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電話の向こうに一瞬の沈黙が生まれた後、涙を流して文字通り笑い転げている姿が想像出来るような笑い声がスマホから流れ出し、思わず耳から離したのは、何となく気まずい思いを抱えたまま1日の仕事を終えて愛車に乗り込んだ慶一朗だった。
いい加減笑うのをやめろ、クソ侯爵と口汚く友人を罵倒した慶一朗は、スマホを愛車のスピーカーに切り替えてシートに深く寄りかかる。
『いや、いやいや、これは笑うしかないだろう?これに関しては私は不可抗力だよ』
くっくっくと、肩を揺らしている貴族然とした男の顔立ちが脳裏に浮かび、くそったれと再度罵った慶一朗は、笑い続けるのなら電話を切ると声を低くする。
さすがにその声に相手も何かを察したのか、咳払いの後、まさか気になっていた相手からのキスがお休みのキスになるとはと言葉を続けるが、その中に堪えきれない笑いが滲んでいて、羞恥に顔を赤くすると同時に形の良い眉根をきゅっと寄せてしまう。
「知るか」
昨日、虐待を受けて緊急搬送された子供の命を救うことが出来なかった無力感を、感情を爆発させる事で発散させた後、駆けつけてくれたリアムに己の過去を少しだけ語った慶一朗だったが、拒絶される恐怖を抱きつつも拒絶されないのではという希望を覚え、リアムが先日とは全く違う顔でキスをしてきた為、思わず素直になってそれを受け入れたのだ。
恐怖心が安堵感へと変化をし身体を支配していた緊張が一気に解れ、脳味噌に眠ってしまえと指示をした結果、今友人が涙を流しながら笑って言い放ったように、文字通りお休みのキスをされたようになってしまったのだ。
まさかキスをしている時に寝てしまうなど、今まで経験したこともなければ想像すらできない事で、入った覚えのないベッドで目覚めた時に何があったかを思い出し、羞恥のあまり頭を抱えて一人で使うには広すぎるベッドの上でのた打ち回ってしまったのだ。
『気持ち良かったのか?』
「・・・・・・」
笑み混じりに問われた言葉に無言で返した慶一朗だったが、そうなのかと自問して導き出された回答は、今まで得たことがない安心感があったという言葉で、気持ち良くて寝てしまうことなんて今までなかった、だからそうじゃないと返してしまう。
『じゃあどういう事だ?』
声にまだ笑いの残滓はあったものの真剣に問いかけている事に気付いた慶一朗が、ソウといる時以上の安心感があったと小さく答えれば、遠く離れた町の広大な屋敷に暮らす友人が小さな溜息をこぼす。
『・・・前にも言ったが、その友人は本当にお前の運命の人かも知れないな』
「だから、そんな運命はないしそんな人はいないと言ってるだろう?」
運命の人だの出会うべくして出会う運命だったなど、フィクションの世界での出来事であり現実にはあり得ないと鼻で笑った慶一朗の耳に、艶を含んだ密やかな声がお前は私の運命の人だと思っていたんだけれどと流れ込み、その甘い声に背筋が震えてしまう。
「もしも俺がその運命の人だというのなら・・・お前は運命の相手を傷付けるような愛し方しかできないのか?」
そもそもお前のいう運命とやらがもしもあったとして、俺はお前に傷付けられる運命だったとでも言うのかと、二人の間に横たわる消し去ることのできない過去と、引き摺られるように思い出してしまう右耳朶の疼痛から苦々しく吐き捨てた慶一朗に電話の向こうが沈黙してしまう。
「・・・ふざけた事ばかり言ってるとソウにまた殴られるぞ」
『・・・彼に殴られるのは一度で十分だよ。だからこの話は止めておこう』
お前も私も、あの時から人として成長しているため、こうして友人として付き合っていられるのだからと、僅かの罪悪感を滲ませた声に慶一朗が無意識に安堵の溜息をこぼす。
「ああ。────ケネス、お前、今どこにいる?」
後ろで聞こえる物音が自宅の屋敷とは違う気がすると、ようやくいつもと雰囲気が違う事に気付いて声を潜めると、さっきこちらの家に着いた、お前をナイトクルーズに誘おうと思っていたと笑われ、思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
「は!? シドニーにいるのか!?」
『姉が仕事を引き受けてくれたから遊びに来たよ』
少し前に電話で話をした時、月が変わればこちらに来ると話していた友人だったが、予定が変わって今日到着したと教えられ、今夜の予定を脳裏に思い浮かべた慶一朗は、一日気分が晴れなかったことから市内のパブに出掛け、肉体関係しかない友人と遊ぶつもりで連絡を取っていたことも思い出す。
「先約が・・・」
『どうせセフレと遊ぶだけだろう? 早く断りなさい』
慶一朗の夜の予定を見抜いた上で断ることが当たり前だと言いかねない口調で命じられ、嫌だと言いたくなる反面、一日のモヤモヤをケネスといることで少しは解消できるかも知れないと気付き、何時にどこに集合だと溜息交じりに問い掛ける。
『そうだね、サーキュラーキーにするかい?』
「・・・オペラハウスやハーバーブリッジを見るのか?」
別に観光で必ず行くスポットに今更行かなくても良いんじゃないかと、見慣れている場所を思い浮かべながら溜息混じりに呟くと、夕暮れのオペラハウスをクルーザーから見るのが気に入っている、だからそれに付き合いなさいと笑われ、晩飯はと呟いた慶一朗に驚いたように息を飲む音が聞こえた後、お前をここまで変えた友人とやらに会ってみたいと笑われ、何を言われたのかがとっさに理解出来ずに目を丸くする。
「は?」
『いや、お前にお休みのキスをした友人に会ってみたいね』
今まで一緒にいる時にお前の口から食事について出たことがないと驚かれ、そんなに驚くことかと眉を寄せるが、その変化がどうしてリアムに会いたいとの言葉に繋がると返してしまう。
『ほう、リアムと言うのか』
「・・・・・・」
『まあ、お前の友人については冗談だが、クルーザーを預けているマリーナに来なさい』
キャプテンには連絡をしてあるから出航の準備は出来ているはずだと、穏やかなのに決して逆らうことが出来ない声に溜息で全てを受け入れた慶一朗は、迎えの車をやるからそれに乗ってくるようにとも告げられ、最早反論する気力もない顔で頷き、今から家に帰るとだけ伝え、チャオと相手の返事を聞かずに通話を終える。
どうしても消し去ることのできない過去を共有する友人の、上流階級特有の己の言葉に逆らうことなどしないという、意識しない思い込みに反論するのも無駄だと悟っている慶一朗は、盛大な溜息を車内に落とした後、気分を切り替えるようにナビを操作し、耳が痛みを覚えるほどの大音量でハードロックを流し始めると急発進気味に車を走らせるのだった。
夕暮れに染まるオペラハウスはライトアップの効果もあり、見慣れているはずの慶一朗でさえも一瞬息を飲んでしまう美しさで水面に己の姿を映し出していた。
日中は観光客で混雑するオペラハウス周辺だが、日が沈むと夜景を見る為に人々が繰り出し、昼よりは少し落ち着いた賑わいを見せていた。
そんな人々の賑わいを、波に合わせて揺れるクルーザーのデッキからぼんやりと見ていた慶一朗は、中に入れと合図を送られたことに気付いてメインデッキのソファの中央にゆったりと足を組んで腰を下ろしている友人の横に座ると、用意されているグラスに小さな金の水面が出来上がり、きめの細かい泡が小さな音を立ててその海を泳ぐ。
グラスを手渡されて素直に受け取り、澄んだ音を立ててグラスの縁が重なり、軽く煽る様にそれを飲めば、柔らかな口当たりのアルコールが喉を流れ落ちる。
「・・・オペラハウスを見ないのか?」
「ここからも見えるだろう?」
もちろん、シドニーに来た時に滞在するコンドミニアムからも見えるが、今夜はここから見たい気分だったと笑い、ナイフとフォークより重いものなど持ったことがない手が慶一朗の髪に差し入れられ、頭の形を確かめるように緩やかに動く。
「この時間のオペラハウスは優美で良いね」
「・・・確かにきれいだな」
ペットを撫でるように髪を撫でられ指の背で頬を撫でられると、人を愛玩動物のように扱うなという反発心と身体が忘れることのできない心地よさが綯い交ぜになり、その手から逃げるように顔を背けると、それも予測済みだと口元に浮かぶ淡い笑みに教えられ、腹立たしさを隠すためにシャンパンのお代わりをする。
「・・・ハーバーブリッジの方が好きだけどな」
「ああ、そういえばそんなことを言っていたな」
ハーバーブリッジの袂で目の前を通る船を見ていると、その船に乗り込んで総一朗のいる日本に帰りたくなる、だから見たくはないのに何かあればつい来てしまうと、今は友人関係に落ち着いたケネスと慶一朗の二人が歪な形ながらも恋人という関係にある時に、珍しく慶一朗がセンチメンタルになったのか、遠くを見つめながら呟いた事を思い出したケネスが軽く目を伏せ、その目が無性に神経に触った為、その後慶一朗が恥も外聞もなく涙を流すまで抱いたことも思い出してしまう。
あの頃、今までほとんど接点のなかった極東の島国で暗い過去を抱えて生きてきた、端正な顔をしている慶一朗が己以外の存在へと目を向けることがどうしても許せず、いけないことだと分かっていながら、自宅に監禁してでも手元に置きたいと願っていた。
その結果が、慶一朗の右耳朶に今も残る傷跡であり、事情を知った双子の兄総一朗に人生で生まれて初めて顔を殴られるという貴重な経験だった。
己が傷をつけ、消えることのない跡として存在している右耳朶を軽く摘まんだケネスへとシャンパンを飲み干した慶一朗がちらりと視線を向けると、まだ時々痛むから触るなと苦笑する。
「まだ痛むか?」
「時々」
事情を知らない人からは、ピアスを開けたが着けなくなって穴が塞がったと思われているが、それは慶一朗が望んで開けたものではなかった。
加害者の手があの頃とは違って優しく耳朶を摘まみ、そのまま頬へと移動した後、形の良い顎を捕まえたかと思うと、ぐいと引き寄せられてグラスが慶一朗の手から落下しそうになる。
慌ててそれを阻止した慶一朗だったが、澄んだ青空と同じ色の瞳にじっと見つめられて条件反射のように息を飲むと、グラスを奪われてテーブルが澄んだ音を立てた事で何を望んでいるのかを理解し、後のことを思えば大人しくしたほうが良いことを分かっている為、力を抜いてもたれかかる。
「─────ん、・・・」
重なる唇の間から抜けるような息を零した慶一朗は、せめてもの腹癒せとばかりにケネスのシャツの胸元をボタンを飛ばす勢いで開けると、傷など一つもない白い肌に噛みつくようにキスをし、準備をするからシャワーを使う、ビールが欲しいと言い残し、悪戯ばかりをする愛しい子供を見る目で見つめてくる友人に背中を向けると、いつも使うベッドがあるデッキへと階段を下りていくのだった。
休日をハイスクールの悪友と過ごし、夜は予定があるからと架空の予定をでっち上げて悪友たちに手を振って別れたのは、慶一朗に対し好きだと告白したが、自分以外の誰かを好きになれと断られてしまったリアムだった。
ほかの人を今は好きになれるような気持ちではないし、また、あの夜、小さな掠れるような声が、俺以外の人と付き合うなと零した気がしていて、どちらが本当の彼の気持ちなのかと自問してしまう。
離すな、離れるな、俺以外の誰かとなんか付き合うな。
そう、母国語で呟かれた言葉だったが、慶一朗自身はそれを理解しているのだろうか。
悪友に別れを告げて帰宅したリアムだったが、予定をでっち上げた為に何もすることがなく、テレビをつけてもイースター休暇の過ごし方について楽しそうに盛り上がっている番組ばかりで、ああ、イースター休暇をどうしようかと今更ながらに考えてしまう。
一昨日のことがなければ、慶一朗を誘って友人としてデイキャンプやバーベキューを楽しめたのだろうかと、ソファに寝転がりながら天井に向けて呟くものの、落下してきたのは遅かれ早かれ自覚する、そうなればイースターであろうがクリスマスであろうが関係ないとの言葉で、器用に肩を竦めたリアムの耳に、己の胃袋が上げる悲鳴じみた音が流れ込む。
「・・・何か食うか」
料理をする気分にはならなかったが空腹を満たすためには何かを食べなければと起き上がり、キッチンへと素足のまま歩いて行ったリアムの耳に、尻ポケットに突っこんだままのスマホから着信音が流れ出し、ロクに画面も見ずに冷蔵庫を開ける。
「ハロー」
『・・・リアム? 今、大丈夫か?』
冷蔵庫にソーセージがある、ジャガイモをスライスしてソーセージと玉ねぎと炒めれば簡単な一品ができると脳内で献立を思い浮かべていた為咄嗟に電話相手が誰だか分らなかったリアムは、スマホを耳から離して画面に表示されている名前に目を見張り、奇妙な声をあげてしまう。
「は!?」
『リアム?』
「あ、ああ、いや、大丈夫、全然問題ない!」
少し考え事をしていたからと言い訳をし、どうしたと苦笑交じりに問いかければ、何やら躊躇う様な気配が伝わってきた後、昨日ちゃんと礼を言えなかったからと答えられて瞬きを繰り返す。
『・・・傷を手当てしてくれただろう?』
そのお礼をちゃんと言ってなかった、ありがとうと早口で礼を言われてああとしか返せなかったリアムだったが、そんなこと気にする必要はないと慌てて続けると、うん、何となく言いたくなったと、今まで一度も聞いたことがない、甘えるような声でもう一度ありがとうと母国語で伝えられる。
その声がリアムの耳の奥に響き、いつもいつでも聞いていたいと、好きになった人の声ならばいつまでも聞いていたい思いが不意に芽生え、ケイに礼を言われると本当に嬉しいと同じくドイツ語で返してしまう。
「もう傷は大丈夫なのか? 痛くないか?」
その、少し浮足立った気持ちのまま問いかけると、俺は小さな子供じゃないと不満げな声が返ってきて、仕事上接することが多い子供と同じ扱いをしてしまったことに気付いて反省する。
「癖が出てしまったな」
子供扱いしているわけじゃないが、もう大丈夫なんだなと苦笑し、さて、晩飯をどうするかと肩と頬でスマホを挟んでキッチンを見回したリアムは、バーベキューに誘った時と同じ気軽さで晩飯はもう食べたのかと問いかけ、そんな時間だったのか、気付かなかったと返されて呆れたような溜息を吐く。
「今日は何をしていたんだ?」
『昨日友人と遊んでいて朝に帰ってきたからずっと寝ていた』
「朝帰り? まあ休日だからなぁ。何をしててもケイの勝手だけど、今まで寝てたのか?」
『ああ』
いくら朝帰りだからと言ってもこんな時間まで自分なら寝ていられないと笑いながらリアムが誘いの言葉を伝えれば、再度スマホの向こうに沈黙が生まれる。
「ケイ?」
『・・・良いのか?』
「俺が作るものだからたかが知れてるけれど、それでも良ければご一緒しませんか?」
スマホを通しても分かる緊張を何とか解したくて、思わずおどけた風に問いかけたリアムの誘いに、是非にということであれば喜んでと同じく軽い口調で返事があり、歓喜を口笛で表現してしまう。
『リアム?』
「あ、いや・・・その、誘っておいて何だけど、良ければまたお前のコーヒーを飲ませてくれないか?」
あの時飲ませてくれたものが美味しくて、今日飲めたら幸せだなと思ったと、笑顔が相手に伝わるような声でお願いをしたリアムだったが、一瞬の沈黙の後、それぐらい何の問題もないと答えられて再度口笛を吹いてしまう。
「今から準備をするから、適当に来てくれ」
『ああ、分かった』
何しろお互い壁を一枚隔てた隣に住んでいるんだからと笑い、リアムは急遽作ることになった二人分の料理の準備を始める。
電話の前まで考えていた、慶一朗の本当の気持ちについて知ることが出来るだろうかという考えが沸騰した湯のようにふつふつと沸いてくるが、今はそれ以上にただ一緒にご飯を食べられる、それだけでも十分だという思いが強くて、彼の本心に手を伸ばすのは今日はやめておこうと自制の言葉を小さく口にするのだった。
リアムが作った料理は、母国でレストランを経営していた祖父母からすれば賄い料理と好意的に受け取ってくれるだろうが、手間のほとんどかからない簡単なものだった。
これは料理ではなく単なる調理だと笑ってこんなもので良ければとテーブルの席を指し示すと、茫然とテーブルを見下ろしていた慶一朗が我に返り、立派な料理だと頷き、うん、本当に立派だともう一度頷いて席に着く。
「ビールを持ってきた」
「やっぱり」
だと思ってビールに合う味付けをしたと笑い、慶一朗の向かいに腰を下ろすと、ビールの栓を抜いた慶一朗がリアムにそっとボトルを差し出す。
「Danke、ケイ」
「Bitte.」
ボトルの底を触れ合わせて乾杯と笑い、さあ食べようとリアムがフォークを手にするが、慶一朗はビールを飲むだけで食べようとはしなかった。
その理由を瞬間的に考え、人が作った物を食べられない潔癖症でもなければ、味付けが不安だからや遠慮などではなく、単に食べることへ興味が向いていないのだと、短い付き合いの中で会得した慶一朗の習性に気付き、あまり行儀がよくないと祖母に注意されることがあったフォークにポテトを突き刺すと、慶一朗の顔の前にそれを差し出す。
「?」
「・・・いつも適当に料理するから誰かに食べてもらわないと味が分からない」
だから食ってくれと、押しつけがましくないように気を付けつつフォークを少しだけ慶一朗に近づけると、躊躇うように視線が左右に泳いだ後、小さな子供の様に口が開いてポテトにかぶりつく。
「どうだ?」
「・・・美味い」
「そうか? それは良かった」
その言葉が嘘ではないことを示すように今度は自らフォークを手に取り料理を食べ始めた為、おいしいのなら良かったとリアムが笑うと、昨日友人が食べさせてくれたロブスターやキャビアより遥かに美味いと笑われて目を丸くする。
所謂高級食材と言われるロブスターやキャビアを食べさせてくれる友人がいることもすごいが、こんな片手間に作ったような料理がそれらに勝るなんて到底信じられないと笑うと、慶一朗が上目遣いに本当に美味しいと呟き、何かに気付いたように目を見張る。
「ああ・・・お前と一緒に食べているからだな」
「・・・え?」
「職場でもそうだけど・・・美味しい料理を本当に美味しそうに食べるだろう?」
その顔を見ているだけで美味しさが伝わってきそうだし、また食べっぷりも気持ちがいいからだと、己の気づきが最高だと言いたげな顔で頷いた慶一朗は、リアムの手が己に向けて伸ばされたことに気付いて首を傾げると、昨日、クルーザーで全身が悲鳴を上げるまで抱かれた友人の綺麗な指と無意識に比較し、武骨な大きなこの手が良いと胸の奥で本音が零れ落ちる。
その手の甲が頬を撫でた後、食べてくれと照れたように早口で料理を勧められ、何があったか理解できないでいた慶一朗の前、リアムの耳がわずかに赤く染まっていることに気付き、うん、いただきますと、双子の兄の総一朗とその恋人の一央の前でしか言わない日本語を口にする。
「それ、日本語の挨拶か?」
「あ、ああ、そうだな・・・ドイツ語で言えばGuten Appetit!かな」
「ふぅん」
どうぞ召し上がれの意味になると笑って食べ始めた慶一朗にリアムも嬉しそうな顔で頷き、食後のコーヒーが楽しみだと笑う。
「コーヒーで良ければいくらでも」
「最高だな」
それを楽しみにしようと笑い、それ以降慶一朗の手はほとんどビールに伸びることはなく、リアムが作った料理を二人で綺麗に食べ尽くすのだった。
慶一朗が食後に淹れてくれたコーヒーの湯気を顎で受け止めていたリアムだったが、床に座ってソファを振り返ると、気持ち良さそうな寝息を立てて眠っている慶一朗の顔を発見し、先日も寝入ってしまった事を思い出して自然と笑みを浮かべてしまう。
好きなドラマの放送があるからとテレビをつけ、ソファで横になっても良いかと言われてどうぞと笑顔で頷いたのだが、ものの10分もしないうちにその口から寝息が流れ出したのだ。
先日といい今日といい慶一朗はいつも寝不足なのかと疑問に感じるが、朝帰りだった事を思い出し、遊びすぎだと溜息を零すリアムの目がシャツから見えている白い肌へと向けられると、彼が言う遊びの内容を察してしまう。
きっとその友達とは自分と悪友のように、ハイスクイールの気分が抜け切らない友人ではなく、肉体関係のある友人、いわゆるセフレだろうと気付き、何も言わずに上のフロアのベッドルームからブランケットを持って来て慶一朗の身体へと被せる。
このままここで寝かせていても別に問題はなかったが、起こした方がいいのかとふと疑問に感じて軽く肩を揺さぶってみるが全く目をさます気配が無く、今日はこのまま寝かせようと決めると、寝ている間に食器等を食洗機に放り込み、あとは機械の力を借りてキッチンを片付けるのだった。
その後、慶一朗が好きなドラマが終わっても起きる様子が全くなく、眠っている慶一朗を抱き上げてベッドルームに向かい、大柄のリアムが手足を広げても十分余裕のあるベッドの中央に慶一朗を下ろす。
冬でもないし風邪を引いたりはしないだろうと、ブランケットを被せただけでベッドルームを出たリアムは、さて、今夜はどこで寝るか、トレーニングルームのマットの上か、リビングのソファにするかと欠伸をしつつ階段を降り、予定通りリビングのソファに横臥しつつテレビを付け、そのまま寝入ってしまっても問題のない態勢をクッションなどを使って作るのだった。