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昼休み。窓が開けられた教室には、遠くのグラウンドの歓声が風に乗って流れ込んでいた。
だが、この教室には、笑い声とシャッター音と、乾いた叩打の音しかなかった。
遥は、教壇横の壁際に立たされていた。
両手を後ろに組まされ、壁に押しつけられる形で。
周囲には数人の男子と女子。
スマホを構えながら、半笑いで遥の身体を眺めている。
「ほら、腕下げんなって。立ってんだろ? “姿勢”悪いの、気になるわ」
「てかさ、あれやってよ。昨日の、“あの台詞”。な?」
誰かが遥の腹を拳で軽く殴る。
ドン、と鈍い音。
遥の身体がわずかに折れるが、すぐに戻る。
「……“気持ちいいです”って、言っときゃ満足なんでしょ」
そう呟いて、遥は口の端だけで笑った。
声に感情はない。
ただ、言わされる前に“差し出す”ような口調。
だが、それは「お前らの方が必死に見えるけど?」という含みを持っていた。
「いや、言わせてる感ないと、つまんねーんだよ。ちゃんと“お願いされた風”にやれよ。な?」
今度は女子が後ろから遥の肩を押す。
壁にぐっと額が当たり、擦れた音がする。
「“言わせて”ください、って。……言って」
遥はしばらく黙っていた。
壁に額をつけたまま、小さく息を吐いて──笑った。
「……“言わせて”ください。……あんたらの、好きな通りに」
一拍。
「言っとくけど、別に“嫌”とは言ってないから」
静かなざわめきと笑いが広がる。
女子が笑いながら、遥の頬を指で押す。
「え〜、マジで楽になってきてんじゃん? ねえ、やっぱ好きなんじゃないの? こういうの」
「……別に。楽とか、嫌とか、あんたらが決めてくれるんでしょ?」
遥の声はかすれていたが、妙に芯があった。
静かに、受け入れているように見せながら、その実、“任せるふりして見下してる”ような響きがあった。
「てか、叩くならちゃんと当てたら? さっきの、ぜんっぜん効いてなかったし」
挑発。
男子が苦笑して、遥の腹をもう一発。
今度は明らかに強い音が響いた。
膝が落ちかけるが、遥は耐えた。
そのまま、薄く笑った。
「……うん。そっちは、ちゃんと“本気”だった」
その言葉に、誰かがまた笑った。
「やば、煽ってんじゃん」「あいつの方が上手くね?」
「でもさぁ、お前さっき“言わせてください”って言ってたのに、煽ってんのマジ意味わかんなくね?」
「どっちなん? どっちが“本音”? 言ってみ?」
遥は、答えない。
ただ、唇の端を少しだけ上げた。
その目は、笑っていない。
──答える気なんて、はじめからないのだ。
「……決めた方が、楽でしょ? “オレが好きでやってる”って。……そっちの方が、叩きやすいんでしょ?」
ピクリと誰かの手が動く。
シャッター音。
乾いた笑い。
そのまま誰かが、遥の後頭部に手を置いて押しつける。
ぐっと背を丸めさせ、額が机に当たる音。
それでも遥は、黙っていた。
ただ、少しだけ首をかしげて、息を吐いた。
まるで、「これくらいなら、やる意味ないんじゃない?」とでも言いたげな、見下した沈黙。
誰かが笑った。
誰かが蹴った。
けれど、遥は声を上げなかった。
──誰も気づかない。
この行動すべてが、「あえてやらせている」ことに。
「言わせている」と見せて、実際には「何も奪わせていない」ことに。
その“反転した構造”に。
ただ一人。
日下部だけが、その目を伏せた。