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喧嘩してから、一日が経った。
「……ッチ、帰る時間遅くなっちまったじゃねえか」
時刻は、午後九時を指し示しており、予定帰宅時間をとっくに過ぎていた。その間も空から連絡は何一つ入っていなかった。いつもなら、遅くなるなら連絡をよこせーというメッセージが来るのに、こちらから連絡を入れても既読すらつかなかった。着信拒否にされていないだけマシだが、電話も繋がらない。何かの事件に巻き込まれているということはないだろうと思いたいが、この街に住んでいる限り絶対も何もない。ただ祈るばかりだった。
静かな住宅街を抜け、同居しているマンションに戻る。エレベーターがやけに降りてくるのが遅く、待っているのもあれだったため非常階段から上り五階に到着する。
すると、部屋の前に誰かがいるのが見え、俺は急いで駆け寄った。あちら側は俺に気づかずスッと中へ入っていく。
空がいる。今がチャンスだと廊下を走り、淡い期待を抱いて、俺はドアノブを回す。
「空!」
ガチャリと音を立てながら扉が開き、俺は靴を脱ぎ捨て家の中に入る。だが、家の中はバカみたいに静かだった。
「……いねぇ? いや、でも確かに」
辺りを見渡し、電気がついていない事を確認した後、足下に目をやった。そこには空の靴がきちんと揃えられており、家に帰っているのは確実だった。先ほど家の中に入った人物は空で間違いない。でなければ、空き巣が入ったと言うことになる。それも、鍵を持った空き巣。
そんなことはないだろうと、俺はリビング、キッチン、風呂、トイレ……と順番に部屋を開けていく。だが空の姿は見当たらなかった。そうして最後に喧嘩別れしてそれを象徴するように閉じられた寝室の前まで来た。ドアノブに手をかければその部屋だけしまっているようだった。
(まだ、意地張ってんのかよ……)
自分が悪いと分かっているが、意地を張っている空に腹が立ち、イラつきながらも俺は優しくドアを叩いた。
「おい、空、いるのか?」
返事はない。
乾いたドアをノックする音だけが響いて、虚しかった。
鍵は中からしかかけられないため、そこに空がいるのは確実だった。この部屋のドアがそこまで分厚くないことは知っている。だから、寝てもない限りこちらがドアを叩いている音は聞えているはずなのだ。なのに彼奴は無視を決め込んでいる。
その態度にまた苛立ちを覚え、今度は強めにドンっと音を鳴らしてみる。
それでも、反応はなかった。
これは本格的にまずいかもしれない。そう思い、もう一度強くドアを叩き声をかける。
「なあ、空いるんだろ!? 頼むから返事をしてくれよ、なあ、なあって!」
それでもあちらから返事はない。
一瞬蹴破ってやろうかとも考えたが、そんなことしても意味がないと踏み止まった。
感情にまかせて怒鳴り散らかしてしまえば、昨日と同じだ。自分のそういう所が嫌いだし、直したいとも思っている。俺が、空や神津や明智と並べていないと感じたのはこういうところがあるからだろう。怒りの沸点が低い子供のような性格で、精神も未熟なところがあるから。何でそうだったかは知らない。今でも大人に怒られるのもまして、姉ちゃんに怒られるのも怖い。怖いものが多すぎて、臆病で、成長の欠片も感じない。
(変わらなきゃいけないだろうが……)
空にぶつけた言葉、きっと中学でも、高校でもいったら同じようなことになっていた。だが、大人になっても今回のようなことになっていると言うことは、かなり空を傷つけているんだろう。
俺も空もダチを二人立て続けに失って、前を向こうと頑張っているのに、否定されたから。
勿論それも悲しい。だが、俺は空に拒絶される方がもっと悲しかった。こんなことがなかったからだろう。気持ちの整理がつかない。
俺は、大きく息を吸って吐く。そして、ゆっくりと口を開いた。
「空……俺が、悪かったよ、だから出てきてくれ」
蚊の鳴くような声で俺は言う。必死に絞り出した声は情けなくてへにゃへにゃとしていて、カッコ悪い。
だけど、これが今の精一杯だ。
空に謝りたい。許して貰えるなら、何でもしてやる。
そう思って、俺は待った。
だが、いくら経っても、空からの返答はなく、俺はその場に膝から崩れ落ちる。
「ハッ……俺が悪いんだ落ち込むなよ」
そう自分に言い聞かせる。
泣きたい気持ちでいっぱいになると同時に、ぶわっと一気に虚しさが襲い掛かってきた。どう整理をつければいいか、そう考えぐるぐる回る思考は絡まって大変なことになっている。でも、どうにか自分を律して立ち上がりもう一度声をかけようとしたときだった。
「澪?」
扉の向こうから、俺の名前を呼ぶ声が聞えたのだ。紛れもなく空のもので。
俺は拒絶されていると思っていたため、俺の名前を呼んでくれた空に縋るように声を出す。
「空、悪かった、俺が、悪かったから」
「……………」
「無視しないでくれよ。頼む……出てきてくれ」
声は聞えた、扉越しに存在は感じる。だが、あと一歩何か足りないような気がした。何かが足りない。だが、何を言えば良いか分からなかった。
言葉を探そうにも少ない語彙力では空も自分も納得させられるような言葉が出てこない。
そうして、俺の口から出てきたのは、彼奴には言わないと決めた言葉だった。
「……空、俺はお前がいないと生きていけない」
苦し紛れに出たそんな本音に、俺は思わず自傷気味にハッと乾いた笑いが漏れた。
(俺何言ってんだろ……)
自分で言っていて情けなくて恥ずかしくなってきた。
考えた末に出たのがバカみたいに隠していた本音で、それを言ってしまったら彼奴の重荷になる事ぐらい分かっていたはずなのに。
どうしても耐えられなかった。
空がいないのも、ダチを失った悲しみを埋めてくれる人がいないことも。全部怖かった、痛かった、辛かった。
縋ろうとか、助けて欲しいとかそんな邪な思いがあった。誰かに頼って楽になろうとしていたのも事実だ。気持ちを切り替えたからと言って、一度割れたガラスが元の形に戻ることが出来ないように、神津と明智を失ったあの絶望が塞がるわけなかったのだ。
だからこそ、永遠に付きまとっているこの絶望を誰かと共有したかったのかも知れない。泣くのはダメだ、我慢しなければならないと意地を張っていたのは俺だった。泣きたいなら、泣けばよかった。悲しいと口にすればよかった。それが上手く発散できず空を傷つけた。
(ちげぇだろ、そうじゃねぇ)
パッと心の隅から出てきた、空への恋心が、今の拒絶に耐えきれずに顔を出した。きっと、俺はこの思いを伝えられない。
あの二人を見ていると、この思いは殺さないといけないような気がした。
ならば、せめても友人でいて欲しい。隣にいて欲しいんだ。
「空……」
「澪、泣いてるの?」
と、心配するような空の声が壁越しに聞える。
別に泣いてはいなかった。泣きたい気持ちでいっぱいだったが、何とかすれすれの所で持ちこたえている。
スッと無意識に伸びていた手は、扉越しに空の体温を探した。
「なあ、この扉開けてくれねぇか?」
「何で?」
「顔みたい」
「オレ達喧嘩しているのに?」
そう空は意地悪に言う。声色から、そこまで怒っていないのだと察し、それでも言われたことがグサリと胸を貫く。
「……謝りたい」
俺がそう言うと、空は少し黙ってから口を開く。
「今、顔見られたくないから壁越しじゃダメ?」
そんな親友の提案にすぐには頷けなかった。今すぐに顔を見て抱きしめたくて、それで謝りたい気持ちが抑えられなかった。でも、ここは空の言うことに従おうと、俺は扉の前で座り込む。何を言われるんだろうかと、落ち着かなかった。もしも、同居をやめよう、家に帰るなんて言われたら……そんなことまで想像してしまった。
だが、そんな想像なんてする必要なかった。
「オレも……ね、澪に謝らないとって思ってた。でも、気持ちの整理がつかなくて、あの二人のことがフラッシュバックして。ン何感情的になったのは久しぶりだったから……自分でもびっくりしてる」
空はそう言った。
俺はその言葉に安堵する。まだ、空は俺の隣に居てくれると。そう思うと嬉しくなって自然と笑みがこぼれる。
そして、空は俺にこう言った。
まるで俺の心を読んだかのように。
「でも今は落ち着いてる。だから、同居をやめるとかそういうのは言わない。だから、そこは安心して欲しい」
「あ、ああ……」
口には出していないはずなのにどうして分かったのか。不思議でたまらなかったが、空はそんなこと気にする様子もなく続けた。
「ユキユキが死んだときもね、凄く苦しかった。ぽかっと何かがオレの中から抜けた気がして、それを埋めるものを探してた。でも、澪と一緒で、一番辛いのはハルハルだって彼の前では取り繕ってた。でも、ハルハルが死んで、またぽかって穴が開いて……それを必死に埋めようとしても、埋まらなくて、その穴を中心に色々崩れていくような気がしたんだ」
「……空」
「でも、澪がいるからって、そうやって自分に言い聞かせた。澪は死なないし、何処にも行かないって……勝手に安心してたんだ。だから、昨日ぶつけられて、自暴自棄になったと言うか……あーでも、ミオミオも自暴自棄になってたよね?」
と、空は扉越しにクスクスと笑っていた。それにつられて俺も笑う。
なんだ、俺達はお互いに似たようなことを考えていたんだと。
それから、俺は空の言葉に耳を傾ける。
空の心情が聞けるのは貴重な機会だった。彼奴が俺の事を「ミオミオ」何て巫山戯たあだ名呼びに戻ったところを見ると、かなり落ち着いたらしい。今どんなかおをしているか分からないが、涙はひいているだろう。
「それから、一日この部屋で考えて、早めに職場に行って、またそこでも色々考えたんだ。ミオミオと一緒でいっぱいミスしちゃったから怒られちゃったけどね。でも、オレはミオミオが悪いんですーって言ったら、皆納得してくれた」
「はあ!? 俺の事なんだと思ってんだよ」
「え~皆ミオミオの事は手間のかかる弟だって言ってたよ」
そんな初耳の情報を教えられ、誰が言い出したのかと一人一人尋問したい気持ちになった。だがそれが子供っぽい、弟っぽいと言われる原因なんだろうと俺は自分を押さえる。
「まあ、そんなミオミオと初めて喧嘩して、色々見えてきたものはあったよ。でも、今日一日、澪の事を考えない日はなかった」
俺と同じだ……そんな事を思いつつ、空の次の言葉を待つと、空は少し間を開け呼吸を整えた後、寂しそうな声色で呟いた。
「ねえ、澪……オレが、澪のこと『そういう』意味で好きって言ったらどうする?」