凪は思考が追いつかないまま、目を見開いて瞳を揺らす。顔は先程見たちひろと変わらない。
アイホールはアイシャドウによってキラキラと輝いているし、上向きの睫毛にはたっぷりとマスカラが塗られている。目尻から少しはみ出たアイラインはミステリアスな印象を与える。ぷるんと潤いのある唇は、グロスによってピンク色に色付いていた。
しかし、顎の下に伸びる首筋のラインも、突出した喉仏も男性そのものだった。
「……男」
「うん、男」
「まっ、無理!」
「は? 金払ったじゃん」
耳元で低音が囁く。金を払ったと言われてしまえばそれまでだ。既にお互いの同意の上で金銭のやり取りが行われてしまっている。
「か、返すから!」
「んーん。返さなくていい。ちゃんと仕事してよ、快くん」
ガッチリと後ろから抱きしめられ、その腕を解こうにも凪よりも逞しい腕から逃れられずにいた。
「暴れちゃダメ。水場で暴れたら危ないよ」
ちひろは落ち着いた声色で言う。ちひろの声を聞きたいと思っていた凪だったが、全く想像していなかった声に動揺する。
女性にしてはハスキーボイスかもしれない。それとも見た目の美しさ通り声も透き通ったように繊細かもしれない。どんな予想も裏切る自分よりも低い声。
咄嗟に掴んだシャワーポール。どうにか向きを変えてせめて浴室から出られたら。そんなふうに思った凪だったが、すぐに自分よりも大きな手に手首を掴まれた。
そのままシャワーポールに押し当てられ、ギチッと音がしそうなほど力を込められる。
「いた……」
「大人しくしてて。俺も痛いことするのは本意じゃないんだよ」
密着した体のまま、耳元で囁くちひろの声。ひぃっと声が出そうになりながら震えた凪だったが、ふと手首に違和感を覚えた。
押さえつけられた右手にグルっと一周巻かれたボンデージテープ。慌てて引き剥がそうとするが、グルグルと何周も巻かれ既に全く動かない状態だった。
「まっ、何するっ」
顔面蒼白になった凪が吠える。しかし、冷静なちひろは「快くんが暴れるから」なんていいながら涼しい顔をしていた。まるでそれが当然かのように。
「つーか、お前誰だよ!」
余裕がないのは凪の方で、恐怖に支配されつつあれば冷静な判断などできない。
相手は男で、目的もわからない。もしかしたら今まで相手にしてきた客の彼氏とか、旦那とかかもしれない。そんなことまで頭を過る。
ちひろの顔に向かって声を荒らげると、無意識になった左手首も掴まれて、あっという間に両腕拘束されてしまったのだ。
「まっ……ちょ、これ解けよ!」
「解いたら逃げるでしょ?」
「当たり前だろ! こんなことして何が目的だよ! お前、何者!?」
「俺? ちひろだってば」
「なんなんだよ! ちひろって誰だよ! お前男じゃねぇか!」
「男だよ。でも嘘はついてない。俺はちひろだし、女だなんて一言も言ってない」
ちひろはニッコリと微笑んだ。悔しいが、それは輝いて見えるほど美しい笑みだった。
なんだよ……。騙された。喋らなかったのも、服を脱がなかったのも、男だってバレないためじゃん。
完全に気を抜いてた。女だと思ってナメてた……だって、こんなこと……ありえないだろ。
凪は絶望にも似た感覚に襲われた。もしかしたらここで殺されるんじゃないか。リンチにでも遭うんじゃないか。
生命の危険すら感じて体が震えた。
「俺の客の……彼氏とか?」
「ん?」
「俺、なんかした? 客の誰か傷つけたとか……」
「ああ、違う違う。全然関係ないよ。快くんのお客さんはどうでもいい。俺が快くんとエッチなことしたかっただけだから」
「はっ、はぁーーーーー!?」
一番想像していなかった回答に、凪はただただ驚愕するしかなかった。
青くなった凪の顔から更に血の気が引いていく。殺されることも想像したが、それ以上に恐ろしいと思った。
「お前……ゲイ?」
「うん。そう。男しか無理」
そう言ったちひろは、赤い舌をチロリと出して、優しく凪の首筋に這わせた。
急に訪れた濡れた感覚に、凪は一瞬ピクンと体を反応させた。
「まっ……、俺はっ、女しか無理っ!」
「んー……試したことある? 男?」
「な……ある! あるけど無理だった!」
「いや、嘘だね。今ないけどって言おうとしてた」
ゆったりとしたちひろの声。全てを見透かされているようでゾッとする。この綺麗な生き物は一体全体何者なんだとわけがわからない。
「1回試してみてよ。本当に無理かどうか」
「試さなくてもわかる! 無理だ! 男は無理っ」
「やってもみないのに無理だって決めつけるのはよくないな。まぁ……解放する気なんか更々ないから別にいいんだけどね」
艶やかな声が鼓膜を震わせる。絶対に逃げられないよ。そう囁かれた気がした。凪は体の底から込み上げる恐怖にギュッと目を瞑った。
「ああ、ごめんね。怖がらせるつもりとかは全くなくて。乱暴にする気もないから安心して。最初から最後までずっと気持ちいいだけだから」
後ろからギュッと優しく抱きしめるちひろ。言っていることは優しいようで、決して優しくはない。
「あ、あのさっ……俺、男はしたことないけど納得してもらえるなら、1回くらいなら抱いてあげるからっ……だから、これ解いてくんない?」
凪は思考を巡らせた。どう足掻いても解放してもらえそうにはない。たった1回抱いて満足してくれるなら、このまま体を触られ続けるよりマシじゃないか。そんなふうに思った。
けれどちひろはふふっと可笑しそうに笑うと「何言ってんの? 俺、バリタチ。俺が抱くんだよ、快のこと」と色気たっぷりの声で囁いた。
うそうそうそうそうそうそ……。嘘だろ、おい! 俺が抱かれる!? 男に抱かれる!?
「ちょっと待っ……なぁ、ここ女性用風俗って名前ついてんのわかってる!?」
「うん。わかってる」
「わかってねぇだろ! そもそも女しか利用しちゃいけないの!」
「ああ、じゃあとりあえず今日は女ってことでいいや」
「そうじゃなくて! お前、戸籍も中身も男じゃねぇか!」
「まぁ……そうだね」
「だから! 利用できないんだよ!」
「でも金払った」
ちひろはなんの悪びれもなく言った。無表情のまま、凪を見下ろす。
「ダメだって言わなかったじゃん。金受け取ったじゃん」
「それはっ……女だと思ったからで」
「受け取ったらサービスするのがセラピストじゃないの?」
「だ、だったら! 店でのマニュアル通りのサービスをさせてもらう! マッサージと性感マッサージ! 普段俺がやってる通りのっ」
「いつも女しか相手にしてないのに、男のこと気持ちよくさせられんの?」
ちひろは身を屈めてボディーソープに手を伸ばした。数回プッシュして、液体を手に取る。両掌を擦り合わせて伸ばすと、凪の脇腹をその手で撫で上げた。
「っ……やめろっ」
「綺麗にしなきゃでしょ? 洗ってあげる」
「もうっ、洗った! 自分で洗った!」
「ふーん。ここも?」
ちひろの手は腿を這って鼠径部をなぞり、袋を撫で上げた。中で2つの玉が転がる。全く反応を示さなかった竿がぴくっと細かく跳ね上がった。
「やめっ……」
「やめない。ピクピクしてるね。直接触ったら反応するかな?」
後ろからピッタリくっついたちひろの胸。凪の臀部には、未だに硬いモノが押し当てられていた。
「頼むから……やめてほし……男は、無理……」
恐怖から凪の声が震えた。あんなにも強気だったのに、今にも泣き出しそうだった。身動きが取れず、自分よりも体の大きな男に好き勝手触れる脅威。
女は男に対してこんな怖い思いをすることもあるんだろうな、なんて初めて凪は思った。
「ダメだよ。2ヶ月も待ったんだ。快が時間取れないって言うから」
何となく不機嫌そうなちひろの声。いつの間にか呼び捨てされているし、機嫌を損ねたらもっと酷いことをされるかもしれない、と凪はゾクリと背筋に冷たいものを感じた。
「それはっ……悪かったって思ってる……」
「うん」
「でも、俺……」
「わかるよ。怖いよね。ごめんね、なるべく優しくするから」
「違っ……したくない。俺、したくない」
「それは無理」
ヌルッと泡立ちながら滑るちひろの手は、緩やかに凪の体を包む。胸も背中も腿もいやらしい手つきで這いずる。
「うっぁ……」
凪は、押し寄せる刺激に耐えるようにしてギュッと目を閉じた。
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あれから何分位経っただろうか。徐々に解されていくのが自分でもわかる。恐怖に押し潰されそうになりながらも変わっていく快感。それがまた恐ろしくもあった。
体の奥を弄られるようにして、長い指が侵入してくる。その圧迫感に息が出来なくなった。
「はっ……はっ……やだ……」
「可愛い。もうすんなり入るようになったよ。もう1本増やすね」
「んーっ!」
圧迫感は増していく。苦しさと感じたことのない快感に、凪の目からボロボロと涙がこぼれた。
「凪、泣いてるの? 泣かないでよ。酷いことしてるみたいじゃん」
「してんじゃんっ……。だから何で名前知ってんだよっ……お前、怖いよ」
「知ってるよ。凪だって俺のこと知ってる」
「え!? 知らな……」
「知ってるよ。何回も会ってる」
そう言いながら、ちひろはグイッと指を折り曲げた。
「っ……!」
ビクンっと大きく体を仰け反らした凪は、勢いよく白濁の液を撒き散らした。鏡を汚し、壁を伝ってゆっくり下降する。
「あーあ。もったいない……俺、飲みたかったのにな」
ちひろのその発言に不快感が募った。
「死ね、変態……」
恐怖と羞恥心とで気がおかしくなりそうだった。きっと最後まで解放されることはない。これは地獄の始まりなんだと凪はまた1つ涙を落とした。
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