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「お母さん、買い出し、行ってくるね」
母の返事を背中に、こはるは風呂敷を手に小さな下駄を履いた。
街は静かだった。だが、静かすぎることに、こはるはもう慣れていた。
焼け残った木造の家々が並ぶ商店街。かつて活気のあった魚屋の前には、「本日入荷なし」の紙が貼られている。。
「おばちゃん、今日はお芋、ある?」
こはるが顔を出したのは、野菜を並べた小さな露店だった。痩せたおばあさんが首を振る。
「ないんだよ、空襲が続いたからね……。ごめんね、こはるちゃん」
「ううん、大丈夫。ありがとう」
そう言ってこはるは笑顔を浮かべたが、心の中は沈んでいた。
家から持ってきた配給票を握りしめながら、こはるは歩く。土埃が舞い、遠くで軍歌のラジオが聞こえる。軍服姿の若い兵士が駅へ向かうのを見つけた。きっと、兄もいつかあの制服を着るんだろう——そう思うと胸が少し痛んだ。
道端の広場では、女学生たちが竹槍訓練をしていた。暑さで顔を真っ赤にしながら、真剣に号令に従っている。
こはるは、鞄の中にしまったスケッチブックを取り出して、こっそりその様子を描いた。
「この光景も、いつか終わるのかな」
そう呟いて、再び歩き出す。
帰り道、橋のたもとで見上げた空は、どこまでも青かった。
青く、美しく、どこか冷たい。まるで、何も知らないふりをしているみたいに。