テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
#シリアス
17
134
塾に通い始めて一ヶ月
ひまりの机には、かつてのおもちゃの代わりに分厚い参考書が積み上がるようになった。
だが、壁は想像以上に高かった。
「…もう、わかんないよ。パパ、お医者さんなんて、やっぱり私には無理なんだよ……」
深夜、リビングからすすり泣く声が聞こえてきた。
俺が様子を見に行くと、ひまりが算数の問題集に突っ伏して肩を震わせとった。
開かれたページには、バツ印のついた難解な図形問題と、涙で滲んだ数式が並んどる。
俺は無言でひまりの頭を撫で、それから台所へ向かった。
「和幸、火を熾せ。一番出汁、とるぞ」
「兄貴、こんな時間に……夜食っすか?」
俺は包丁を握り、極限まで薄く切った大根と、ひまりの好きな餅を準備した。
「ひまり。一回、ペン置け。……ワシ特製の『合格うどん』や」
湯気を立てる丼を机に置くと、ひまりは泣き腫らした目で俺を見上げた。
「……ねえパパ、私、バカなのかな。塾のみんなはもっと早く解けるのに……」
「…アホ言え。お前はバカやない。ただ、道が険しいだけや。……ワシもな、昔は組の看板背負うのが怖くて、夜中に震えとった。…やけどな、そんな時は、腹に熱いもん入れて、明日やっつけることだけ考えたんや」
俺はひまりの向かいに座り、自分も同じうどんを啜る。
「……ええか、ひまり。お医者さんはな、頭がええだけじゃなれん。……自分の弱さを知っとる奴が、一番優しい医者になれるんや。…今のお前の涙は、将来、患者さんの痛みをわかるための『薬』になる」
ひまりはハグハグとうどんを頬張り、熱い汁を飲み干した。
「…ありがとう、パパ。…うどん、美味しいね」
「…おう。今日はもう寝ろ。…明日、ワシと一緒にこの図形問題を『始末』したる。…和幸と一緒に予習しといたからな」
「えへへ、パパ、いつの間に……」
ひまりの顔に、ようやく小さな笑顔が戻った。
俺はひまりが寝室へ行くのを見届けた後、和幸と二人で、残された問題集を睨みつけた。
「…おい、和幸。この補助線の引き方、どういうことや。……説明せんかい」
「兄貴、そこはですね────の法則を使いまして……」
夜が更ける中、事務所にはペンが走る音と、時折響く「……xが消えたッ!?」「探せッ!!」という怒号が響いとった。