無意識に目を向けたと同時に、視線が固まる。
スマホのとなり、広がったなにかの資料の上に、前に見た指輪があったからだ。
動きを止めてしまった私の横で、彼はスマホを掴む。
『続けてて』
短く言い、掃除機の音がうるさいのか、彼は階段をおりて行った。
言われた通り掃除を続け、布団のシーツをかえたあと、窓を閉めた。
そのまま部屋を出ればいいのに、気が付けば私の足は座卓の傍で止まっていた。
細い銀色の指輪は、よく見れば細かな傷がいくつもついている。
だれかの手に馴染んでいたんだろうと、そんなことを感じさせる指輪。
『そんなに気になる? それ』
はっと振り向けば、レイがスマホを片手に部屋に入ってくるところだった。
声がでない私をよそに、彼は座卓に近付き、指輪を拾い上げる。
『前も言ったけど、母親のものだよ』
レイは独り言のように言い、指輪を眺めた。
彼の横顔にはなんの感情も浮かんでいない。
(……もしかして、形見かなにかなのかな……)
そう思っても口には出来ないし、指輪を気にしていたのがばれていたのも気まずかった。
『ミオは……まだL・Aに行きたいと思ってるの?』
『え?』
レイの視線は、ゆっくり指輪から私へ移る。
『そりゃ……行きたいよ。
L・Aに行くために英語の勉強だってしてたし……』
予期せぬ質問をされ、ほんの少したじろいだ。
「澪? 掃除終わった?」
その時、廊下から声がした。
拓海くんは私とレイを交互に見て、中に入ってくる。
『なんの話?
ロサンゼルスがどうとかって聞こえたけど、まさかあんた、澪を連れて帰るとか言い出さないよな』
思いもよらない発言に目を瞬かせるけど、すぐにレイが肩を竦めて言った。
『違うよ、ただL・Aに行きたいか聞いただけ』
『なんでそんなこと聞くんだよ』
拓海くんは険しい顔でレイを睨んだ。
「あ、あのね。私、卒業旅行にロサンゼルスに行きたいと思ってるの。
だから……」
慌てて口を挟めば、拓海くんは硬い表情のままこちらを向く。
「そーだったんだ。
……けどなんでロサンゼルス?
そりゃ確かにいい所なんだろうけどさ……。
大阪は? なぁ大阪にしろよ!
案内してやるし、一緒にUSJにも行こうぜ!」
拓海くんには、お父さんがロサンゼルスにいることを話していない。
お父さんから手紙が来た日、私とけい子さんだけが家にいたし、その手紙をけい子さんが破いたのを見てしまってから、お父さんのことをだれがどう知っているかわからなかった。
困っていると、拓海くんが卒業旅行は大阪にとしきりに勧める。
「USJだけじゃなくて、メシも美味いし、絶対楽しーって!
な、そうしろよ澪!」
「え、えー……」
どうしよう。
大阪もそりゃ行きたいけど、そういうんじゃなくて……。
その時、となりから小さなため息が聞こえた。
『タクミ。
タクミはなんでミオがL・Aに行きたいかわかんないの?』
言ったレイは、いつもの穏やかな微笑みを消している。
『L・Aって聞いて、タクミはなにも思わないの?
ミオがどんな気持ちなのかわからない?』
『レ、レイ!』
私は咄嗟にレイの腕を引っ張った。
L・Aに行く理由は内緒だって言ったはずなのに、どうしてそんなこと言いだすの。
これ以上言われたら困ると、私は必死でレイの目を見つめる。
『どういうことだよ』
『な、なんでもないの!
ちょっとロサンゼルスに興味があって、レイに聞いてただけだから!』
英語で聞き返した拓海くんに、私も英語で口を挟んだ。
言っておいて、我ながらなかなか苦しい言い訳だと思う。
拓海くんは心の底を見透かそうとするかのように、私を見た。
「そんな好きなの?ロサンゼルス」
「うん、そうなの。昔から憧れてた街なんだ」
もうそう言い切るしかない。
私は乾いた笑みを浮かべて頷いた。
「そんなの初耳だし」
「うん。言ってなかったけど、本当だよ」
拓海くんはまだ探るような目を向けている。
けれどかなりの間の後、自分を納得させるように小さく頷いた。
「それなら仕方ないけど……。絶対ひとりで行くなよ?
そうそう、それで澪。
掃除終わったなら、一緒に図書館にいかねー?
ちょっと調べたいものがあってさ」
「あぁうん、わかった。
ちょっと待ってて!」
内心、話が終わったことにほっとした。
拓海くんはレイを横目で睨み、部屋の外に出ていった。
階段をおりる音が遠ざかると、私は恨みがましくレイを見上げた。
『もう、なんであんなこと言うの!
お父さんのことは内緒だって言ったじゃない』
『そうだけど、まさかタクミが本当になにも知らないと思わなかったから』
『だれにも言ってないって言ったでしょ』
正直なところ、お父さんの居場所だけは知っているかもしれないとも思っていた。
けれどあの様子じゃ、けい子さんは言っていないらしい。
さっきのやりとりを思い出して、知らず知らず息が漏れた。
けれど、ふとなにかが引っかかる。
(あれ……拓海くんと卒業旅行の話をしていた時、私たちって英語で話していたっけ……?)
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