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第三話・予兆
三日間、何も起こらなかった。
少なくとも、表向きは。
配信は休んで、部屋で静かに過ごした。メアはいつもより少しだけ大人しくて、それでも「大丈夫、大丈夫」と笑っていた。
メルも、そう言った。そう言うしかなかった。
――見えている。
それを、言葉にしなかっただけだ。
朝、洗面所の鏡を見たとき。
自分の背後に、一瞬だけ“何か”が立っていた。
黒い、形の定まらない影。
でも、瞬きをしたら消えた。
疲れてるだけ。
そう思うことにした。
廊下を歩いているときも、壁の角がありえない角度で折れ曲がって見えた。
でも、近づくと元に戻る。
錯覚。
きっとそうだ。
目札の調子が悪いだけ。
妖医も「しばらく様子見ろ」と言っていた。
だから、言わなかった。
言えなかった。
メアにだけは。
――――
その日の午後、二人で外に出た。
ずっと部屋に籠もっているのも良くない、というメアの提案だった。
近くの、少し古い商店街。人通りはまばらで、ところどころシャッターの降りた店がある。
「ね、ほら。何も起きてないでしょ」
メアは、いつも通りの調子で言った。
「世界はちゃんとある。壊れてない」
メルは、うまく笑えなかった。
視界の端で、景色が二重に見えている。
今、二人が歩いている商店街。
その上に、もう一つの風景が、うっすらと重なっている。
――崩れている。
建物は半分ほど潰れ、道路はひび割れ、看板は倒れ、
人の気配が、どこにもない。
でも、瞬きをすると、元に戻る。
歩く人がいて、車の音がして、空は青い。
……ねえ。
どっちが、現実なんだろう。
「メル? どうしたの、さっきから」
「……ううん。なんでもない」
本当は、喉の奥がひりひりするほど、言いたいことがあった。
でも、言ったら――
メアの“見ている世界”を、壊してしまう気がした。
二人で、古いビルの前を通りかかった。
外壁にひびが入っていて、立ち入り禁止のテープが貼られている。
「危ないね、ここ。早く直せばいいのに」
メアは、そう言って見上げた。
その瞬間。
メルの視界の中で、
そのビルは、もう“崩れ落ちた後”の姿になった。
音もなく、形もなく、
ただ結果だけが、そこにあった。
瓦礫の山。
折れた柱。
粉塵に埋もれた入口。
そして――
その光景が、今のビルの姿と、重なっている。
「……これ」
メルの声は、自分でも驚くほど、かすれていた。
「これ、もう……壊れてる」
「……は?」
メアが、メルを見る。
「何言ってるの。まだ立ってるじゃん」
「うん……今は」
メルは、ビルから目を離せなかった。
「でも……もう、そうなってる」
「未来の話?」
「……違う」
うまく説明できない。
でも、確信だけはあった。
「“これから”じゃない……
“もう、そうなってる”」
メアの顔から、笑みが消えた。
「……メル。やめて」
「え……」
「まだ起きてないことを、起きたみたいに言わないで」
その声は、少しだけ強かった。
「そんなこと言い出したら、何もできなくなるでしょ」
メルは、言葉に詰まる。
「……でも」
「大丈夫だよ」
メアは、はっきり言った。
「世界は、まだここにある。
壊れてない。
直せる。戻せる」
「……メア」
「だから、そんな目で見ないで」
メアは、少しだけ、怒っているようにも見えた。
「まるで、もう全部終わってるみたいな顔」
メルの胸が、ぎゅっと締めつけられる。
「……終わってるんじゃなくて」
小さく、言う。
「終わらせないといけないんじゃないかって……思うだけ」
空気が、冷えた。
「……何それ」
メアの声は、低い。
「そんなの、私は嫌」
きっぱりと。
「私は、この世界で生きる。
今の私たちで」
メルは、それ以上、何も言えなかった。
言えなかったけど――
視界の中で、
崩壊した街の風景は、消えなかった。
むしろ、少しだけ、はっきりしてきている気がした。
――ねえ。
この目は、
もう“今”を見てない。
帰り道、妖医の言葉が、頭をよぎる。
「……君の目、もう“現在”を見てないね」
その意味が、
今なら、少しだけ分かる気がした。
メルは、空を見上げた。
空は、綺麗だった。
だからこそ、
**この世界は、もう“終わりの上に重なっている”**のだと、思ってしまった。
–