テラーノベル
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他人の秘密を知れば、僕は「透明人間」から抜け出せる。そのことに味を占め、数日後の夜、僕は再びあの路地裏へ足を運んだ。
「また来たね。もっと深いところをすくうかい?」
「いらない記憶ならいくらでもあるさ。高校の、退屈な通学路の記憶をあげる。自転車を漕ぐだけのつまらない時間だ」
「毎度」
二度目のすくいで渡されたのは金属製のタモ網だった。引き上げた肉塊が囁いたのは、いつも僕を冷たくあしらう担任教師の些細な秘密だった。
『あの先生、実はぎっくり腰の一歩手前で、教壇の下のプリントを拾うのが本気で怖いんだよ』
翌日の放課後、先生がプリントを落とした瞬間に先回りして拾い上げ、手渡した。先生は一瞬呆然としたあと、「……気が利くな、真田」と初めて僕を名前で呼び、肩を叩いた。
それからというもの、僕の周りには不思議な「偶然」が積み重なっていった。
僕は記憶を差し出し続けた。休日にテレビを見ていた記憶。面白くもないスマホゲームでレベル上げをしていた記憶。退屈な親戚の集まりの記憶。それらと引き換えに得た秘密を使って、僕は立ち回った。
クラスのムードメーカーが「あー、喉乾いた」と呟けば、彼の好きな微糖の缶コーヒーを「買いすぎたから」と差し出す。図書委員の大人しい女子が探していた小説の話を、偶然知っていたふりで合わせる。
誰が誰を好きで、誰が何に悩んでいるのか。裏路地で手に入れた秘密を使えば、すべてが手にとるようにわかった。
「真田って、なんかいつもタイミングいいよね」
「めっちゃ周り見てるっていうか、優しい奴じゃん」
いつの間にか、僕はクラスの誰からも「居心地のいい奴」として受け入れられていた。昼休みには机の周りに人が集まり、放課後は黒川さんと並んで帰るのが当たり前になっていた。
孤独は消え去った。僕はついに、自分の居場所を手に入れたのだ。
でも同時に、僕の日常には深刻な「空白」が生じ始めていた。
ある日の夕方、ふと我に返ると、僕は自宅のリビングの真ん中に立ち尽くしていた。
(あれ……俺、どうやってここまで帰ってきたんだっけ)
学校を出てからの記憶がまるでない。それどころか、昨日の夜に何を食べたのか、両親とどんな会話をしたのか、思い出そうとしても糸口すら掴めない。
引き出しを開けると、見覚えのないノートや写真が出てくる。写真の中の僕は笑っているが、それがいつ、どこで撮られたものか分からなかった。
僕は自分の過去を切り売りしすぎていた。
それでも、学校に行けばみんなが僕を頼ってくれる。黒川さんが優しく微笑みかけてくれる。その快感が、記憶を失う恐怖を上塗りしていった。
決定的な出来事は、金曜日の放課後に起きた。
下駄箱で靴を履き替えていると、黒川さんに声をかけられた。
「ねえ、真田くん。日曜日の午後、駅前の公園で会えないかな。……その、話したいことがあって」
彼女は俯きがちにそう言い、走って帰っていった。
話したいこと。わざわざ休日に呼び出してまで。期待と不安で胸が張り裂けそうになった。
もし告白だとしたら。絶対に失敗したくない。彼女が何を考え、どんな言葉を求めているのか、完璧に知っておきたかった。
その夜、僕は迷わず路地裏の屋台へ向かった。
「足りない。もっと、彼女の本当の気持ちを知るための秘密が欲しい」
息を切らして迫る僕を見て、男はにやりと笑った。
「だいぶ記憶が減ってきたね。じゃあ次は、きみが子供の頃の、あの『何も起きなかった、退屈な時間』をもらうよ」
子供の頃の記憶。脳裏に、幼い頃の夕方の光景が浮かんだ。
薄暗い台所で、無言でまな板の野菜を切っている母の背中。トントンという包丁の音だけが響く、どこにでもある日常の一場面。
(あぁ、そんな記憶もあったな。別にどうでもいい)
「そんな記憶、いくらでも持ってっていいさ。だから早く、彼女の秘密を教えてくれよ」
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