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取り残された路地に、タバコの煙よりも苦い空気が残った。
頬の痛みよりも、胸の奥でざわめく痛みのほうが強い。
「けど、中身は――だいっきらい。もときさん」
その声と、澄んだ瞳。
まるで心臓を素手で抉られたみたいだった。
存在そのものを突き放されたようで、呼吸が詰まる。
――笑うしかなかった。
舌ピアスをカチリと鳴らし、空っぽの笑みを貼りつける。
「……はは。おもしれぇな」
低く吐き捨てる。
「ぜってえ、にがさねぇ」
楽屋へ戻る。
若井と涼ちゃんが、女たちとくだらない話で盛り上がっていた。
空いている席に腰を下ろし、無言でタバコに火をつける。
煙を深く吸い込み、ゆっくり吐き出した。
「……あれ、1人?」
若井が茶化すように笑う。
「もしかしてフラれちゃったの?」
事情を察しているのだろう、涼ちゃんがわざと確信を突いてくる。
「……うるせぇなぁ」
笑い飛ばすしかない。ネタにされてんな、と思いながら煙を吐く。
すると、涼ちゃんの両隣にいた女のひとりが立ち上がり、俺の横にすり寄ってきた。
腕に絡みつき、耳元で甘く囁く。
「ねえ、なら私とあそぼうよ」
――いつも通りの流れ。
心はどこにもない。ただ穴を埋めるだけ。
「……ああ。いいよ。付き合ってやる」
吐き捨てるように言い、女を引き連れて楽屋を後にした。
いつも通り、女を抱く。
満たされるのは――ほんの一瞬だけ。
それでも俺のくだらない矜持は守る。
キスはしない。
痕も残さない。
女にせがまれても、必ずゴムをつける。
胸に刻んだタトゥーは、いつだって隠したまま。
だから上の服は脱がない。
女の視線がそこに触れることも、決して許さない。
名前は呼ばない。知る必要もない。
……けど、俺の名前は必ず呼ばせる。
浅さを保つため。
本気じゃない証を、自分と相手に刻みつけるため。
虚しさを誤魔化すためだけの行為。
――くだらない矜持だけは、決して手放さない。
「ねえ、挿れて?もとき。」
女が甘えた声でせがむ。
義務のようにゴムをつけ、ただ欲を鎮める。
目が合った。
潤んでいるはずの瞳は、どこか濁っていて空っぽ。
吐き出す喘ぎ声も、耳に貼りつくように甘ったるいだけで――熱がなかった。
浅い声。浅い腰。浅い快楽。
全部、嘘みたいに薄っぺらい。
――やっぱり、虚しい。
欲を吐き出し、体を引き剥がす。
「……シャワー浴びてくるわ」
それだけ告げて女を置き、バスルームへ足を運んだ。
熱い湯に打たれても、虚しさは一切流れていかない。
瞼を閉じれば、さっきの女の濁った目よりも――別の光景が浮かんでくる。
逃げようとする腕を掴んだときの、澄んだ瞳。
そして、振り下ろされた小さな手の熱。
――頬に残った痛みよりも、胸の奥に残ったざわめきの方が強かった。
「けど、中身は……だいっきらい」
あの声が、耳から離れない。
虚しさで抱いた女たちの喘ぎ声なんて、一瞬で霧散するのに。
どうしてあの女の言葉と瞳だけが、こんなにも焼きついて離れないのか。
シャワーを終え、服を着る。
タオルで頭を拭きながら、ベッドサイドのテーブルに置いたスマホへ手を伸ばした。
若井に電話をかける。
「もしもし?」すぐに声が返る。後ろは賑やかで、笑い声が聞こえた。
「今どこにいんの」
「いつもの居酒屋。打ち上げしてる」
「……わかった、行くわ」
通話を切り、ベッドに視線を戻す。
シーツの上で横になる女と目が合う。
「……お前も来る?」
一瞬迷ったように彼女は目を伏せ、首を横に振った。
――行って欲しくないんだろう。けど、それは俺には関係ない。
「……わかった」
短く告げ、身支度を整える。
振り返ることなく扉を開き、夜の街へ出た。
ラブホテルの自動ドアを押し開けると、夜風が頬を撫でた。同時にポケットからタバコを取り出し、ライターを弾く。
9月の夜はまだ熱を残しているはずなのに、肺に流れ込む煙と一緒に吸い込む空気は、やけに冷たく感じた。
街頭に照らされた銀髪の毛先――黒く染め残した部分が光に溶け、影に沈む。
長い前髪から覗く右眉にはピアスが鋭く光り、両耳の飾りと舌の奥で鳴る金属音が、無言の苛立ちを告げていた。
シャツの袖口から覗く左腕のタトゥーは、歩くたびに街灯の光に浮かび上がり、また闇に隠れる。
胸と腰に刻まれた模様を知る者は、ごくわずかだ。
すれ違う人が一瞬だけ視線を向けては、すぐに逸らす。
その鋭さも、獣じみた雰囲気も、もう纏うのは慣れっこだった。
けれど――今夜はどうしても、胸の奥に「空っぽ」だけが響いていた。
誰を抱いても、煙をどれだけ吸い込んでも、埋まらない穴。
舌ピアスをカチリと鳴らし、吐き捨てるように煙を夜空へ押し出した。