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終演後、スタッフからペットボトルの水を受け取る。喉は潤っても、胸の渇きはひとつも癒えない。
楽屋に戻ると、楽器を片付け始めるより早く、女たちがなだれ込んできた。
「ほんっと今日もかっこよかったー!」
「汗びっしょりの姿、やばい!」
甲高い声が飛び交う。
ケースの金具をカチャリと閉め、ギターを片付け終える。
俺はソファに腰を沈め、ポケットからタバコを取り出した。
火をつけてひと口、煙を肺に流し込む。
……やっぱり、何も埋まらねぇ。
そのとき、若井が立ち上がる。
「ちょっと気になるコ、いたから声かけてくる」
軽く笑って肩をすくめると、隣にいた女へ「ごめんね」と言い残し、楽屋を出ていった。
俺はそれを横目に、煙を吐き出す。
ざわつく空気の中で、ただひとり、煙草の火だけを見つめていた。
しばらくして、俺も席を立つ。腰に腕を絡めていた女の肩を軽く押しやり、
「飲みもん買ってくるわ」とだけ告げる。
「いってらっしゃい〜」
涼ちゃんが笑顔で手を振る声を背に、楽屋の出入り口へ。
自販機へ向かう途中、入口付近で足が止まった。
――若井が、壁際に女を追い詰めていた。
甘い声を耳元に落とし、口説き落とそうとしている。
その構図が妙に滑稽で、俺はわざと近づいていった。
「しつこいです」
女の声が聞こえる。冷たく、はっきりと。
若井の横に並び、俺は低く問いかけた。
「……この子? おまえが気になってるってやつ」
ちらりと横目をやると、若井が無言で頷いた。
女の顔すぐ横に手をつき、俺は口角を上げる。
「俺たちと――遊ぼうよ」
いつもなら、ここで女は堕ちる。
恐怖でも媚びでもいい、結局は俺に縋る。
……そのはずだった。
「……あそびません」
女は真っ直ぐ俺を見上げ、短く言い切った。
「はぁ……次も見たかったのに」
吐き捨てるように言って、俺の腕を振り払い、出口へ足早に向かっていく。
――その背中に、妙な苛立ちと興味が同時に芽生えた。
俺は迷わず女を追った。
足音が階段を打つ乾いた響き。背中は小さく遠ざかっていく。
振り返らず、後ろにいる若井へ片手だけを上げた。
「……あの女、俺がもらう」
低く吐き捨てる声。若井の返事なんて聞く気もない。
俺の視界には、出口へ駆けていく細い背中しか映っていなかった。
足早にその背を追い、地上に上がり切ったところで細い手首を掴む。
「っ……なっ! はなしてください!」
必死の抵抗も、男の力に敵うはずがない。
薄暗い裏路地へ引きずり込み、壁際に押し付け、片腕を壁に叩きつけて逃げ場を塞ぐ。
「……なんで逃げんの?」
唇が重なりそうな距離で、目線を絡めながら低く問い詰める。
女は俺の目を逸らさず、小さく震えながら答えた。
「……はなすことなんて、ありません」
真っ直ぐに射抜くような澄んだ瞳。媚びも怯えもない態度。
なのに――強気なアイライン、真紅に染まった唇。
その組み合わせが、挑発のように俺を煽る。
――汚したくて、たまらなくなる。
「謝るなら、今のうちだけど?」
片腕を拘束したまま、耳元で甘く囁いた。
女はこれで俺の名前を呼び、赦しを乞い、身体を許すーーー そう思っていた。
女は空いている片腕で、俺の肩を押した。
ーーパシンッ!
乾いた音と同時に、右頬に鈍い痛み。
鋭い目が俺を貫く。
そして、女が声を紡いだ。
「ほんっと、最低。
あなたの作る音楽と声は好き。
けど、中身は――だいっきらい。もときさん」
そう言い捨てて、夜の街へと消えていく。