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第18話:虫巫と封じられた音
都市樹の影に浮かぶ、音響遮層(おんきょうしゃそう)。
ここでは音が吸い込まれ、反響すら起こらない。
命令歌も共鳴の光も届かない場所――それは、かつて「禁歌」が封じられた領域だった。
そこに住むのが、“虫巫(むしなぎ)”と呼ばれる存在である。
虫巫とは、命令も歌も持たず、
虫たちの反応だけを読み取り、意思を伝える役職。
歌えない者たちの中でも、さらに言葉を持たない者たちに向けて、
虫と都市のあいだを“感じて繋ぐ”個体である。
その日、シエナは音響遮層の入り口に立っていた。
ミント色の羽は、この空気の中で青みを帯び、
尾羽はいつもの透明な光を吸い込むように沈んでいた。
肩に乗るウタコクシが、微かに羽を震わせる。
奥から現れたのは、羽全体が灰緑色の、年老いたハネラだった。
尾羽はほとんど色素を持たず、
代わりに背のあたりに、小さな記憶虫を数匹、常にまとっている。
「……“虫巫”?」
隣に立つルフォが目を細めて呟く。
彼の金色の羽も、この場所では霞んで見える。
虫巫は声を出さない。
命令歌を使わず、光も出さない。
ただ、虫の振動と、枝の微かな動きを読む。
シエナは、尾脂腺から**「尊重」と「受容」の香りを放つ。
それに応え、虫巫の背の虫たちが翅を鳴らす。
――それは、「こちらも、聞いている」**という合図。
シエナが尾羽でそっと枝を叩くと、
地面の下に封じられていた“音”が、かすかに漏れ出した。
それは歌ではない。
命令でも共鳴でもない。
けれど、**確かに“記録された誰かの声”**だった。
虫巫が、背中の虫を通して“語る”。
ウタコクシが、その振動を通訳するように、
ルフォとシエナのあいだで共鳴の翻訳が起きる。
「……これは、“歌にならなかった音”……?」
ルフォが息を呑む。
それは、かつて命令に使えないとして捨てられた旋律。
“都市を動かす価値のない音”として封じられた失われた声。
しかし虫巫は、それをずっと記憶し、
虫たちと共に、誰にも届かない音の層を守っていたのだった。
音は、命令のためだけにあるのではない。
歌は、動かすためだけにあるのではない。
そう告げるように、虫たちは、
再びその音を、ゆっくりと根に染み込ませていった。
その音を聞いた都市の根が、
わずかに温度を変え、湿度を上げた。
反応ではない。
“受け入れ”だった。