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今回ご紹介するのは、究極の愛の物語です。
BL検定において「メリバ」「バッドエンド」といった表現をされることの多い、いわゆる「心中」ものです。
舞台は日本史BL学において激動の時代──幕末にあたります。
坂本龍馬や西郷隆盛、勝海舟や近藤勇など、超有名どころの偉人たちが多数活躍したころですね。
現代における我々にとって、たいへん魅力的な時代ともいえるでしょう。
さて、松下村塾という名はみなさん聞いたことがありますよね。
長州(現在の山口県)の吉田松陰(よしだしょういん)という人物がひらいた私塾で、維新の英雄や、のちの明治政府の要人を多数輩出しました。
下級武士の息子であった松陰ですが、広い視野と深い教養を培った人物だといえます。
のちに安政の大獄で処刑されるのですが、幼少期から非常に勉強熱心で、青年期は諸国を旅して見聞を広めたそうです。
厳格な身分制度に縛られていた江戸時代において、武士・百姓かまわずどんな身分でも学習の門戸を開いたのは松陰の先見の明といえるでしょう。
さて、前置きが長くなってしまいましたが、今回の主役はこの松陰ではありません。
松陰を慕って集まってきた生徒たちのひとり、そのなかに未来を嘱望される優秀な人物がいました。
生徒たちのなかでもリーダー格の存在で、松陰も彼を高く評価していたようです。
名を、久坂玄瑞(くさかげんずい)といいます。
将来を見込まれ、松陰の妹と結婚させられました。
松陰の妹は猛女とも噂され、夫婦仲がよかったという話は伝わっていません。
これは玄瑞が各地を飛び回っていたという側面が大きいのでしょうが、BL学を志すみなさんなら「実は玄瑞は……」と、別の予想を立てるかもしれませんね。
この玄瑞が、今回の講義のテーマ──心中事案の主役です。
心中というからには、玄瑞一人ではできません。
相手がいます。
寺島忠三郎という名を聞いたことがあるという方は、この教室でも少ないのではないでしょうか。
松下村塾で学んだ志士のひとりですが、日本史の教科書に画像入りで載っている松陰や玄瑞とくらべ、この人物は有名とはいえません。
家格は無給通組。
いわゆる貧乏武士。
玄瑞より三・四歳年下であったようです。
玄瑞とどのような間柄であったか、現代に生きる我々には「想像する」ことしかできません。
ええ、ええ。みなさんが得意な分野ですね。
まずは史実をお伝えします。
時は江戸時代末期。
徳川幕府は弱体化し、外国勢力が次々と日本と通商を結んでいた時代です。
長州藩は討幕勢力の急先鋒といえました。
ここでモブ子さんたちから声があがりました。
長州藩っていったら、二話・三話で勉強した新選組の敵にあたる勢力じゃないのかと。
ええ、そのとおりです。
以前、この講座で新選組について学びましたね。
新選組は幕府側の勢力です。
討幕派の長州藩とは、おっしゃるように敵同士。
このことからも、日本を二分しての熾烈な戦が起こり、数多の英雄・偉人が活躍した時代とお分かりいただけたかと思います。
すこし話が逸れました。
新選組の活躍もあり、長州藩は一旦、政治の中心地・京から一掃されました。
しかし久坂をはじめ、長州志士たちは武力でもって京の中心・御所を占拠しようという計画をたてていたのです。
時は一八六四年、七月十八日。
数千の兵で京周辺に布陣していた長州軍は、いよいよ幕府軍と戦端を開いたのです。
これを「禁門の変」といいます。
この戦いで京の都は焼かれ、二万八千戸が焼失しました。
三手に分かれて京中心部に進軍した軍の一隊を率いていたのが久坂です。
もちろん、寺島忠三郎も久坂とともに進軍したものと思われます。
御所制圧を目的に軍を進め、彼らは関白鷹司邸に入りました。
幕府方との戦いは苛烈を極めますが、戦況は徐々に幕府方が優勢になっていきました。
やがて久坂らは撤退を余儀なくされます。
敗北を悟った久坂は、鷹司邸で寺島と互いに刺し違えて果てます。
享年二十五歳。
久坂の死について、史実としては以上になります。
ここからはBL学的見地から彼らの心情を読み解きましょう。
実は久坂と寺島の死に方については、自刃とも切腹とも言われています。
彼らは武士なので、切腹という選択肢は十分ありえるはずです。
なのに、なぜ二人は刺し違えて死んだと伝えられているのか。
リーダー格でもあった久坂が作戦の失敗を悟って死を選んだのはともかく、なぜ寺島まで共に死ななければならなかったのか。
また、ほかの藩士たちが二人と共に死んだと伝えられていないのはなぜか。
この三つの疑問に注目すると、おのずとひとつの仮設にいきつくはずです。
久坂と寺島──ふたりの仲は、藩士たちに知られていたということです。
そう、いわゆる公認の間柄というやつです。
久坂がどうしても死を選ばざるをえないのなら、寺島はどこまでも共に行こうと考えたのではないでしょうか。
そしてほかの藩士たちは、彼らを二人きりにさせてやりたかったのかもしれません。
互いのいない世界には存在したくない。
そして来世も共にいようという、BL界において愛の最高峰といっても過言ではない様式──それが「心中」なのです。
燃え盛る屋形のなかで、互いの胸に刀を差した二人の胸中やいかばかりでしょう。
困難な状況を打ち破ることができず、無念な思いを抱いていたことは容易に想像できます。
しかし、想い人と最後の瞬間を共にするという幸福は、何にも替えがたいものだったのではないでしょうか。
今回はとくに重いテーマでしたね。
みなさんといえど消化するのに少し時間がかかるかもしれません。
ですが、BL学とはハッピーエンド路線だけではないのです。
BL学のさまざまな側面に触れて心を豊かにしてください。
遠回りであっても、それが難関である日本史BL検定試験に取り組む糧になるはずです。
半年間に渡ってお届けしてきました日本史BL検定試験対策講座ですが、次回がいよいよ最終となります。
みなさん、ぜひ出席してくださいね。