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「どこから話せばいいかな……とにかくあの頃の瑠維は、いつもピリピリした空気を身にまとっていて、近寄り難い雰囲気だったよ」
博之は過去に思いを馳せるかのように宙を見上げる。それから自分用に淹れてあったお茶を口に含んだ。
「俺は学校が違ったし、瑠維から連絡が来たら話を聞く、いわば相談相手にしかなれなくてさ。ただ話を聞くだけでも、その女性からの束縛は相当なものだった。それでもあいつが自分を見失わなかったのは、やっぱり佐倉がいたからなんだ」
思いがけない言葉を聞いて、春香は目を瞬いた。
「でも瑠維くんとは卒業以来、ずっと会っていなかったよ? 私は瑠維くんが苦しい時に、何もしてあげられなかった。離れていたから当たり前のことかもしれないけど、今はそれが悔しくて仕方ないんだ……」
「佐倉は昔から行動力があったからね。へこたれないし、グイグイ突き進んでいくというか。だからそう思うのも仕方ないのかもしれないな」
高校時代の春香は何事にも突き進むタイプで、博之の近くで彼に女子が近寄るのを阻止していた。その行動力のおかげで、椿と博之の距離が近付くことがなかったのも事実だった。
「まぁ確かに会ってはいなかったけど、心の支えにはなっていたんだよ。辛い時、佐倉の写真を見返しては『僕には佐倉先輩がいればそれだけでいいんだ』って、まるで呪文みたいに言い続けてた」
その時、ようやく瑠維がプールでこぼした言葉の意味が繋がったような気がした。
『そういうことじゃないんです。僕の心がずっと春香さんだけを欲していた……だからどんなに辛い時も耐えられた。春香さんを思うだけで自我を保てたし、強くなれたんです』
あぁ、そうか。そういうことだったんだーー私が瑠維くんのことをすっかり忘れて生活していた間も、彼の生活の中に私は存在していた。
そこに心はなくても、瑠維によって存在意義を与えられ、知らないうちに彼を支えていたのだ。
「恋は盲目なんだってさ」
「えっ……?」
「瑠維が言ってた。佐倉を好きでいるだけで、どんな辛いことも耐えられるんだって。そう思い続けるだけで、心が強くなれるって。叶わなかった恋でも、佐倉の存在が瑠維に生きる力を与えていたのは確かだよ」
ずっと自分は何も出来なかったという後悔がちらついていた。しかし今の博之の言葉は、春香が瑠維に力を与えていたのだと教えてくれた。
「私、役に立ってたのかな……?」
「もちろん。十分すぎるくらいにね。あの事件の後、俺が"佐倉アルバム"を作って差し入れしたら、ずっとそのアルバムと添い寝してたくらいだし」
「……何それ」
春香は思わず怪訝な顔をになり、博之をじろっと見つめた。
「俺のスマホに入ってた佐倉が写ってる写真をぎゅっと押し込めた渾身の一冊。って言っても、全部アプリでやってくれるんだけど」
「な、何勝手なことしてるの⁈ 恥ずかしすぎるんだけど!」
「まぁまぁ。あの後、みんなが瑠維に励ましや慰めの言葉をかけたけど、そんなものより佐倉の写真の方があいつには立ち直るきっかけになったわけだし」
ニヤニヤ笑う博之を見て、春香は呆れたようにため息をついた。
「もう、個人情報も何もないのねぇ」
「あはは。そこは瑠維のためってことで許してよ」
瑠維のためーー自分自身が彼が立ち直るための役に立てていたのだとわかり、春香は心から安堵した。
春香は椿の方を向くと、手招きをして呼び寄せる。しかし椿は眉間に皺を寄せながら、春香の隣の席に戻ってくる。
「もういいの?」
「うん、知りたかったことは聞けたし大丈夫。ありがとう」
椿は頷き、それから博之の顔を見た。
「瑠維くんって表情が全く読めないけど、ずっと春香ちゃんのことが好きだったんだね」
「そうなんだよ。だから俺は二人が付き合うことになって、ようやく瑠維の片思いが実ったと思うと感動しかないんだ」
博之は穏やかな笑顔を浮かべながら、そっと目を伏せた。それが彼の本心なのだと伝わってくる。
「瑠維くんっていつ頃から春香ちゃんに片思いし始めたの? こんな言い方変かもしれないけど、すごく愛情深いよね」
椿の言葉に、博之は記憶を遡るように顎に手を添えて目を閉じた。
「いつだったかなぁ。確か瑠維が一年生で……二学期の中間が終わったくらいだった気がする」
「えっ、一年生の時?」
春香自身も瑠維がいつから自分を好いていてくれたのか気になっていたが、まさかそんなに早くから彼の気持ちが向けられていたとは思いもしなかった。
「瑠維は人のことをよく観察して、見極めてからじゃないと好きになれないらしい。それが佐倉に対しては、最初から興奮したりイラついたりドキドキしたり、理解出来ない感情に苛まれてからようやく自覚したらしいからね」
思い出すのは、目が合った瞬間に逸らされてしまった思い出ばかり。そのほとんどが無表情だし、瑠維の想いは全く伝わってこなかった。
それが瑠維らしさと言われればそうなのだが、あの頃の春香はそこまで考えられるほど瑠維を知らなかったから、彼の態度をそのまま受け取るしか出来なかったのだ。
「私、ずっと嫌われてると思ってた」
「あはは。仕方ないよ、あいつ絶対に顔には出さないから」
「で、でも! 今は瑠維くんの表情がわかるようになってきたんだから」
「でも佐倉よりは俺の方がわかると思うなぁ。何しろもう十年近く一緒にいるからね。佐倉はまだ一ヶ月ちょっとしか一緒に過ごしてないだろ?」
「とはいえ、今は瑠維くんの部屋で過ごしてるし、普段の瑠維くんは私の方が知ってるんだから」
これが不毛な争いとわかっていても、瑠維を大切に思う気持ちは二人とも譲れず、バチバチと火花を散らす。
「はいはい、二人とも瑠維くんが大好きなのはわかったから。それより春香ちゃん、自分の家から引っ越したの?」
そんな時、椿が苦笑しながら二人の仲裁にはいり、春香にそう尋ねる。
「ううん、今もそのままにしてある。時々荷物を取りに行ったりはしてるんだけど……」
「じゃあ瑠維くんの家にそのまま住まわせてもらうのは?」
「うーん、どうかなぁ。今勤務地の異動を相談してて、それ次第で引っ越しを考えてる」
本音を言えば、瑠維が『一緒に住もう』と言ってくれたら……そんなことも考えていた。二人の時間が思っていたよりスムーズに流れているし、一緒にいれば安心出来る。
ただ問題があるとすれば、ストーカーに追われたこの地に留まることへの恐怖心だった。いずれどこかで再会し、また同じことが起きたらと考えると怖くて仕方ない。
すると博之が表情を曇らせたことに気付いた。
「あのさ、ちょっと言いにくいんだけど、瑠維の部屋に引っ越すことは考えない方がいいかも」
「えっ、どうして?」
不思議そうに聞いた春香に、博之は言葉を詰まらせる。
しばらく考えてから口を開くと、
「今の部屋は一時的に借りてるだけで……まぁ詳しくは瑠維に聞いてよ」
と含みのある返事をした。
博之の口からは言えないことーーそれが一体何なのか気になった。瑠維には事件のこと以外にも秘密があるのだろうか。
「うん……わかった」
不安に思いつつも今は頷くことしか出来ず、口に含んだ抹茶プリンも、ほんのり苦さが際立った。
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