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◻︎イナゴの大群
「お米ってね、あんまりガシャガシャ洗っちゃダメなんだって。最初のお水はすぐ捨てて後は軽く、ね」
料理教室に通い始めた夫は、そこで教えてもらった基本的なことを“いかにもすごいことを教えてもらった”みたいに、私にレクチャーする。ホントに素人向けの料理教室らしく、最初はお米の研ぎ方と炊き方、それからお味噌汁の作り方、塩シャケの焼き方、ほうれん草の胡麻和えというメニューだったらしい。
こんなものなら私が教えても、たいして変わらないのにと思う。でも可愛い先生の指導がいいからか、夫は以前より片付けができるようになった。
「やっぱりさ、綺麗なキッチンじゃないと美味しい料理もできないよね?」
なんて言ってはシンクを磨いていることもあり、その進歩には驚いた。邪な動機でも、やる気が出るとここまで人は変われるものかと感心する。次の料理教室はいつだっけ?とカレンダーを見た。
「あ、ねぇ!来週の木曜日って、お義父さんの誕生日だよね?」
「あ、そうだね。今年のお祝いは、何にする?」
毎年、美味しいご飯を食べに行くことと何かしらのプレゼントをしている。お義父さんはお義母さんより三つ上だったはず。
___83歳になるのか
60歳まで役場勤めをしていたお義父さんは、その年齢より見た目も頭もまだまだしっかりしていて、お義母さんと2人で仲良く暮らしている。
「電気毛布とか?」
「座りやすい座椅子もいいかも?あなたからお義父さんに訊いてみてよ、どうせなら欲しいものをあげたいから」
「あとで電話してみるよ。あ、ほら、シンクの水垢ってこうやってさ……」
夫は、テレビの実演販売よろしく、水垢まで擦り出した。もともと凝り性な性格だから、やり始まると結構ハマるタイプだ。
___この調子で、料理もハマってくれないかな
なんて調子のいいことを考えていた。
◇◇◇◇◇
結局。
お義父さんは、欲しいものは何もないということだった。なので私は、毛糸の帽子を用意した。これから寒くなるから、髪がほとんどない頭をあったかくしてくれると思って。
お義父さんの誕生日。
お義母さんもお気に入りの、和食屋さんに予約を入れておき、2人を迎えに夫の実家へと行く。何か用事でもないとなかなか実家には行かないので、今回は半年ぶりになる。
「「ただいま」」
玄関の引き戸を開けて声をかけた。
「上がって!まだ時間あるでしょ?お茶でも飲んでから行きましょうよ」
奥からお義母さんの声がした。
お義母さんにいわれて、玄関をあがる。三和土にはお義母さんの靴と男性用のサンダルがあった。そして大きめの下駄箱の上にはお義母さんのお気に入りの花瓶……がない。
「あれ?お義母さんのクリスタルの花瓶がないけど?」
いつもは、庭に咲いた花を品よくいけてあって、玄関が華やかだった。今日は下駄箱の上には宅配便を受け取る時のボールペンしかない。
「ホントだ、割っちゃったとか?」
「お義母さん、アレお気に入りだったから割っちゃったのならショックだよね」
靴を並べて居間へと向かう。お義父さんもお義母さんも、まだのんびりとテレビを見ていた。
「お義母さん、玄関の花瓶、どうしたんですか?」
「あれ?あれねぇ……」
ため息とともに、言葉を続ける。
「月子が持ってっちゃったのよ」
「月子が?またなんで?」
今度は光太郎が質問する。月子《つきこ》とは光太郎の妹で光太郎の3歳下、私にとっては2歳年上の義妹になる。
「先週ね、ちょっと早いけどってお父さんの誕生日をお祝いしに来てくれたのよ。たくさんの焼肉を持って家族4人できてくれたんだけど。その時にね、“これからは私がお父さんお母さんの終活を手伝ってあげるから”って言ってね。片付けるために売れそうなものは売るからって、あれこれ持って行ってしまったのよ」
とても悲しそうなお義母さんが、かわいそうに見える。あの月子のことだから、半ば強引に花瓶を取り上げたのだろうと想像がつく。
「なんで、お袋も黙って持たせたんだよ。そもそも終活なんて頼んだのか?」
「頼んでないわよ。これからお父さんと2人でぼちぼち片付けようねって話してたとこだし」
「あれ?そういえば、この部屋もなんだかさっぱりしてるというか、物が減ってる気がするんだけど」
よくある和室の八畳間で、真ん中にテーブルがあり40インチのテレビと飾り棚があって、座布団が並んでて。
___あれ?まだ何かここにあったはず……
「あーっ、わかった、一昨年に私たちがプレゼントしたわりといいマッサージチェアがないんだ!」
「わっ、びっくりした、あ、そうだ、それがないんだ。別の部屋に移動したとか?」
私が大声で叫んだので夫もびっくりしたようだけど、マッサージチェアがないことの方が驚きだったようだ。
「違うわ、これならまだ売れるって月子と充さんが持ち出したのよ」
月子夫婦が持って行ったということか。
「なんで止めなかったんだよ、まだ使うんだろ?」
「止めたわよ。でもね“じゃあこれ、お母さんが片付けるのね?一人で運べないからって業者を頼むとすごくお金がかかるわよ。私たちならお金は、取らないからラッキーでしょ?”って言われてね」
テレビを見ていたお義父さんもうなだれている。あのマッサージチェアを気に入って使っていたのはお義父さんだった。