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過越しのパン(マッツァー)の中にキリスト教徒の子供の血を混ぜるという噂が、「血の中傷」という言葉のそもそもの由来である。だが、この噂が広範囲に流布されるに及んでユダヤ人に対する中傷一般を指す概念として用いられるようになった。血の中傷はユダヤ人差別の象徴として、彼らに対する憎悪を一層掻き立てる機能を果たした。特に過越祭の期間にその機運が高まったが、それは過越祭そのものが他の祭に比べて民族主義色が濃く、ユダヤ教の起源、習慣、信仰といったアイデンティティをより具体的に表現していたことも関係している。 ユダヤ教には殺人についての厳格な禁止事項があった。また古来より、肉食には細心の注意を払っており、タルムードでは人肉食についての警告を発してもいる。にもかかわらず、ユダヤ教徒は特別な儀式において祭具に滴らせるキリスト教徒の血を必要とし、そのために密かにキリスト教徒の子供たちを殺害し、その遺体から血を絞り出しているといった噂が公然と囁かれていた。 ユダヤ人によるキリスト教徒殺害という観念はイエスの受難を連想させ、その再現とさえ見なされていた。その種の噂は以前からあり、単純にキリスト教徒に対するユダヤ教徒の復讐であると説明されていたが、その後、反ユダヤ主義者にとって都合の良い別の説が定着するようになる。それが上述の、過越のパンにキリスト教徒の子供の血を混ぜるというものであった。さらには、過越の晩餐に供されるワインにも血が注がれているといったと尾ひれが付くようになり、年を追う毎に、過越し祭が繰り返される度に話が膨らんでいった。 血の中傷にまつわる流言は、中世以降の800年間におよそ200のバリエーションが数えられているが、そのいずれもが核心部分にはほとんど手が付けられていなかった。よって、世代を通じて固定観念が形成されるようになり、血の中傷についてのおおよそのストーリーが完成するに至った。それによると、*過越祭の数日前になると突然、キリスト教徒の子供が行方不明になる。*祭が終わった頃になると子供の遺体がユダヤ人の家の近辺で発見される。*その遺体には血を抜き取られた形跡がある。つまり亡くなった子供はユダヤ人の過越しの生贄として犠牲になったという話の流れである。 当時のキリスト教徒は、自分たちのことをユダヤ人よりも啓蒙され、より文明的であると考えていた。よって、キリスト教社会では穢れた職業として禁忌されていた金融業にユダヤ人が携わっているのならば、儀式においても人肉を食したり血をすすったりするような野蛮な信仰、習慣を保持しているに違いないと当然視していた。血の中傷は、当初はイギリスとフランス国内でのみ、まことしやかに囁かれていたが、この両国を中心に各国へと伝えられ、やがてはヨーロッパ全土を席巻するに至った。