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そろそろ孝介が戻って来てもおかしくはない。


「加賀宮さん、離して?そろそろ帰って来ると思う」


「キスしてくれたら離す」


「はっ?」

彼の顔を見上げる。

冗談……じゃないみたい。

彼の眼がそう言っていた。


キス……。加賀宮さんとはキス以上のことをしているけど、改めて言われるとすごく恥ずかしい。


その時――。

<ガチャン>

玄関のドアが開く音がした。


孝介が帰ってきたんだ。

しかし――。


「ちょっと!加賀宮さん!」

小声で抵抗するも、彼は離してくれない。

廊下を歩く音が聞こえる。


マズいっ!

私は観念して背伸びをし、彼の頬にチュッとキスをした。

彼は唇を一瞬指差したが、孝介がリビングに戻る前に私を《《解放》》してくれた。



「すみません。お待たせしました。あれ?どうしたんですか?」


リビングに立っている加賀宮さんを不思議そうに孝介は見つめた。

重そうなコンビニの袋を持っている、何本かお酒が見えた。


「美月さんに、トイレを案内してもらって……。お酒、ありがとうございます」


「ああ。そうだったんですね」


孝介は彼の返答に納得し

「どうぞ座ってください」

声をかけた。


良かった。見られてない。

ふぅと胸を撫で下ろす。


が――。


「九条さん。帰ってきて早々申し訳ないんですが、ビジネスのご相談をしたくて……」


缶ビールを開けながら

「はい。何でしょう?」

ビジネスの話と聞いて、その動きがピタッと止まった。


「今、うちの会社でカフェを数店舗経営しているんですが、社員が新メニューに悩んでいるみたいで……。何度か試食しているんですが、僕も納得いくようなものが作れていなくて……。今度の新メニューのコンセプトが家庭料理なんです。先程、美月さんには《《直接ご相談》》させていただきましたが、もし良かったら《《美月さん》》にメニューを監修してほしいんです。今日作ってもらった美月さんの料理は見事でした。残っている僅かな食材で数品作り、短時間で提供できるなんて……。《《料理上手である》》ことは、孝介さんが一番よく知っていると思いますけど」


「えっ」


「ええっ」


孝介と同時に声が漏れてしまった。

そんなこと何も聞いてない!料理?監修?


それ、本気で言っているの?


「そんなっ!嬉しいお話ですが、美月は社会に出たことがあまりなくて。皆さんに教える立場になるなんて。ご迷惑をかけてしまうんじゃないかと心配で……」


予想外のことに孝介もアタフタしている。

私が社会に出たことがないなんて、嘘ついて。高校生の時からアルバイトしてたし、あなたと結婚する前まで普通にOLしてたけど。


「美月は?まさか、簡単にお願いしますなんて言ってないよね?」

彼は視線で断れという合図を送ってくる。


「孝介さんに相談しないと答えられないってまだ返事をもらえていないんですよ。もちろん、これはビジネスですから。報酬はお支払いしますし、サブスクとこのカフェをきっかけに、九条グループの皆様と仲良くさせていただきたいと思っています。もし不安に思うところがあるのなら、僕の方から社長であるお父様の剛史さんにお話をさせていただいても構わないのですが……」


お義父さんなら、喜んで受けろって言いそうな気がする。

義父にまで交渉しようとするなんて、加賀宮さん本気なんだ。孝介はお義父さんの名前を聞いて、反応しているし。

勝手に断って怒られるのは孝介だもんね。


「ありがとうございます。申し訳ございません。父に……。僕の方から相談しても良いですか?」


「ええ。もちろん」


私を抜きにして勝手に話が進んでいる。

私には決定権がないから、何とも言えないけど。


「このお話は後日でも……」

孝介が提案したが

「明日、九条社長とお会いする予定なんです。そこでお話できたらと思っていたんですが……。あっ、そうですね!やっぱり、《《僕》》から《《直接》》社長にお話した方が良いですよね、明日お会いするんだし……」


加賀宮さんはすみませんと言いながら、やんわりと孝介に圧力をかけた気がした。社長じゃないと判断ができないのか……。そんな風に。


孝介のプライドが傷ついたのか

「いや……。ぜひ……。ぜひ、そのお話受けさせていただきます!美月も自分の趣味が役に立てて嬉しいと思うし……。な、美月?」


加賀宮さんの話が本当だとして、確かにこの家にずっと一人で居るより……。美和さんと顔を合わせるより、良いかもしれない。


「私でお役に立てるのであれば」

そう答えた。


「嬉しいです!ありがとうございます!」


加賀宮さんは手をパッと合わせ、喜んでいるように見えた。

彼が仕事モードだと本当に「良い人」に見えてしまう。


「美月さんとの契約書については、後日準備させていただきます。あと、報酬の件は……」


「報酬なんて、ボランティアでも良いくらいですよ。お役に立てるのであれば、何よりです!」


孝介は腹を括ったのか、態度を一変させた。渋っていたのが嘘みたいだ。


「詳細が決まり次第、すぐご連絡させていただきます。あの……。美月さんの連絡先を伺ってもよろしいでしょうか?何かとご連絡させていただく機会が増えると思いますので」


「そ……うですよね。もちろんです。美月、携帯を持っておいで?加賀宮さんと交換しなさい」


加賀宮さんと連絡先の交換?

本当は知っているけど……。なんて言えるわけないし。



「はい。わかりました」


私は《《孝介の前》》で加賀宮さんと連絡先を交換した。


「美月さんには、カフェに来ていただく日取りが決まりましたら、ご連絡いたします。その前に本社でいろいろと……。ご相談をさせていただきたいと思っておりますが」


「はい。よろしくお願いいたします」

私は軽く頭を下げた。


その後、孝介と加賀宮さんは二人で雑談をしながらお酒を飲んでいた。

私はただ近くでその光景を見学していた。


仕事の話をすることになったって帰ってきたけど、ただの雑談じゃない。

私をカフェ事業へと誘ってくれたのは、今日思い付いた、ただの気まぐれなの?監修の話はそもそも本当?


彼《加賀宮さん》のことを信じ切れていない私は、モヤモヤしながら過ごしていた。


しかし――。

孝介が酔いが回ってきたようで、多弁になった。目もうつろだ。

そろそろ止めなきゃ。


「あなた、大丈夫?お酒はそろそろ控えた方が……」


「だいじょうぶ……だよ!お前は黙ってろ……。今日はとっても良い日なんだ……」


そう言って机にうつ伏せになると、孝介から寝息が聞こえてきた。


「ちょっと!起きて!」

肩を揺らすも起きそうな気配はない。


なんて失礼な人なんだろう、お客様の前でこんな姿になって。

飲み会とかでもこうなのかしら。


「《《美月》》、寝室はどっち?孝介《こいつ》を運ぶから」


《《いつも》》の加賀宮さんの口調だ。


「えっ。あっちだけど……」


加賀宮さんは席を立ち、孝介を抱え、私が指差した寝室へと連れて行こうとした。


「あっ。ちょっと待って。重いでしょ?」


私も身体の半分を支え、ベッドへと寝かせた。

一瞬唸ったが、しばらくすると寝息が聞こえた。


加賀宮さんと二人でリビングに戻る。


彼はふぅと息を吐いた後

「酒飲むと寝るって情報は本当なんだな」

そう呟いた。

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