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まさか本当にこんなことが起こるなんて……まだ信じられない。数年に渡って私の頭を悩ませていたものがたった一日でなくなってしまったのだ。
私とマルクの婚約が解消された——————
決して簡単な事ではなかったはずだ。実際レシュー家の方はまだ完全に納得してはおらず、どうにか考え直すようにとお父様を説得している。しかし、お父様の意思は固く、婚約の話はもう終わりだと主張して聞く耳を持たない。今までだったら解消の検討すら議題に挙げることが出来ずに私が泣き寝入りをするしかなかったのに……
様々な要因が奇跡的に重なったことでそれが可能になったのだと思う。そして、そのきっかけを作ったのは間違いなくあの方である。
バージル・ジョゼット。彼があの日……我が家を訪れてから明らかに流れが変わった。公爵家の嫡男であり、類稀な美しい容姿に文武両道の精神を兼ね備えた文句のつけようがない立派な人。
ステラの兄でもあるが、私はこれまで彼に対して苦手意識を持っていた。理由はなんてことない。見た目と肩書きに圧倒されて緊張してしまうからだ。加えて彼自身も決して気さくといえる性格ではなかったため、ステラを通じて会う機会は多かったものの、親交を深めることは出来ずにいたのだ。ステラと仲の良い友人というポジションにいた私は、色々と気にかけて貰ったことは多いというのに……
こんな微妙な距離感であった私とバージル様だけど、最近になってその関係にも少し変化が訪れた。薬物事犯の捜査という名目ではあるが、今までよりも格段に話す機会が増えたおかげで、私がこれまでバージル様に対して抱いていたイメージが塗り替えられていった。
マルクとの揉め事に対しても、バージル様は私の言い分を全面的に支持してくれた。家の騒動に巻き込んでしまったのに、私を責めるどころか気を強く持って負けるなと激励してくれたのだ。
バージル様はマルクとアニータに関わることで私の知らない情報を持っているようだったから、もしかしたらそれも私の味方をしてくれた理由に繋がっているのかもしれない。婚約が白紙になった今なら……教えてもらえるのだろうか。
「リナリア様!!」
婚約解消から一夜明け……まだふわふわと落ち着かない気持ちのまま、私は学園に来ていた。お父様のこと、レシュー家のこと……そして、バージル様のこと。解消に至るまでの経緯や関係者たちとのやり取りを反芻し、思考を巡らせていた。そんな時だ————
教室全体に響き渡るような大声で名前を呼ばれた。考え事を中断して声の主を確認する。
「まあ、アニータ嬢ではないですか。ご機嫌よう」
いつもの小動物を思わせる愛らしい素振りは見る影もない。眉間に深く皺を刻んだ険しい表情を浮かべ、アニータはズカズカと私の座っている席へと迫り来る。
「体調のほうは良くなられたのですか? ずいぶんと長らくお休みのようでしたけど……」
「そんなことはどうでもいいのです。それよりも説明してください!! リナリア様」
婚約が白紙になったことで戸惑いつつも心に余裕が生まれたのかもしれない。アニータの不躾な態度もあまり気にならなかった。今にも掴みかかってきそうな彼女とは対照的に笑顔で挨拶だってできてしまう。
それにしても……今朝のアニータはずいぶんと荒れている。一応病み上がりなのにそんな態度を見せて大丈夫なのだろうか。教室には私だけでなく他の生徒だっているというのに……
本人の口からどうでもいいとまで言われてしまったので、こちらから体調について言及するのはやめよう。いまのアニータには周囲の目を気にする余裕は無さそうである。どうしてそれほどまでに焦っているのか。私に何かの説明を求めているけど、具体的に言ってもらえないと分からないじゃないか。
「あの……説明とは何についてでしょうか。はっきり言って下さいませんか?」
「分かっている癖に白々しい……」
純然たる本心で尋ねたのに……私が知らない振りをしてわざと煽っていると勘違いしたみたい。アニータはますます激昂していく。いきなり現れてろくに挨拶もしないまま一方的に捲し立てて……いくらなんでも酷すぎる。彼女の身に何があったというのか。
「……マルク様との婚約ですよ。白紙になったって……本当なんですか」
まだ一日しか経っていないのに、アニータは私とマルクの婚約が解消されたのを知っていた。情報が早いと一瞬驚いたけど、彼女も実質レシュー家の人間みたいなものだった。なにより解消に至った原因と言っても過言ではない。伯爵かマルク経由で聞いたのだろう。
「本当ですけど……」
「そんな……」
私の口から解消が事実であると告げられ、アニータは肩を落として茫然としている。驚くのは分かるが、どうしてこんなに動揺しているのか理解できない。彼女からしたらむしろ喜ぶところではないのか。あれだけ私とマルクの間を掻き回してきたくせに。
「リナリア様!! まだ間に合います。解消を撤回して下さい」
「えっ……」
私は耳を疑った。頭も混乱している。
アニータが騒ぐせいで、私の席に注目が集まってきていた。婚約解消の言葉が聞こえたようで、こそこそと耳打ちし合っている生徒もいる。また妙な噂が広まってしまうのは避けたい。
「ちょっとここでその話は……場所を移しましょう」
受けた衝撃でなかなか言葉が出てこなかったけど、なんとかそれだけは捻り出す。私はアニータを連れて教室を後にした。
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