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#パワハラ上司
#インフルエンサー
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大学の広大な講義室
最背後の席に陣取った私は、教授の退屈な講釈など一文字も耳に入れず
吸い寄せられるようにスマホの画面を凝視していた。
机の下で構えたレンズの先には、現実の風景を拒絶するように発光する私の顔がある。
『シンクロ率:60%』。
最近では、インカメラを自分に向けた瞬間に、物理的な「吸着感」を覚える。
電子の粒子が私の毛穴ひとつひとつに潜り込み、肌の裏側から神経を侵食していくような感覚。
フィルターが馴染むたびに
心臓の鼓動は暴力的なまでに速まり、私の生存を画面の中へと繋ぎ止めていた。
「奈緒……?」
不意に隣に落ちた影に、私は心臓を素手で掴まれたように大きく肩を揺らした。
美咲だ。
だが、そこにいたのは、キャンパスの女神と謳われた彼女の成れの果てだった。
突き刺すような初夏の日差しの中でも
彼女は深くフードを被り、顔の半分以上を不自然なほど大きなマスクで覆い隠している。
「美咲? どうしたの、その格好……風邪でも引いたの?」
「……ううん。ちょっとね、肌荒れがひどくて。外に出るのも怖いくらい」
美咲の声は、枯れ葉が擦れ合うような、カサカサに乾いた響きを帯びていた。
ふと、彼女の隠しきれていない首元に目をやった瞬間、私は息を呑んだ。
そこには、赤黒い斑点のようなものが無数に浮き出ている。
……いや、それは斑点などではない。
まるで古くなったシールが端から剥がれかけているような、不自然な「段差」が皮膚に生じているのだ。
「見ないで。……今の私は、汚いから」
美咲は拒絶するように顔を背けた。
常に完璧で、誰からも羨望の眼差しを向けられていた彼女が、今、私の前で惨めに怯えている。
その光栄な光景を目にした瞬間、私の心の最暗部で、ドロリと濁った優越感が鎌首をもたげた。
「大丈夫だよ、美咲。私がついてる。……ねえ、これ、見て」
私は慰めるような仕草で、自分のスマホを彼女の方へ向けた。
画面の中には、加工の極致に至った、世界で一番美しく───
そして「美咲よりも美咲らしい」私が、傲慢なまでに完璧な笑みを浮かべていた。
「見て。今の私、本物の美咲より美咲らしいと思わない?」
私の言葉に、美咲の細い肩がビクリと跳ねた。
彼女はゆっくりと、呪われた人形のように顔を上げると、マスクの隙間から私を凝視した。
その瞳は、かつての煌めきをすべて失い、底の知れない泥のように濁りきっている。
「……そう。そうだね、奈緒。本当に、綺麗だよ。私よりも、ずっと」
美咲が笑った。
マスク越しでもわかるほど、口角が生物学的に不可能な角度まで吊り上がる。
彼女は震える手を伸ばし、私の頬に触れた。
その指先は、雪の下の土壌のように氷のように冷たく、生気を感じさせない。
「どんどん、吸い取って。私の『残り』も、全部あげるから。……それが、私たちの約束だもんね」
「え……?」
美咲が手を離した瞬間、私のスマホが悲鳴のような激しいバイブレーションを上げた。
暗転した画面に浮かび上がったのは、網膜を刺すような真っ赤な警告文字。
『シンクロ率:75%────まもなく、オリジナルとの統合を開始します』
美咲はそのまま、よろよろと幽霊のような足取りで立ち上がり、講義室を去っていった。
彼女が去った後の無機質な椅子の上には
薄茶色の、乾いたカサブタのような
「皮膚の破片」がひらりと一枚、不吉な花びらのように落ちていた。