エレーサ・ベロフヴォスチエヴァは、サハリン州ユジノ・クリリスクで生まれ育ち、父は工場で働き、母は紡績場や漁港で働いていた。3人姉妹の末っ子で泣き虫だったエレーサは、もともと引っ込み思案な性格で2人の姉と比べたらさほど美人でも無く、何処にでもいる普通の女の子といった印象だった。
そんな彼女の人生を一変させたのは、日本のアニメーション文化であり、ファッションだった。
旧ソビエト連邦が崩壊した当時、自国のコンテンツが皆無に等しかったロシアにとっての娯楽は、ブラウン管テレビから流れてくる海外の番組で、とりわけ日本のアニメ
『美少女戦士セーラームーン』
は、放送開始の1996年から幾度も再放送されていて、同世代の女の子たちを夢中にさせた。
エレーサが物心ついた時もそれは同じで、母が仕立ててくれた衣装を着ては、姉妹でセーラームーンごっこを楽しんだ。
経済的に貧しくても、現実を忘れさせてくれる時間は特別だった。
2000年代に入ると、ユジノ・クリリスクでもインターネットの普及が進み、海外から様々なメディアの情報が流れてくる様になったのだが、 それでもエレーサは日本のコンテンツを好み、アニメや旅番組、若者のファッションやメイク、そして、日本における宗教観や、歴史や言葉にも興味を持つ様になっていた。
そうして決心したのが、日本への語学留学だった。







