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鳴り響いた着信音に、結月の意識が浮上する。
思っていた以上に疲れていたのか、広々としたベッドが気持ち良かったのか、夢を見ることもなく熟睡していた。
無理やり動かした重い腕を彷徨わせ、無粋な音で急かすソレを見つけると、表示されていた時刻と番号に嘆息しながら通話を押した。
「……せっかく気持ちよく寝てたのに」
『そりゃ悪いコトをした』
「全然悪いって思ってないだろ」
電話口の向こう側で、ほくそ笑んだ気配がする。
「朝っぱらからなんの用だよ、――『土竜』」
『相変わらず可愛くねーなー、結月。少しは喜んだらどうだ? 折角の『家族』からの電話なんだからよ』
クスクスと笑う声に、結月は唇を尖らせる。
裏の世界に助力を求めてきた表の『客』の要望を訊き、望む相手へと繋ぐのが仲介屋の『土竜』である。
仁志を結月を所に寄越したのも彼だ。
結月と土竜の間には、血縁関係はない。だが『家族』だと互いに認識している。
彼はよく『師匠』の元に来ていた。それは仕事の時もあるし、そうでない時もあった。結月が『師匠』に拾われた、最初の頃からそうだった。
『師匠』にしか懐かない結月を「可愛くねーガキだな」と笑い、それでも媚びるでも常の横暴さを隠すでも無く、ただ自然とそこにいた。
歳は知らない。見た感じでは、『師匠』と同じくらいに思えた。夜を写したような黒髪に黒目、『師匠』よりも背の高い土竜は、また系統の違った伊達男だった。
ある日ふと、二人に「恋人同士なのか」と尋ねた事があった。『師匠』は顔を顰めて「違います」と即答し、土竜は「どーだかな」と肩を竦めていた。
結月にはそれが不思議だった。二人の間には明らかに『関係』があったし、残念ながら結月では支えきれない『師匠』の心中を守っているのは、土竜の他なかったからだ。
結月は土竜の本名も知らない。だが師匠は知っていた。つまり、そういう事だと思った。
だから結月は言葉を変えた。「なら、二人は『家族』なの?」と。
すると土竜は手を打って「そりゃいいな。そうだ、『家族』だな」と笑い、『師匠』はまだ薄い皺を眉間に刻んだままチラリと土竜を見遣ったが、否定はしなかった。
上機嫌な土竜に呆れたように息をつき、それから結月の前で身をかがめた『師匠』は、細い指で優しく頭を撫でながら「ただし」と付け加えた。
「私達だけが『家族』なのではありません。結月、貴方を含めて『家族』です」
調子に乗った土竜が「どっちかっつーと、お前は俺似だな」と満足気に腕を組み、『師匠』に強烈な一発を食らっていたのも懐かしい。
ともかく土竜は結月の『家族』である。例え、『師匠』が居なくなってしまっても。
『で、どうだ? 例の色男とは上手くやっているか?』
「……たぶん」
『なんだ。随分と歯切れが悪いな? 抱かれたか?』
「ちっがうから!」
キスはされたけど。といっても、唇ではなく頬だ。
どうせ言った所で茶化す材料を与えるだけだと飲み込んで、結月は眉を顰めた。
「なんなの、アイツ。人の話しは聞かないし、行動も思考もわけわかんない」
『ほう? どうやら仲良くやってるみたいだな』
「どこにその判断に辿り着く要素があった?」
『わけがわからない、ってコトは、理解しようとしてるってコトだろ? 他人に興味を示さねーお前が、随分な進歩じゃねーか』
感慨深そうな声に、結月は思わず「うっ」と詰まった。
確かに。今までは理解の及ばない相手がいても、それが客にしろターゲットにしろ、「そういうモノだ」と一蹴して特に気に病んだ覚えはない。
それが今回はどうした。
「っ、でもそれは、一ヶ月の住み込み専属とかいう特殊な環境があって、顔つき合わせて過ごす時間が多いからってだけで」
『まぁ、そういうコトにしといてやるか』
必死な弁解が面白いのか、クツクツと笑う低音が耳に届く。
見えなくとも愉しげにニヤつく表情が思い起こされ、結月は湧き上がった羞恥に、堪らず枕に顔を埋めた。
土竜は何処まで、お見通しなのだろう。
「……ねぇ、土竜」
『なんだ?』
「……おれのソレは、『進歩』なの? 仕事をする上で余計な感情は邪魔だって、『師匠』がいつも、言ってたじゃん」
胸中を蝕む『感情』は、仕事中に自我を生む。この世界で生きていくには不要な興味を切り捨てるか、それを抑えこめる程に強くならなければいけないと、『師匠』は結月に教えた。
土竜は暫くの沈黙の後に、『そうだなぁ』と呟いた。
『……アイツが知ったなら、「私の教えを忘れたのですか」って言いながら、仁王立ちで腕を組むだろうな』
「……だよね」
『けどな、結月。その後きっと「お茶にしましょう。手を洗ってらっしゃい」ってお前を追い払ってから、こっそりと顔を緩めるんだよ。『師匠』じゃなくて、『親』の顔でな。俺の知るアイツは、そーゆーヤツだ』
「……土竜の知る『師匠』なら、誰よりも間違いないじゃん」
『どうだかな。俺の知らないアイツも、沢山あると思うぞ』
間違いではない。現に土竜は、仕事先での『師匠』を知らない。
情報を引き出す『方法』は心得ているようだったが、仕事終わりの師匠には、決まって『お疲れさん』と言うだけだった。
それが、『仕事』には踏み込まないという割りきった大人の余裕だったのか、詳細までは知りたくないと思っていたからなのかは、未だに判断がつかない。
けれどもやっぱり、『師匠』の根底を知るのは、土竜しか居ないと思うのだ。
『それにな、結月。月は日によって形を変えるものだ』
言い聞かせるように紡ぐ土竜の声は、やはり穏やかだ。
『少なくとも俺は、お前の変化を、嬉しいと思うぞ』
彼の言う『親』の顔で微笑む『家族』を脳裏に浮かべながら、結月は懐かしさに「……そっか」と目を閉じた。