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教室の外れ、人気のない廊下。窓の向こうに赤い夕陽が滲む中、遥は蓮司に肩を掴まれていた。
「──こっち、来いよ。いいだろ?」
言葉は柔らかい。
けれど、掌には力がこもっていた。断れば折れる骨のような、無言の威圧。
反抗すれば、明日の教室がまたひとつ地獄に近づくと知っていた。
「……どこ行くの」
「秘密の部屋、また行こっか。ほら、あそこ、音漏れないし──安心でしょ?」
笑ってる。
笑ってるくせに、その目はまるで獣みたいにこちらを観察していた。
連れていかれたのは、校舎裏の使われていない器具室。
鍵は蓮司が持っている。教師も、見て見ぬふりをする。
ドアが閉まると、世界が静まり返った。
「ほら……脱いで」
その声は甘く、冗談のようだった。
でも、遥は、笑えなかった。
(どうせ──逃げられない)
蓮司の手が、制服の上から這う。
無理やりではない。けれど、逃げ場はなかった。
シャツのボタンがひとつ、またひとつ外されるたび、遥の呼吸は浅くなる。
蓮司はそれを面白がるように、わざとゆっくりと動いた。
「……また反応してるじゃん。やっぱ可愛いよ、おまえ」
遥は唇を噛みしめた。
唇の内側が切れて、鉄の味が滲んだ。
身体が勝手に反応することが──
何よりも、遥を苦しめていた。
(気持ち悪い。……俺、気持ち悪い)
(なんで、……拒絶してんのに)
蓮司はそれを見透かすように、耳元で囁いた。
「ねえ──日下部の前では、こうなんないの?」
「優しくされてると、勘違いしちゃうよね。……あいつの優しさってさ、罪滅ぼしでしょ?」
「本当の“おまえ”なんか、知ったら──きっと軽蔑されるよ?」
遥の視界が滲んだ。
でも、それは涙のせいではなかった。
(やめろ……それ以上……)
けれど蓮司は笑うだけだった。
遥の壊れかけた表情を、まるで一枚の絵のように鑑賞するかのように。
「……じゃ、また明日。楽しかったよ、遥クン」
器具室のドアが閉まった。
残された空気は、重く、湿っていた。
遥は崩れるように座り込んだ。制服は半分乱れ、汗ばむ肌が空気に晒されていた。
何も言葉は出なかった。
夜。
部屋に戻っても、照明はつけなかった。
蛍光灯のスイッチに指が触れた瞬間、
そこに誰かの影が映るような気がして──怖くてつけられなかった。
遥はベッドに身体を投げ出し、顔を枕に埋めた。
──服を脱ぎ捨てたわけでもない。
ただ、制服が肌に張りついていた。
背中がぞわぞわする。さっきまで、誰かの指があった場所。
太ももが、熱を持って痛む。そこに、さっき蓮司の舌が触れた。
(気持ち悪い。……こんなの、俺じゃねぇ)
(それなのに──身体は、……)
唇が震えた。
枕に顔を押しつけ、息を殺す。
もう、泣けないと思っていたのに──
涙は、止まらなかった。
(日下部……)
思わず、心の中で呼んだ。
(おまえの手が、今ここに伸びてきたら……俺、どうすんだろ)
(壊してほしくて、抱いてほしくて、でも……それを言った瞬間、全部が終わる)
(おまえが、俺のこと──“汚い”って思ったら)
(……終わりなんだよ)
もう、頭の中がごちゃごちゃだった。
日下部の声が、どこかで響いてる気がした。
──「見てるよ、おまえのこと」
その幻の声に、遥は歯をくいしばる。
(だったら、見てくれよ……)
(こんな俺を……見て、嫌ってくれよ)
(それなら、諦められるから……)
布団を握る手に力がこもった。
でも本当は──
嫌われるのが、何よりも怖かった。
遥は、自分のなかにある矛盾の濁流に、
静かに、音もなく飲まれていった。
そして、そのまま、深く沈んでいく。
──“次に日下部に会うのが怖い”と思ってしまったことが、
いちばん遥を傷つけていた。