出してしまいそうだ。
『レ、レイ。 今部屋の掃除をしてもいい?
昨日出かけてて、できなかったし』
本当は話しかけたくないけど、この場を離れる口実は、これしか思いつかなかった。
『あぁ、そんなのべつに構わないのに』
『ううん、シーツだけでも替えたいんだ』
レイはやんわり断るけど、ここで引き下がるわけにはいかない。
だけど、けい子さんが立ちっぱなしの彼に椅子を勧めてから、私に言った。
『澪、レイにもみたらし団子食べてもらうから、掃除はあとにしてくれる?』
(あぁ……)
うちのルールだと、掃除はゲストの前が基本だから、そう言われると頷くしかない。
「わかった」と肩を落としかけた時、レイが顔をあげた。
『ミオ。
悪いんだけど、掃除をするなら、先にうちの部屋の窓をあけておいてくれないか?
2階は絶対に暑いからさ』
『えっ?
……あっ、うん。わかった!』
まさかそんなことを言われると思わなかったけど、これはラッキーだ。
私はすぐに頷いて、階段を駆け上がる。
さっと部屋着に着替え、レイの部屋に入れば、熱気が廊下へ流れてきた。
「うわっ、暑っつー」
独り言をこぼしながら、窓をあけ放つ。
爽やかな風とは言い難いけど、それでも風が入ると気分的にましだ。
私は窓辺に立ち、庭を眺めながら短いため息をつく。
あの場にいづらかったとはいえ、掃除はレイが見てる中でやるから、これはこれで気まずい。
(……もう、レイのバカ)
彼にとってはキスなんてどうってことないんだろうけど、こっちはそんなふうに思えない。
心の中で文句を言いつつぼんやりしていると、窓から蚊が1匹入ってきた。
(わっ)
慌てて叩こうとするけど、思いのほか速くてうまくいかない。
何度も外して部屋の中を行ったり来たりしているうちに、蚊を仕留めた時には、レイの荷物に足をかけてしまった。
まずいと急いで視線を落とせば、彼のリュックからなにかが転がった。
あけた窓から射しこんだ光が、一点を輝かせている。
(え、これ……)
恐るおそるしゃがみ込んだと同時に、心臓が大きく波打った。
銀色の指輪だった。
私は指輪をしたことがないけど、それでもこれが男物じゃないことだけはわかる。
鼓動はどんどん速くなり、見てはいけないものを見たような気持ちが襲った。
私は咄嗟にレイのリュックに目を移す。
サイドポケットが開いているのに気付き、私は隠すように指輪を中に入れた。