第17話:棲歌を忘れた巣
都市樹の西端、風の通りが弱く光もまばらな“忘却枝帯(ぼうきゃくしだい)”。
そこに、棲家のようで棲家ではない、奇妙な構造体があった。
命令によって編まれた跡がない。
けれど、ハネラがそこにかつて“棲んでいた”ことは確かだった。
「……これ、本当に誰も命令してないのか?」
ルフォが呟きながら、足元の枝を確かめる。
金の羽が褪せた光に沈み、尾羽の褐色が、枝の苔にゆるく溶け込んでいた。
彼の視線の先には、ひとつの壊れかけた巣。
丸く形づくられているが、命令の痕跡はない。
棲歌の節も記録されていない。
ただ、枝と葉が、“そのかたち”を保ちつづけている。
「歌を忘れたのか、それとも……最初から、歌われていなかったのか」
その疑問に、そっと近づいたのはシエナだった。
ミント色の羽は光をほとんど持たず、今日の彼女は森に溶けるような静けさをまとっている。
尾羽の透明膜が、苔の放つ微光を受け、ぼんやりと浮かび上がっていた。
彼女の肩では、ウタコクシが翅を休めている。
シエナがゆっくりと巣に近づくと、
苔の奥から、かすかな羽根の摩擦音が聴こえた。
誰もいないはずの巣で、風の動きに応じて枝が微かに揺れていた。
それは、命令された動きではなかった。
ただ、そこに誰かが棲んだ“記憶”が、枝に染みついているようだった。
「……棲家そのものが、棲歌を忘れても“感覚”だけを残してるってことか?」
ルフォの声が低く響く。
彼が操作士として培ってきた命令歌の理論では、
“命令されなければ形を保てない”はずだった。
だが、この巣は違う。
それは、歌わないハネラが残したか、
あるいは――命令以外の方法で作られた棲家だったのかもしれない。
シエナが尾脂腺から微かに匂いを放つ。
それは、「懐かしさ」と「問いかけ」の混ざった匂い。
若葉と乾いた実の皮のような、かすかに甘い香り。
すると、巣の奥から、フィロムシの亡骸が見つかった。
記録虫ではない。
通信と管理を担う、古い虫だった。
だがその翅の一部には、歌ではなく、光パターンの痕跡が残されていた。
それは、命令でも旋律でもない。
“そこにいた誰かを伝える記号”。
「……この巣は、歌じゃなくて“誰かとの記憶”で保たれていたんだ」
ルフォが目を伏せる。
操作士としてではなく、一羽のハネラとして、
“命令しないこと”の深さに触れた瞬間だった。
巣が壊れていても、枝はそこを保ち続ける。
歌を忘れても、香りや光や気配が、
“棲んでいたという事実”を今も守っていた。
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