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教室の灯りは半分だけ落ちていた。放課後の静けさは、重く淀んで、空気の隅に溜まっていた。
「ねえ、日下部」
不意に、蓮司が言った。
机に腰をかけ、長い脚をぶらぶらと揺らしている。
その目は、何かを測るように細められ、けれど口元にはいつもの飄々とした笑み。
「おまえさ、……遥のこと、好きでしょ?」
日下部は答えなかった。
答える言葉を持っていなかったし、持っていたとしても、それをこの男に渡す気はなかった。
「……でさ、もし俺が、遥の代わりになったら……どうする?」
言いながら、蓮司は自然な動きで距離を詰めた。
座っていた机から立ち上がると、まるで何気なく、日下部の背後に立つ。
「ねえ、試してみる?」
耳元で囁かれる。
それは冗談のように軽く、挑発のように甘く、けれどどこかに確かな熱と意図があった。
「遥みたいに泣けって言われたら、俺、意外と上手いかもよ」
日下部はその場を動かなかった。
けれど、背中の筋肉がぴくりと反応した。
蓮司は、そんな反応さえも楽しむように笑った。
「なんかさ、おまえってほんと、面白いよね。いちばん“壊さなそう”な顔して、いちばんヤバいとこ踏みそうになる」
その手が、ふっと日下部の肩にかかる。
何の力もない接触。
だが、重い。
「で、なに? 俺が近づくと、あいつの顔でも浮かぶわけ?」
日下部は静かにその手を払った。
力は込めない。だが確かに、拒絶の意志だけをこめて。
「やめろ」
その声は低く、乾いていた。
蓮司は一瞬、何かを測るように目を細めた。
そして、次の瞬間には、もう笑っていた。
「そっか。……まあ、いいや。嫌がるってことは、ちょっとは効いてるってことだし?」
そう言って、わざとらしく肩をすくめる。
「別に、食うつもりなんてないよ。ただ──」
言いながら、蓮司はゆっくりと日下部の前に回り込んだ。
その目は、まるで心の奥を覗き込むようにまっすぐだった。
「おまえが“どこまで”見てるのか、知りたくなっただけ」
「──遥が壊れていくとこ。見えてんだろ?」
日下部の喉がわずかに動いた。
何も言わないまま、ただ視線を逸らさなかった。
「止めんの? 見てるだけ? それとも、さ……おまえが壊す?」
その言葉は、明るい声色で差し出される、鋭利な刃だった。
蓮司はもう笑っていなかった。
その顔には、“何も感じていない者の愉しさ”と、“感じたふりをする者の残酷さ”が入り混じっていた。
「──あいつ、ほんと綺麗に壊れてくよ。おまえが近づけば近づくほど」
蓮司はそれだけを言って、背を向けた。
部屋を出ていく足音が遠ざかるまで、日下部は何も言わなかった。
ただ一つ、胸の奥で何かがきしむ音を、飲み込んだまま。