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不憫サンド(朝菊、ギル菊)/幽霊とか妖怪とかが見える一人暮らしの高校生本田さんが不思議なワンちゃん2匹拾う話
導入
「いっ……」
くすくすと小さく聞こえる笑い声の方を、右手で頭を抑えながら見上げた。先程までは菊もいた崖から見える怪しげな双子。互いの片腕を交差させながら、空いた方の手で彼女らは口元を抑えている。至極楽しそうに声を上げたあと、彼女の片方(おそらく姉だろう)が仮面をかすかに押し上げ、口元を露呈させた。
「馬鹿ね、坊ちゃン」
「………」
「でも、まタ遊んデね、坊チゃん」
と話して、彼女は仮面を元に戻した。そしてもう片方に向き直り、顔を見合せて笑ったかと思えば跳ねるようにして2人は森の奥へ消えていった。
「…はぁ……なんなんですかあの子たち……私の事殺す気ですか…………」
推定7、8mはあるだろう傾斜を見上げてそう悪態づいた。強く腰を打ったからか、ジンジンと痛みを訴えるそこへ手を添えてどうにか立ち上がる。しかし、今立っている場所もそれほど頑丈なわけじゃない。早く立ち去ろうと制服についた葉っぱや土を払って周りを見渡す。ここから下に降りる、というのは無謀だ。まだ10mはある、そんなところから飛び降りたらどうなるか……。ふと、ポケットからスマホを取りだして、電源をつける。…よかった、生きてた。これが壊れてたらもう生きる気力を失うところだった。安堵のため息を零して地図アプリを開けば、突然何かの鳴き声が聞こえた。
「……犬、でしょうか…野犬…いや、もしかして飼い犬ですかね、なら助けを……」
思考して、目線を上へ向ける。この鳴き声がもし飼い犬であって、それで散歩をしている飼い主がいるなら万々歳だ。希望を抱いて鳴き声と足音を聞いていると、緩やかな速度でそれが近付いているのが分かった。ギャンギャンとけたたましい鳴き声をあげながらかなりの速度で近付いてくるのが1つ。その後ろで一定のリズムを刻みながらゆっくりと歩いているのが1つ。聞こえた鳴き声はどうやら前者のもののようだ。
段々とそれは近付いてくる。人の姿が見えなくても、彼らに繋がる紐がどうにか見えればいい、と願いながら菊は目を凝らした。鳴き声が一層近い。来る、と思った瞬間…
「…えっ、はやっ」
目で追えなかった。何かが風を切る音はした、が、影しか見えなかった。紐も繋がってない。終わった、と菊は一瞬にして悟った。それが飼い主が居ない、ということからだけじゃない。人の追えない速度でこの野山を駆け回る野犬が、ただものではないということを彼は知っていたからだ。
幼い頃から人に見えざるものが見えていた菊は、一族から隔絶されていた。両親は早くに他界し、親戚の中でタライ回しにされていたとき唯一彼のことを認めてくれたのは、ある神社の神主をしていた”梅”という女性だった。彼女もまた、”そういうもの”が見えていた。そして、一族の変わり者だった。そんな彼女の元で育ちはや10年。すっかり自立できる年になった菊は、この辺鄙な田舎で一人暮らしを始めたのだった。己の境遇を知る人は誰一人としていなかった。それが、菊にとっては一番住みやすかったのだ。
妖か何かの類いだろうと身を震わせ、もう1匹。ゆっくりと歩いてくるそれへ意識を研ぎ澄ます。バレたらまずい、絶対に。膝を抱えて木の影へと隠れる。顔を伏せ、ゆっくりと近づいてくる足音が何もせず通り過ぎることを願った。サク、サク、と優雅に葉を踏む音。微かに止まった…と思えば何事も無かったかのようにそれは進んでいく。だんだん通り過ぎて、ようやく聞こえなくなったところで止めたままだった息をゆっくりと吐いた。
「……は、はぁ…こっわ…」
スン…
音が聞こえた。自分じゃない、なにか他の音。温度も感じる、人か…?いや、声をかけないのはおかしい。意を決して未だ上げていなかった顔をゆっ…くりと持ち上げる。……狼。
「……っは、…は…ぁ」
銀色の毛並みに三角形の立ち上がった耳。キラリと紅く光る瞳には重い圧があった。実物は見たことがない、けれど確信した。これは野犬なんてものじゃない。鼻先が触れ合うほど近くにいるそれに思わず声を上げそうになった。しかし、それはどうにか抑えた。刺激してはいけない…どう、にか……。できそうもなかった。大きさがまずおかしいのだ。まだ目線が同じならよかったが、なぜ見上げるところに顔があるんだろう。隔絶された菊の視界に浮かぶのは丸く赤い双月だけだ。
「…私のこと、たべます?」
「…………」
「あの、ちゃんと殺してからにしてくださいね。その…痛いのは嫌なので……
…なんて、言っても伝わりませんよね」
スマホの電源を落として、彼らが誤ってそれを飲み込まないよう少し離れたところに放り投げる。危うく崖下に落ちるところだったが、すんでのところでバランスをとったようだった。目を伏せてじっとその時を待つ。短い人生だった。正直、来世があるなら平凡に生きたい。この目さえなければいいから、平凡に、平均的に、普通に……。ふとぐわっと目の前でそれの口が開くのを肌で感じて、菊は意識を思わず意識を手放してしまった。