煌びやかなネオンが光る。平日の夜は人通りが少ない。時刻はもう21時半を回っていた。翌朝から仕事の昼職者達は、当然これからおやすみの時間。
凪は届いたDMを確認するためにズボンの後ろポケットからスマートフォンを取り出した。
『はじめまして。ちひろといいます。お店を通さずDMを送ってしまいすみません。ずっと女性用風俗に興味があったのですが、中々勇気が出ず利用できずにいました。
初めての施術を快さんにお願いしたいと思っています。予約の空いている日はありますか?』
初めて彼女からDMが来たのは2ヶ月前のこと。女性用風俗店でセラピストとして働く凪は、源氏名を快と名乗っている。
セラピストアカウントで利用しているツイッターには、こうしたDMがいくつもくる。
それもそのはずだった。アイコンには整った顔の凪の写真。それは男女問わず誰もがイケメンと呼ぶほど。細マッチョの体も投稿しているため、その割れた腹筋を含め容姿目的で連絡してくる女性は後を絶たない。
加えて自ら学び、技術を磨き、何十人もの女性を絶頂へと導いたテクニシャン。店のホームページの口コミには、その容姿と技術を褒め讃えるものばかりだった。
今回の客はそんな中の1人。もちろん顔も声も歳も知らない。わかっているのはちひろという名前と、何度かやり取りした文章から少しだけ見えてくる人柄だけ。
女性用風俗、通称女風(じょふう)のユーザー年齢層はバラバラで、20代~40代の女性がよく利用する。
独身だったり既婚者だったり彼氏持ちだったり。性欲を満たしたい女性が、快楽を求めてやってくる。
凪はいつもの様にホテル街へ入っていた。指定されたのは最近できたばかりの綺麗なホテル。部屋代も他のホテルに比べて少し値が張る。
とはいえ、煌々と照らされる外観はラブホテルそのもので、凪は目的の建物内へと入った。
いくつもホテルがある中でここを選ぶってことは、それなりに金に余裕がある客かな……。まあ、初回から180分とお泊まりで指名してくれんだからあるだろうな。
凪はそう思いながら部屋写真が並ぶパネルの前までやってきた。
およそ60分1万円で利用できる凪が勤める店、【秘密の部屋】。180分の利用で3万円である。それにプラスしてお泊まりは1時から朝9時までの8時間で5万円。合計8万円に更に指名料やら交通費、ホテル代がつく。
決して安くはない料金を初対面の男に使おうというのだから、金銭的に余裕があるとしか考えられなかった。
凪は部屋の内装写真を眺めながら701号室を見つけた。広い室内で明らかに他の部屋とは雰囲気が異なる。ラグジュアリーな印象だった。パネルのライトは消されているが、このホテルでも1番値が張る部屋であることは間違いない。
古いホテルで埃っぽい空気に咳き込みそうになることもある。綺麗好きの凪にとって綺麗なホテルを選んでくれるのはありがたいことでもあった。
『部屋の前に着きました! 鍵開けて下さい』
連絡を取り合っていたDMに送信する。暫くの間、凪は辺りを伺ったりちひろと名乗った客とのDM内容を確認したりしてやり過ごす。
恐らく中では彼女がフロントに電話をかけ、解錠を依頼している頃だろう。
もうそろそろ、凪がそう思ったところでタイミングを見計らったかのようにガチャりと音を立てた。
これも毎日の光景。最近ではセラピスト快の名前も売れ、太客と呼ばれるロングの指名をくれる客もついた。
営業時間の11時から翌日1時までを全て貸切する客もいれば、1時から9時のお泊まりも含めて全てを貸し切る客までいる。
そういった場合は駅や店で待ち合わせをし、普通にデートしてホテルに行ったり、数日貸切を希望する場合は旅行へも行く。
つい先日も3泊4日の貸切予約が入り、国内旅行から帰ってきたばかりだった。たったの4日で費用は100万円近くにも上る。
そんな大金をぽんっと払えるのは、社長夫人か経営者かもしくは同業者。つまり風俗嬢である。中にはキャバ嬢もいるし、この日のために貯金したと言った昼職者もいた。
そんな客ばかりを相手にしているものだから、1日に何度もホテルを出入りするということも徐々に減っていた。
とはいえ、こういった新規の客も後を絶たない。初回は様子見で90分や120分で予約する客も多い。
だから凪はこうして時折リピーターの合間に新規の客を入れては次に繋げる。この日だって普段と変わらない流れだった。
上手くいけば、ロング常連の太客の1人になるかな、なんて浮き足立ってもいた。
内側からドアが開けられ、中から女性が現れた。凪は想像もしていなかった容姿にゴクリと喉を鳴らした。
白く、キメ細やかなツルリとした綺麗な肌。均等な二重幅をした瞳は、全く濁りのない澄んだ茶色をしていた。
ウルフカットのミルクティー色の髪はキラキラと輝いていて、ブリーチをしているだろうに艶っぽくサラリと揺れた。
顎のラインがシュッと浮き出ていて、顔の小ささが際立つ。
たった一目見ただけで目が逸らせないほど美しかった。絶世の美女とはこういう人間を指すのか、と凪は人とは思えないほど妖しく美しいその容姿を凝視した。
加えて凪よりも高い身長。屈んでいるためそうも見えなかったが、体を起こせば凪を超えるだろうと思えた。
うっわ……。モデルかな? すげぇ……綺麗。背も高ぇ……。知らないだけでスーパーモデルとか? パリコレとか出てるレベルのモデルかな?
凪が思わず心の中で息を漏らすほど、神々しく輝いて見えた。
「あ、ちひろさんですか?」
それでも凪はプロのセラピスト。平然を装って尋ねた。
「……」
目の前の美女は、声を発しないままコクンと頷いた。
「入っていいですか?」
凪が聞けばまた頷く。大抵こんな時は相手も緊張していて、慌てたように勢いよく喋るか、何も喋れなくなるか。中にはコミュニケーション能力に長けていて、自然に接してくる者もいる。
……こんな美女でも緊張すんのかな。男なんていくらでも寄ってくるだろうに。
凪はそう思いながら、彼女の後をついていった。ソファーに並んで座ると、凪の方から「はじめまして。今日は指名して下さってありがとうございます。快です」と自己紹介をする。
それに対してもちひろは軽く頭を下げるだけだった。
彼女もホテルに入ったばかりだったのか、部屋の中はまだ暖まりきれていなかった。エアコンの唸る音だけは響いている。
新規の客は顔も性格も相性もわからない。だから、180分とお泊まりだなんて長い時間は、よほど相性のいい相手なら楽しく過ごせるが、嫌な客にあたれば苦痛でしかない。
予約時間から利用時間開始となるため、新規客は言わば賭けのようなもの。予約時間が長い客は、少しでも施術時間を減らせるために凪の方から駅で待ち合わせすることを提案していた。駅からホテルまでゆっくり歩けば、その分時間が稼げるからだ。
しかし、ちひろは一緒に歩いているところを誰かに見られるのは困るからホテルで待ち合わせにしてほしいと凪に頼んだ。
客がそう望んでいる以上仕方がないかと凪は腹を括ってきたのだが、こんな美女と過ごせるならホテルからでもアリだな、なんてことを考えていた。
12月の夜はシンと冷え、足のつま先は痛みすら感じるほど。だからか、ちひろはまだコートを羽織って首にはマフラーを巻いたままだった。
ふくらはぎまで隠れるロング丈のコートを膝の前まで持ってきてピッタリと合わせている。更にコートの下から出たニットの袖が、指先まで覆っていた。
……萌え袖。圧倒的美人なのに、萌え袖。……可愛いかよ。
凪はキュッと口を結んだ。色んな客を見てきたが、ここまでハイレベルな女性は見たことがない。プライベートでだって当然なかった。
これから施術をするのは自分なのに、金を受け取ってこの素肌に触れてもいいのかという疑問さえ湧いてくる。
「あの、2ヶ月もお待たせしてすみませんでした」
凪が申し訳なさそうに言えば、ちひろはふるふると顔を左右に振った。その度にミルクティーの髪が揺れる。瞬きをする度に長い睫毛が震えた。それすらも美しく、凪は息を呑む。
こんなに綺麗な客だってわかってたら、他の客後回しにしたって優先させたのに……。
思わずそんな気持ちになった。ちひろが連絡をくれてから会うまでの2ヶ月、今日のことなど特に何も考えず普段通り仕事をこなした。
ちひろが休みを何日か提示してくれたが、ロングの予約が既に埋まっていたのだ。
凪次第でちひろを優先させることも可能だった。しかし、リピートに繋がるかわからない客よりも、確実に金になるロングのリピーターを優先させた。
その結果、2ヶ月待ちとなった。
「えっと、システムとかってわかんないですよね? 初めてですもんね?」
凪が尋ねればちひろは頷く。しかし、決して声を発することはなかった。なぜ話さないのか、緊張して話せないのか。疑問は募るが、性感マッサージに突入した時、ちひろがどんな甘い声を上げるのか凪は楽しみで仕方がなかった。
この無口な美女が大声で喘ぐほどに、自分のテクニックで快感を与えたいと思った。
「まずカウンセリングをします。してほしいことと、してほしくないことがあったら教えて?」
距離を縮めるように少しずつ敬語を取り払っていく。凪がちひろの目を見て言えば、彼女はまた頷くだけ。
「その後はシャワーを浴びて、オイルマッサージね。その後性感マッサージに入ります。おっけ?」
凪が軽く首を傾げると、今度は2回頷くちひろ。段々と喋らないことも気にならなくなってきた。どうせ性感マッサージに入れば嫌でも反応で感じていることがわかるのだ。
どんな女性だって、凪の手にかかれば最後は恍惚の表情を浮かべた。遊び慣れている気の強い女性も、Sっ気のある男を服従させたいタイプの女性も。
どんな女性が相手だって凪に怖いものなどない。経験と実力からくる自信だった。
「性感のみとかイチャイチャだけとかも選べるんだけど、一般的には性感しながら恋人ごっこみたいにイチャイチャするんだけど、それでいい?」
凪が質問してちひろが頷く。それが自然となっていた。
「じゃあ、最初はシャワー別々にしようか」
まだちひろに触れる前の凪が聞けば、ちひろは軽く首を横に振った。
「ん? 一緒がいい?」
凪が優しく尋ねれば、ちひろはこくんと小さく頷いた。
「じゃあ、服どうしよう。俺が脱がせていいの?」
その言葉にはまた首を横に振るちひろ。
一緒にシャワーを浴びる場合、セラピストの前で服を脱ぐのは恥ずかしいから、先に入っていてほしいという客もいる。
中にはそれがマニュアルとなっている店もあるのだ。
「じゃあ、俺が先にシャワー浴びてるから、5分経ったら入ってきてくれる?」
理解したちひろが頷く。
「あ、あと呼び方決めなきゃね。俺の事は好きに呼んで。快でも快くんでもなんでもいいよ。俺はなんて呼んだらいい? ちひろちゃん? ちひろ? あ、呼び捨てでいい? うん、じゃあちひろね」
ちひろの首の動きに合わせて質問を繰り返す凪。その後もセーフワードを決めたりと一通りの説明を終えて、前払いの8万円プラス指名料と交通費を支払ってもらった。
先に脱衣場に入った凪は、服を脱いで浴室へと向かう。シャワーを出して、体を洗うための準備をする。
感染対策のためにもお互いの体をしっかりと洗う必要があった。
ちひろが入ってきたら、凪が丁寧にその体を清めるのだ。きっとしっかりと筋肉がついた美しい体をしているんだろうなと想像する。
昨日は40代後半のたるんだ体を施術していたからか、凪は妙に興奮した。
もはや女性の体など見慣れ過ぎてきてなんとも思わなくなっていた。アダルトビデオを見ても昔ほど興奮もしない。仕事は仕事として割り切れるようになった。
それでも中にはオキニ(お気に入り)の客もいて、可愛くてスタイルがよくて思いやりがあって金払いのいい女性なんかは気持ちが盛り上がることもあった。ただ、どんなに可愛くてもケチで金払いの悪い客は好きにはなれなかった。
女は金と同じ。そう思っている凪にとって、ちひろはなにか不思議な魅力を持っていた。
凪は、その魅力と勘違いした違和感の正体にすぐに気付くことになる。
約束通り、5分経つと浴室のドアをノックされ、開けられた。シャワーを出して先に自分の体を洗い終わっていた凪は、気配に気付いて振り向く。
待ちわびていた人形のように美しい顔が目に入る。しかし、すぐにすっと瞼を上げた。
「ちょっ……」
凪が驚いて声を上げたと同時に、ちひろが手を伸ばし、凪の腹部に腕を回した。
ピッタリと体が密着すれば、背面には当たるはずのないモノが押し付けられる。それはもう既に反応していて石のように硬くなっていた。
「ごめんね。一緒にお風呂とか考えたら勃っちゃった」
語尾にハートマークが見えた気がした。しかし、柔らかな言い方に反してその声はとても低かった。
背中に押し付けられた胸板には柔らかな胸の膨らみはなく、むしろ筋肉によって厚みがあった。
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