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俺の名はルードヴィッヒ。
この広大な領地と、都市の喧騒から隔絶された壮麗な屋敷
そして何よりも絶対的な権力を持つ高貴な貴族様とでも言おうか。
俺の定めた唯一の法、それは「俺の視界こそがすべて」ということだ。
俺の眼差しの届く範囲
それがこの世界を構成する唯一の真実であり、動かせない秩序である。
平民であるアリスを「メイド」として雇い入れたのも、この俺の法を完璧に執行させるためだった。
彼女は、あまりにも静かで、あまりにも秩序正しい。
都市の騒音や俗世の煩雑さとは無縁のこの館に
まるで完璧に調律された機械のような静寂と、揺るぎない規律をもたらした。
その存在自体が、俺の理想とする「支配」の具現化であった。
「君の仕事は、このルードヴィッヒ様の生活のすべてを、一分の隙もなく管理することだ。だが、何よりも重要なのは、決して俺の視界から一瞬たりとも消えてはならないということだ」
俺の目は、まるで高性能な追跡システムのように、常にアリスを追っていた。
それは、支配者の特権であり、唯一の愉悦でもあった。
館の至る所に、高解像度の監視カメラを設置した。
その数は、使用人たちすら把握できないほどだ。
部屋から部屋へと移動する際の、僅かに揺れる彼女の黒い背中。
銀食器を洗う、無駄のない白い手元。
暖炉に薪をくべる際の、しなやかな動き。
そのすべてが、俺の「視線」という名の見えない檻の中に、逃げ場なく閉じ込められていた。
アリスの仕立ての良い黒いメイド服は、この広大な屋敷の暗闇に溶け込み
彼女の存在を、一層、俺の監視下に固定していた。
アリスは、優秀だった。
いや、優秀という言葉では生ぬるい。
彼女の動きは、まるで計算され尽くした舞踏のようだ。
完璧なテーブルマナー、指示を待つことのない先回りした行動。
そして何よりも、俺の「望む場所」に
常に、寸分違わず存在している。
俺が彼女を振り返れば、必ずそこに立っている。
俺は、彼女がこの職を必死に求めた理由を知っていた。
誰にも見つかってはならない「何かしらのワケ」を、その冷たい瞳の奥に抱えているからだと。
しかし、その「ワケ」の中身だけは
俺の持つあらゆる情報網を使っても、調べがつかなかった。
それが、俺の探究心と支配欲を、一層掻き立てた。
それでも、この館は、彼女にとって、俺の視線という名の冷酷な牢獄と引き換えにした
一時的な安全な隠れ場所なのだろう、と俺は高を括っていた。
俺の支配下にある限り、彼女は安全だ。
そして、俺はその対価として、彼女のすべてを視界に収めることができる。
ある夜、俺は自室の豪華な椅子に深く腰掛け
壁一面に設置された監視モニターを眺めていた。
琥珀色のブランデーを飲み干し、氷をグラスに落とす。
カラン、という小さな音が、静寂を切り裂いた。
モニターに映し出されていたのは、アリスが使用人用のキッチンで翌日の仕込みをしている映像だ。
彼女は淡々と、しかし正確に、野菜を刻み、肉を捌いている。
その時、異変は起こった。
壁のモニターすべての映像が、突然、赤一色に染まったのだ。
それは、まるで血のような
あるいは不吉な警告のような、強い狂気に満ちた赤。
「……また、始まったのか」
俺は低い声で呻いた。
最近、この館では奇妙な機械の誤作動が頻発していた。
監視機器の電源が落ちたり、ノイズが走ったり。
その度に俺は、完璧な秩序を乱されたことへのヒステリックな怒鳴り声を上げ、使用人たちを震え上がらせた。
だが、この「赤いノイズ」は、これまでとは違った。
それは、アリスの瞳の奥底にある
俺がまだ見抜けていない「何か」を
無理やり映し出そうとするような、不気味で、魂を揺さぶる赤だった。
その赤の中で、俺自身の血走った顔が、ぼんやりと揺らめいているのが見えた。
まるで、俺の支配欲とストーカー気質が具現化してモニターに映し出されたかのようだ。
映像が途切れたキッチンでは、アリスが包丁を強く握りしめ
冷たいステンレスの感触を指先に確かめている様子が、微かに残像として脳裏に焼き付いた。
その包丁は、ほんの数時間前まで、俺の豪勢な夕食のための上質な肉を切っていたものだ。
俺のストーカー気質は、ただの監視だけにとどまらなかった。
俺はアリスの動きを分析し「ルードヴィッヒ様の視界にとっての完璧なメイド」とはどうあるべきかを、口を開くたびに執拗に説いた。
最初は仕事への注文だった要求は、日を追うごとにエスカレートし
「その服を脱いでそこに座れ」「俺以外の男の顔を見るな」と、彼女の精神的な領域への一方的な支配へと変わっていった。
(理想のメイド?違う。そんなもの、最早どうでもいい。俺は、彼女の中にいる別の「何か」、彼女の「訳」そのものを求めているんだ。この支配の檻を破って、その正体を、早く、早く見たいんだ……!!)
俺は、自分の内部で渦巻く、止めようのない欲望に酔いしれていた。
この屋敷は、俺自身の狂気の器となり始めていたのだ。
そんな歪んだ思考に囚われていた、ある夜。
アリスは、慣れ親しんだ使用人用のキッチンから
静かに、しかし明確な意志を持って、俺の自室へと向かってきた。
彼女の両手には、鋭く研ぎ澄まされた包丁が二本。
そして、彼女の白いエプロンには、既に鮮血の染みがまるで美しい模様のように付着していたが、彼女はそれを気にも留めていない様子だった。
俺の自室は、あの赤いノイズが具現化したかのように、緊急用の赤い照明が不気味に支配していた。
俺は、突如として襲ってきた強烈な予感に突き動かされ
椅子から転げ落ちるように床に倒れ込み、血走った目でゆっくりと部屋に入ってきたアリスを見上げた。
俺の顔は、これまで彼女に見せたことのない純粋な恐怖に歪んでいたことだろう。
「…なぜ、そんなものを…!おい、アリス、一体なんの真似だ!その血は…なんだ!」
俺の問いかけにも、アリスの表情は微動だにしない。
彼女の顔には、完璧なメイドの、冷たい無表情が張り付いていた。
「ルードヴィッヒ様。あなたの唯一の望みは『私が常にあなたの視界にいること』でしたよね?」
アリスの瞳もまた、部屋と同じ、血のような赤色に、不気味に光っていた。
まるで、あのサムネイルの少女のような、冷たい
狂気を秘めた目だ。
それは、彼女がこれまで隠し通してきた「何か」が、表面に現れた瞬間だった。
「ええ。そうだよ。それが俺の法だ。だが、そのナイフは…なぜだ!」
「あなたの望みを完全に叶えるためには『私』を『あなたの視界』に、永遠に焼き付け閉じ込める必要があります」
アリスは、まるで天気の話でもするかのように静かに言った。
その声には、一切の動揺も感情も含まれていない。
そして、血まみれの包丁を
まるで日常の道具のように、何の躊躇いもなく俺の胸元に向けた。
「私を雇い入れ、私のすべてを支配しようとしたとき、あなたは知るべきでした。私が抱えていた『訳』を」
アリスが抱えていたワケ。
それは
「自分をストーキングしてくる平民を、ゴミとしか見ていないような高慢な貴族の屋敷に、完璧なメイドとして忍び込み、懐に入り込んだところで、解体してその肉を自分の店での商売道具・商品にする」
という、恐ろしく歪んだ思考だった。
彼女は、俺の狂信的なストーカー気質を
自分の報復計画のための完璧な隠れ蓑として逆手に取って利用したのだ。
この館は、俺の監獄であると同時に
彼女にとっての安全な狩場だった。
「ま、待て…金ならいくらでもやる!命だけは…!せめて、話を……!!」
俺は、情けなくも、最後の抵抗を試みた。
貴族の威厳など、もうどこにもない。
「…それが最後の遺言ですか?ルードヴィッヒ様」
「違っ」
アリスは、俺の言葉を最後まで聞くことはなかった。
「ふふ……すみません、もう時間切れです」
「ぐっ、あああぁああああぁあ!!!」
鮮烈な赤が、視界を覆う。
俺の血が、派手に飛び散る。
アリスの白いエプロンは、さらに深い真紅の赤に染まっていく。
俺の絶叫は、都市から遠く離れた森の不気味な静寂に、無情にも吸い込まれていくのを感じた。
アリスは、すべてが終わった後、使用人用のキッチンに戻った。
いつものように、冷静沈着に、両手の包丁を洗い始めた。
水が、包丁についた血を洗い流し、シンクに赤い渦を作りながら消えていく。
監視カメラのモニターは、もう赤く点滅してはいない。元の静かな、無機質な映像に戻っている。
ただ、部屋の隅に、微かに映るアリスの満足げな笑顔が
この館に新しい「主」が誕生したことを静かに
そして冷たく告げていた。
「さあ、お掃除の時間ですよ。ご主人様」
彼女は、床に転がった
もはや物言わぬ死体にだけ聞こえる声で、静かに囁いた。
この館の秩序と静寂は
今、彼女の法の下で、完璧に完成されたのだ。