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「ホテルには行きません。この近くのビルに展望台が併設された、有料のスカイガーデンがあります。そこはベンチもたくさんあるし、ここよりは人が少ないのでそちらに行きましょう」
「えぇ。私、足がちょっと痛くて……」
わざとらしく、その場で足首を回して見せる彼女。
「では、後日日を改めましょうか。日程に関しては、専務に直接話を通しますので」
誰がそちらの策略に乗るか。
ホテルに入るなんて、それだけで不貞行為を疑われかねない。密室で何もなくても、嘘をでっち上げられたら不利になるのは圧倒的に男の俺だ。
「あーん、そんなこと言わないでくださいよっ。私達、ひょっとしたら結婚する相手だったかもしれないのにぃ……。まぁ、このくらいでノコノコとホテルに行かないのはポイント高いです。潤さんってば本当にイイ男ですね。知佳ちゃんが羨ましい……」
最後の言葉を口にした瞬間、彼女はすっと笑顔を消し、俺を真っ直ぐに見つめてきた。
その冷ややかな温度差に、俺は何となく彼女の真の目的に気が付いた。
しかし、それにあえて気づかない振りをしながら、「では、行きましょうか」と促し、隣のビルにあるスカイガーデンを目指すのだった。
スカイガーデンは予想通り空いていた。
さすがに植物園同等とはいかないが、ここには瑞々しい緑と鮮やかな花が溢れている。
高い天井にガラス張りの窓。
開放感があり、手入れの行き届いた植物や花々は十分に見ごたえがあった。
街の景色もゆったりと一望できるこの場所は、落ち着いて会話をするにはいいだろう。
ちらりと横を見れば、上原杏莉はニコニコと「わぁ、お花綺麗」と笑っていた。
スカイガーデンの入園料は彼女の分も出したのだ、そのまま機嫌良く話してくれと思う。
とりあえずカフェコーナーの片隅に向かい、ウッドテーブルの席に就くと、すぐにカフェの店員がやってきた。
アイスコーヒーと、彼女の希望であるスカイガーデン・ソーダを注文する。
それからスマホを取り出して、一件だけ所用のメッセージを入れた。
ことり、とスマホをテーブルの片隅に置いて、やっと話せる体勢になったと思った。
「では、早速ですが。貴方の目的を話してください。できれば、うちの法務部のアシスタントにまでコンタクトを取った理由や、知佳のことをなぜ知っているのかも、併せて教えていただきたい」
何も知らないわけじゃない、という牽制。
ウッドテーブルの木肌に手を置き、その乾いた質感を感じると同時に、彼女がぴくっと整った眉を跳ね上げた。
小さく「あ、法務部のアレはバレたか」と、まるで悪気もなさそうに口角をきゅっと上げた。
じゃあ、知佳に関しては──と、聞き返すよりも早く、彼女はあっけらかんと口を開いた。
「目的はズバリ、知佳ちゃんと離婚してもらって、私と再婚をしませんかってことです。SACRAの社員の人にコンタクトを取ったのは、潤さんのことを知りたかったからですよ」
言い放たれた言葉の突飛さに、流石に目を丸くする。
薄々感じていたことをズバリ言われると、流石に驚きを隠せない。俺が絶句していると、彼女はますます口角を上げた。
「最初、パパから『そろそろ身を固めろ』って言われて、SACRAの社内にいい人が入社したからどうだって勧められたんですよね。お膳立てするから、ってやたらとパパがプッシュしてきて。でも、そこですぐに『はいっ!』って返事するわけないし。相手がどんな人か、まずは知りたいって思うでしょ?」
そこは確かに同意できると思って、頷く。
すると彼女は身を乗り出して、剥き出しの二の腕をしなやかにくねらせた。
「で、パパから聞いたり、直接SACRAの会社の人間から話を聞いたり……webでSACRA関係者を探してコンタクトを取って、潤さんのことを調べていたら──」
そこで、彼女はわざとらしく大きくため息をついて、唇を尖らせた。
「潤さんが結婚したってパパから聞いて、驚いちゃったんですよね。え、早くない? 急じゃない? って思って……逆にそれで、興味を持っちゃった」
「興味?」
今度はこちらが軽く身を乗り出して尋ねた。
「うん。だって、調べた結果、潤さんヴィジュアル満点なのに彼女がいる気配はまるでなし。しかもぉ、御曹司様っていうレアステータス持ち。なのにいきなり結婚だなんて、どこかの社長令嬢かしらと思っていたら、パパが言うには相手はフツーの労務部の平凡な人だって言うんだもん。ひょっとして──私と結婚したくない、もしくは結婚願望なしで、他の理由があって労務部の知佳ちゃんを口説いて結婚したのかな、って?」
正直──なかなかいい勘をしているのでは、と思った。
「なるほどね。それで?」
「労務部なんて、真真面目な人が働いているイメージでしょ。しかも知佳ちゃんにも浮ついた噂なんかないド真面目人間って聞いていたのに……そんな二人が急に結婚して、しかも周りにも秘密だなんて、気になっちゃうじゃないですか」
『だから私が調べたのは当然です』
『悪いことは何もありません』という笑顔を見せてくるので、俺も安い笑顔で返す。
「結婚の経緯はプライベートなことなので、言いたくありません」
「ふふっ。まぁ、ここまではいいんですよ。こういう結婚の仕方をする人って大概、恋愛の一目惚れでゼロ日婚とかじゃなくて、他に目的があったからだと思っています。そういうのって、インフルエンサーあるある、配信者あるあるみたいな?」
「あるある、か。昨今の結婚も随分とカジュアルになったな」
これは単純に俺の感想だった。
俺自身、カジュアルとまでは思わないが、契約結婚を知佳に持ち掛けた身ではある。
十年間の想いがあったからではあるが、その事実だけは目の前の女に、口が裂けても言いたくないと思った。
「なので、潤さん。知佳ちゃんとは長年お付き合いをしてからの恋愛結婚じゃないでしょ? だったら、その役目は私でもこなせるんじゃないかなって──」
流石に自惚れるなと、そう言い放とうとした時。
カフェのスタッフが俺の前にアイスコーヒーと、彼女の前にパープルからブルーのグラデーションが見事なドリンクをゆっくりと置いた。
見た目は綺麗だが、とても甘ったるそうな飲み物だと思って見ていると、妙に毒気が抜かれた。
俺は口まで出かかった強めの言葉を、アイスコーヒーと一緒に喉の奥へと流し込んだ。
そして、トン、と指先で軽くテーブルを叩く。
コメント
1件
ついに杏莉さんの真の目的が明らかになりましたね…!「知佳ちゃんと離婚して私と結婚して」って、ずいぶんストレートに来るんだなって思いました。でもその裏でしっかり潤さんのことを調べ上げてるのが、なかなか怖いというか計算高いというか💦 潤さんがホテルを断ってスカイガーデンに誘導したのは賢い選択だなって。密室を避ける冷静さ、さすがです。杏莉の「知佳ちゃんが羨ましい」って急に冷めた口調になった瞬間、ゾクッとしました…🥀 次が気になります!