テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
第2話 世界の終わりと、僕の知らない吸い殻
※第2話(第一話だと思ってください。最初のお話でございます)
「カイザー、今日の紅茶はアールグレイにしました。あなたの好きな、少し濃いめの淹れ方です」
「あぁ、お前が淹れる茶はいつも最高だよ、ネス」
つい数日前まで、僕たちの世界は完璧な調和の中にあった。
ドイツの若き天才、ミヒャエル・カイザー。そして彼の傍らで、その才能を最も美しく開花させる魔術師、アレクシス・ネス。
僕たちがピッチの上だけでなく、プライベートでもベッドを共にする関係になったのは、ごく自然な流れだった。
カイザーは傲慢で、残酷で、けれど僕にだけは時折、壊れ物を触るような切ない手つきで髪を撫でてくれた。「お前だけは俺を裏切るなよ」と、首筋に深く、消えない痕を刻みつけるように。僕もまた、彼のすべてを全肯定し、彼の足元にひれ伏すことで、この上ない幸福を感じていた。
お互いがお互いなしでは息もできないほど、深く、病的なまでに愛し合っていたのだ。
あの日、雨が激しく降る夜の、あの忌々しい交通事故が起きるまでは。
*
「……ここは、どこ、ですか……?」
病院の白いベッドの上で、ネスが目を覚ました。ハシバミ色の瞳は濁り、いつも僕に向けていた、熱を孕んだ狂信的な光はどこにもなかった。
「ネス、お前……」
「あの……あなたは、どなたですか? 僕、どうしてここに……」
医者の診断は、頭部外傷による一時的な記憶喪失。サッカーのルールや、自分がバスタード・ミュンヘンの選手であることなどの「知識」は残っている。しかし、ここ数年の「個人的な思い出」、そして何より――僕と恋人同士であった記憶が、綺麗に抜け落ちていた。
「俺だ、ネス。ミヒャエル・カイザーだ。わからないか?」
「ミヒャエル……カイザー……。あ、知っています。バスタード・ミュンヘンの若き天才ストライカー。僕の、憧れの王様……ですよね?」
ネスは怯えたように身を引いた。その仕草一つが、俺の心臓を容赦なく抉る。これまでは、俺が手を伸ばせば、子犬のように嬉々として擦り寄ってきた男だ。それが今や、まるで遠い世界の偉人を見るような、他人行儀な目で俺を見つめている。
「……そうだ。俺はお前の『王』だ」
俺は、付き合っていたという事実を伏せることにした。今の怯えたネスに「俺たちは愛し合っていた」と言ったところで、混乱させるだけだと判断したからだ。まずは主従関係としての距離から、ゆっくりと記憶を戻していくしかない。
*
退院後、ネスは以前と変わらず、俺の身の回りの世話をしようとした。けれど、その指先はどこかぎこちない。
「カイザー、お着替えはこちらでよろしいですか?」
「あぁ。……ネス、お前、俺に敬語なんて使ってなかったろ」
「えっ? そう、なんですか……? でも、チームの至宝であるあなたに、僕のような人間がタメ口だなんて……」
「前は『カイザー、これ食べて』って、平気で俺の口に飯を押し込んできた。俺が甘やかすから、図に乗ってただろ、お前は」
嘘だ。本当は、俺がネスの甘えに依存していたのだ。ネスは困ったように眉を下げ、自分の細い指先を見つめた。
「すみません、思い出せなくて。でも……なんだか、胸の奥がずっと、ちくちくと痛いんです。あなたを見ていると、酷く懐かしくて、でも、思い出そうとすると霧がかかったみたいで……」
「焦るな。お前のその足りない頭だ、元から期待しちゃいねぇよ」
いつもの意地悪な口調で言ってみせる。けれど、差し出された紅茶を口に含んだ瞬間、俺は息を詰まらせた。
「……ネス。これ、砂糖が入ってねぇぞ」
「あ、すみません! すぐに持ってきます!」
「いや、いい。……お前さ、俺がコーヒーには砂糖を入れるけど、アールグレイには絶対に砂糖を入れないって、いつも怒ってただろ」
以前のネスなら、俺が「濃いめ、砂糖なし」を好むことなど、DNAレベルで記憶していたはずだった。
「僕、そんなことまで……。本当に、あなたのことが大好きだったんですね、僕」
「……あぁ。お前は俺のストーカー紛いだったよ」
ネスは自嘲気味に微笑んだ。その笑顔が、あまりにも切なくて、俺は思わずネスの細い手首を掴んで、自分の方へと引き寄せた 。
「あっ、カイザー……?」
「ネス。思い出せ。お前をこうやって組み伏せて、何度も、何度も声をあげさせたのは誰だ?」
「な、にを……っ、離して、ください……!」
ネスの瞳に、明確な『恐怖』が宿った。俺の愛したネスは、俺に乱暴に扱われることすら恍惚の表情で受け入れていた。なのに、今のネスにとって、俺はただの「力のある怖い男」でしかないのだ。
ガタガタと震えるネスの肩を見て、俺はハッと我に返り、手を離した。
「……すまねえ。忘れてくれ」
「……ひ、ひとりにして、ください」
ネスは部屋に逃げ帰るように去っていった。
残されたリビングで、俺は深くため息をつき、一本のタバコに火をつけた。普段はアスリートとして滅多に吸わないそれを、ネスのいない部屋でくゆらせる。
「……クソが」
愛されていることが当たり前だった。ネスの全てが俺のものだと信じて疑わなかった。
記憶を失ったネスの前に残されたのは、ただの傲慢で、優しさの与え方も忘れてしまった、哀れな王様の姿だけだった。
「待ってろ、ネス。お前が俺を忘れても、俺が何度だって、お前を俺に惚れさせてやる」
煙の向こうで、俺は固く誓った。僕たちの歪で、けれど世界で一番深い愛の記憶を、必ず俺の手で手繰り寄せてみせると。
44
Mami
556
コメント
1件
カイネス以外でもいいです!リクエストがあれば作ります