コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
ユカリは輝かしき綺羅を身に纏った魔法少女に変身して、狡猾な盗人の用いる隠れ蓑のような夜を、グリュエーの後押しを背に駆け抜ける。
「どうするの? ユカリ」と山を吹き下ろすグリュエーがユカリの背中から囁く。
「とにもかくにも悪辣非道な盗人だよ。フェンダーをとっちめる。それにあの数の羊たちを早々に運び去るなんて簡単には出来ないはず。他にも暴悪な仲間がいるはずだから、そいつらもとっちめる」
「ユカリは正義の乙女だね。人の子は皆かくあれかし」
「どうかな。もしも羊を食べたのが物語に出てくるような鋼の鱗を持つ竜だったりしたら、私は何もできなかったと思うよ。でも、出来る範囲の人助けならためらう理由は何もない」
「助けを求めてる人を助けよう。出来る範囲で」
人の足が踏み固めただけの山道にフェンダーを見つけられないまま、ユカリは多少歩を緩めつつ麓まで下りる。
夜も深まり、明かりの灯っている窓も数少ない。昼間の賑やかさは鳴りを潜めて、墓荒しも寄り付かない呪われた墓所のように寝静まっている。静寂に沈む集落は狼に怯えているが、森の方からやってくるのは穏やかな夢だけだった。戦士の帰りを待つ長い夜に見るような夢だ。
そんな夜に相応しくない荒々しい物音が聞こえ、ユカリはそちらに目を凝らす。闇深い大通りを、星々の去り行く西の方へと三台の馬車が走り出した。荷馬車には蠢く影、羊が乗せられているようだった。混乱と恐怖の鳴き声が人のいない大通りに響いている。フェンダーはフロウの羊を彼らに売り渡したということだろうか。
「そこの馬車。止まらないと燃やすよ!」とユカリは【怒鳴る】。
他の二台は走り去ったが、最後尾の馬車だけ壁にでもぶつかったかのようにぴたりと止まった。
ユカリが駆け寄り、近づくと、灰色の長衣をまとった御者の男が鈍く光る短剣を取り出し、聞くに堪えない悪態と共に躍りかかってきたので、グリュエーに吹き飛ばして家の外壁に叩きつけてもらった。
輓具を外し、逞しい馬を解放する。
「貴方、名前は?」とユカリは馬に【尋ねた】。
「額の星」とエピッカは誇らしげにいななく。
「英雄鷹の血を浴びし者の相棒の名前だね。いい名前だよ。エピッカ。誇り高く地上を飛ぶエピッカ。私を貴方の背に乗せて、走り去るあの二台の馬車を追ってもらえる?」
「でも君は僕のご主人様じゃない」エピッカは興奮した様子で足踏みし、蹄を鳴らし、石畳に叩きつけられて呻いている御者の方を見下ろした。
「そんなこと知ってるよ」とユカリはエピッカの温かく筋肉の引き締まった首を撫でながら言った。「でも私が偉大なるエピッカに、その偉業に相応しい食事をお腹いっぱい食べさせてあげるって言ったら?」
「君は僕のご主人様だ」
羊を乗せた馬車から解放されたエピッカは、小さくなっているユカリを背に乗せたところで前を行く二台の馬車よりもずっと速かった。白い汗を蒸発させて、川沿いの道をぐんぐんと速度を上げて突き進む。ついには煙幕の如く土煙をたてる二台目の馬車に追いつき、並走する。
ユカリは先ほどと同様に馬車に止まるように【命じた】。しかし今度の馬車は強情なのか、それともこれ程の勢いがつくと馬車自身にもどうすることもできないのか、速度を緩めもしなかった。
「仕方ない。グリュエー。御者だけ吹き飛ばして。できるだけ優しくね」とユカリが言うと御者は悲鳴を上げながら宙を飛び、落ち着きを知らない腕白な子供のように勢いよく川に飛び込んだ。
しかし突然御者を失ったために馬が混乱したのか、馬車は川の方へと道を外れてしまう。ユカリに急き立てられてエピッカも後を追う。
羊たちの悲鳴に耳を塞がれながらユカリは意を決し、エピッカの鞍から馬車へと飛び移り、御者台へ。嵐の船のように荒れ狂う馬車で暴れる手綱を何とか握ると、砂を蹴立てて川に飛び込まんとする馬を引き留め、落ち着かせる。すんでのところで何とか川に飛び込むことを阻止できた。羊たちは相変わらずやかましく騒ぎ立てているが、荷馬車の柵は高く、飛び越える心配はなさそうだ。
ユカリはすぐに道に戻ろうとしたが、エピッカもまた狂乱状態で明後日の方向へと逃げて行った。今抑え込んだ二頭目の馬も落ち着きなく、いななくばかりで話を聞く耳を持たない。
三台目の馬車がどんどん遠ざかってしまう。
「グリュエー! あいつを止めて。御者を吹き飛ばすだけでいいから」
「駄目。遠すぎる」
「遠すぎる!?」ユカリは一瞬我が耳を疑った。「遠すぎるから何? グリュエーは風でしょ?」
「そう。 道を駆ける緑風、遥か西方へ至る者、魔法少女に付き従い、使命を携える風、グリュエーの名を背負う者」
「分かった。よく分かんないけど分かった。届かないんだね。とにかく、何か方法は……そうだ」と言ってユカリは川の縁へと駆け寄る。「こんばんは。オルトーさん。ですよね? あの馬車を止めるために、その、少しばかり氾濫して欲しいんですけど」
「……代償は?」と深い夜に星々の去り行く方へと流れ去るオルトー川はぶっきらぼうに答えた。
「えっと、何がいいかな。何があるかな」とユカリは己の服と体をまさぐる。
服は譲れない。魔導書も渡せない。身を捧げるわけにはいかない。何もない。着のみ着のままで村を出て、それ以降手に入れたものといえば。
「綺麗な石があります」
兎の皮と交換にオルトー川の上流の名も知らぬ小川が譲ってくれた石。あの時は焚火の光で多少は綺麗に見えたが、今はただの石ころにしか見えない。
「そ、それは!」とオルトー川が唸る。「かつてウリオの山頂に座したという巨岩の中の巨岩! 最大の王冠! 月と齢をともにし、安息殿の造立がために運び去られたという名高き岩石、その切片!」
ユカリは小川に貰った綺麗な石を高々と掲げ、月の光に照らして見せる。
「そう! ガズータ! あのかくも名高きガズータだよ! 山麓の冠! 岩石の王! 大地の霊長にして天に触れる者!」
そんなにも価値があるのだと知ると途端に惜しくなってくる。今となっては夜の底で古い幻想の如く輝く稀なる宝石だ。手に吸い付くような存在感を示している。
「いいだろう。この一帯を沈めればいいのだな」とオルトー川が軍団を前にした狂戦士のようにいきり立つ。
「そこまでしなくていい! あの馬車を止めるだけでいいよ!」
そこら辺に落ちていそうな小石をオルトー川に投げ入れると、たちまちに下流で川が氾濫し、木の葉のように馬車を押し流した。羊泥棒の御者も慌てて逃げだした様子だった。
変身を解いた途端、ユカリはなんだか恥ずかしい気持ちになる。魔法少女に変身している時は自分が自分でないみたいになる。変身時の気分はとても良いもので、変身を解くと気分が悪くなるわけではないのだが、その落差でおかしな気持ちになる。箍が外れたようなあの状態を思い返すと、いつも冷静な大人が酒に酔った時の醜態を見せられた時と同じような気持ちになった。
それからユカリは羊を連れ帰るのにとても難儀した。明かりのない畑道で、個よりも群れを優先する草食的性格を誘導するのは骨が折れた。羊というのはどうやら数が増えるほど気の強くなる生き物のようだ。
「ねえ、あんたたちフロウの所に戻る気はないの?」
「勿論僕たちだって山に戻ることはやぶさかではないさ。でもね、お嬢さん。僕たちこんなことになってとても疲れているんだ。分かるだろ? お嬢さん、君は無理やり攫われたことがあるかい?」と羊たちは飛び跳ねながら鳴き喚いた。
「それならなおさら早く小屋に戻って休めばいいでしょ? 山にはあんたたちの好物も沢山生えているんだから」
「たまには道草を食うのも悪くないもんだ。せっかくこんなところまで来たんだ。お嬢さんもどうだい?」
「言っておくけれど、あんたたちを攫った男たちみたいに山まで風で吹き飛ばすこともできるんだからね」
「そんなの無理」とグリュエーは否定した。
しかし羊たちはまるで聞く耳を持たず、ひとかたまりになって道草を食べている。
「さあ、最初に空を飛びたいのは誰?」
「めえ」
「今、人間の言葉でめえって言ったの誰? もう頭にきた」
三頭の馬に牧羊犬の真似事をさせて羊を追い立てた。
村の中を通った時は騒々しい鳴き声のために何人かの村人が顔を出し、何人かは羊の行列を眺めていたが、特にユカリに対して何かを言うことはなかった。その中にはばつの悪そうな顔をする者もいたが、その意図はあまり想像しないことにした。家から出てきた村人の一人に村長フェンダーの居場所を尋ねると、しかし何も言わず、代わりに目線をある家に送って引っ込んだ。
ユカリは再び魔法少女に変身し、何の悪びれも無くその家の扉を開いた。確かにフェンダーがいた。こちらに背を向けて椅子に座り、机の上に広げた銀貨を数えている。随分と儲けたようだった。
「犬ころ一匹殺すだけで、これほど貰えるとはなあ。もっと吹っ掛ければ良かったかもしれん」とフェンダーは大きな独り言を呟いている。「まあ相手はちんぴら、何をしでかすか分からんからな」
「私ならもっとふんだくったなあ」とユカリは言う。
フェンダーは椅子から転げ落ちるようにして振り返る。「き、貴様! 何者だ!」
ユカリは気を取り直して、威嚇するように杖を高々と掲げた。
「魔法少女ユカリだよ!」と勢いあまって名乗ってしまう。
やはり魔法少女に変身している時は気分が高揚してしまう。いつもの自分ではなくなってしまっている。
「ユカリ? あの娘と関係あるのか?」
しかし、そうすぐには同一人物だという発想は出てこないようだ。ユカリ自身別の人間に変身する魔法など物語の中でしか知らない。
「羊は取り返した! そしてそれはあんたのお金じゃない! それは!」フェンダーの訝しむ言葉をかき消すようにユカリは叫ぶ。「まあ、フロウのでもないか。となると持ち主はあの夜盗。うーん、どうしよう」
乗り込んだ手前。
「一体何なんだ! 出ていけ!」とフェンダーは上気して怒鳴り返す。
「まあ、ね。うん」と言って、ユカリはお金をかき集め、そばにあった革袋に入れていく。「これはまあ、なんだろう。そう、手間賃というか。そういう感じね」
全てかき集めるとユカリは家を出て行った。
「待て! 貴様!」と言ってフェンダーも出てくる。「私の金を返せ!」
「言われなくても返すよ! こんな汚いお金!」と言うとユカリは力いっぱいフェンダーの顔に投げつけた。
もんどりうつフェンダーだが、悪態をつきつつも散らばったお金を集めるためにすぐ起き上がる。
「あとは、そう。ピックの弔い合戦だね」とユカリが言うが早いか、待ち構えていた数十の羊たちが家の中に飛び込み、机や家具を蹴散らしつつ、フェンダーに向かって突進した。