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カイトは自室のドアをそっと開けた。
すでに深夜のため、家の中は静まり返っている。
カイトは音を立てないように玄関に向かい、外に出た。
ランタンを持ったタニアが、いたずらがバレた子どものような笑みを浮かべていた。
「こんばんは、カイトさん」
モフモフがのそりと起きだし、カイトにすり寄ってきた。頭を撫でてやりながら、タニアに問う。
「どうしたんですか、こんな夜更けに」
「ごめんなさい。でもカイトさんとお話をしたくて」
「それは構いませんが……」
「立ち話もなんなんで、あたしの家に来ませんか?」
タニアは、気まずげに言った。
正直なところ、こんな夜更けに、一人暮らしの若い女性の家に行くのはよくない。ただ……。
──タニアのためにも、村に残ってほしい。
ハンスの言葉を思いだした。
自分はタニアに慕われている……という感覚も、おそらく勘違いではないと思う。
無論、だからといって性急に事を推し進めていいわけでもない。
断ろうとカイトは思ったが、そこで言葉を呑み込んだ。
タニアの表情に、切実さを感じたからだ。
今にも涙がこぼれそうなほど、感情の高ぶりを感じる。
カイトはため息をついた。
「少しだけですよ」
タニアの表情が、暗がりでもわかるくらいパッと華やいだ。
* * *
夜の村は静かだった。
虫のさざめきや草木の葉音。
カイトとタニアの息遣いや、足音が聞こえるのみだ。
満天の星空のもと、タニアの持つランタンの灯りが周囲を照らす。
夢の中に迷い込んだような、幻想的な雰囲気だった。
まもなくタニアの家についた。
一人で住むには大きすぎる、彼女の家。
村に来て最初に招かれた場所が、ここだった。
あれから数日しか経っていないが、どこか懐かしさを感じてしまう。
カイトとタニアは、テーブルに向かい合って座った。
タニアの淹れてくれたお茶を飲む。
少し冷えていた身体が温まっていった。
「それで、話したいこととは?」
カイトが尋ねた。
タニアは少し視線を落とし、話し始めた。
「あたしのことを話したかったんです」
「タニアさんのこと?」
タニアは頷いた。
「あたしの両親が、幼い頃に病気で亡くなったのはお話しましたよね」
「はい」
「本当なら、涙ながらに語るべきなんですけど……両親については、あんまり悲しくないんですよね。あたしが三歳の頃でしたから。もちろん両親がいない寂しさはありますよ。でも記憶がないから、そこまで悲しい気持ちはあふれてこないんです」
カイトは頷いた。
彼女の気持ちがわかる気がした。
そう、大事なのは記憶なのだ。
両親とか、恋人とか、友人とか──それがどんなに大切な存在だとしても、そのことに関する記憶がなければ、喪失の悲しみは湧いてこない。
積み重ねてきた記憶こそが、大切な人を大切な人たらしめている。
「だから、あたしにとって一番大切な家族はルシオお兄ちゃんなんです」
話しているタニアの表情がほころんだ。
「お兄ちゃんは、本当に優しくて、すごくて、頼りがいがあって……。両親を亡くしたときは十三歳でした。まだまだ子どもの時分なのに、年の離れた妹の世話をしながら働いて、生活を支えてくれたんです」
タニアが称賛するのも頷ける。
一人で生きるだけでも大変だろうに、幼い妹を育てながら働いていたなんて。
想像を絶する苦労だったことだろう。
「でも、あたしはバカで、子どもで、空気が読めなくて」
タニアは苦笑いを浮かべた。
「お兄ちゃんが帰ってきたら、いつも遊びをせがんでました。……本当にもう、過去に戻れるとしたら、あたしはあたしを叱ってますよ」
カイトは笑みを浮かべ、かぶりを振った。
「幼い頃に大人の苦労を推し量るなんてできっこないですよ」
と、当たり前のように口にしたが、自分にはその記憶がないことに気づく。
一般的な常識、感覚として出たセリフなのか。
それとも頭の中には当時の記憶が眠っているのか。
カイトが思考を巡らせていると。
タニアが、アハハ、と力なく笑った。
「そうですね……。でも、本当に、お兄ちゃんはすごかったんですよ。疲れていただろうに、あたしの遊びに付き合ってくれて。特に思い出に残ってるのが、東の森に遊びに行ったことです」
「東の森というと……」
「そう、カイトさんと出会った場所です!」
ルシオは、タニアを連れて東の森に向かった。
そこで山菜集め競争や、木の実集め競争をしようと言ったそうだ。
タニアは苦笑した。
「今思い返してみると、遊びと称してお手伝いをさせられてただけですね。お兄ちゃんにまんまと騙されてました」
カイトも釣られて笑った。
「賢いお兄さんだったんですね」
「そうなんです。あたしも夢中になって、たくさん集めた記憶があります」
タニアはそこで、ふうっと息を吐いた。
「お兄ちゃんが優しいのは、その後に純粋に遊んでくれたことですね」
山菜と木の実を集め終わった後、鬼ごっこやかくれんぼをしてくれたそうだ。
「あの森でですか?」
「ええ。当時は魔物の凶暴化もなかったですからね。村の外で遊んでいても、それほど危険じゃなかったんですよ。特に東の森は、魔物はおろか、危険な野生動物もいなかったですし」
タニアは、微笑を浮かべながらも視線を落とした。
「でも、かくれんぼであたしが鬼になったときです。お兄ちゃんを見つけられなくて……。すごく怖くて、不安になって。最後にはもう鬼の役目を忘れて、泣きながらお兄ちゃんを探しました。そして」
泣きながらさまよい、たどり着いた場所があった。
「森の中に、そこだけ木が生えていなくて、ぽっかりと開けた場所があるんです」
カイトははっとした。
(俺が目覚めた場所か……)
「そこだけ光が差し込んで、すごく神秘的な場所なんです。そこにお兄ちゃんがいたんです。ボンヤリと寝転がって、空を見ていました」
タニアは駆け寄り、ルシオに抱きついた。
ルシオは頭を撫でつつも、寝転がったまま空を見つめていた。
釣られてタニアも寝転び、空を見つめた。
「森の中から見たあの空は、今でも思いだすことができます。雲一つない透き通るような空でした。あんなに綺麗で、爽やかな空は、これまで見たことがありません」
タニアとルシオは、しばらく空に見入っていたという。
「お兄ちゃんが亡くなってからも……あたしはよくあの森の、あの場所に行くようになりました。心細くて、寂しい時……かくれんぼをしていたあのときのことを思いだしちゃうんです。あの場所に行けば、お兄ちゃんが寝転がっている気がして……」
瞬間、タニアの両目から涙がこぼれた。
「でも、あの場所にはもう、誰もいないんです。それを認めるたびに、あたしは……!」
タニアは流れ出る涙を拭い、顔を上げた。
「あの日も、あの場所に向かう予定だったんです。でも魔物が現れて──殺されるんだって思いました。もちろん怖かったけれど、これでお兄ちゃんに会えるんだって、そういう思いもありました。でも、そんなとき」
タニアの潤んだ両目が、まっすぐにこちらを見据えてくる。
「カイトさんが駆けつけてくれたんです」
タニアは、涙を流しながら微笑んだ。
「本当に、本当に、嬉しかった……! まるでお兄ちゃんと再会できたみたいな感覚でした……!」
彼女は身を乗り出した。
「お願いします、カイトさん! どうか、この村に留まってください!」
カイトは、ようやく理解した。
タニアが話したかったことは、そのことだったのだ。
「あたしはもう、一人になりたくありません……! あたし、あたし……カイトさんのことが……!」
タニアは嗚咽を漏らし、声を上げて泣いた。
後から後から涙があふれ、止まる気配がない。
カイトは立ち上がり、タニアのそばに行った。
「タニアさん。俺は、つくづく思うんです。最初に出会った人があなたで本当に良かった、と」
タニアが見上げてくる。
涙でグシャグシャになった顔だが、とても美しかった。
「記憶喪失になって、自分が誰かもわからなくて、どこに行けば良いのかもわからなくて……。そんな寄る辺ない俺を受け入れ、村に溶け込めるように尽力してくれて。本当に感謝しているんです」
「そんな、あたしは、当然のことをしただけで……」
タニアはしゃっくりあげながら言葉を紡いだ。
カイトは、タニアから視線を逸らし、俯いた。
「ただ、ここに留まることで、記憶が戻るのかというと……その可能性は低い気がします。根拠があるわけではないんですが、そんな予感がするんです」
タニアの表情が不安げになった。
その先に続く言葉を恐れているようだった。
「もしかしたら俺は、大事なことを忘れているのかもしれない。──ここに留まることで、その大事なことを、永遠に思いだせないかもしれない。そんな予感もします」
タニアの両目から、再び涙があふれた。
だがすぐに、カイトは笑みを浮かべた。
「でも、そういった不吉な予感を抑えつけてでも……あなたを、タニアさんを守りたいという気持ちになったんです」
タニアの顔に、笑みが浮かんだ。
「カイトさん……!」
カイトは頷く。
「タニアさん。俺、この村に残ります」
カイトがそう告げると、タニアは勢いよく立ち上がり、カイトに抱きついてきた。
麗太
#女主人公