テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
第169話 対錆
【現実世界・湾岸方面/臨時保管棟手前・朝】
空はもう、夜の色ではなかった。
白んだ朝の光が、規制線の赤を薄く押し流している。
それでも、現場の空気は少しも軽くならない。
臨時保管棟のシャッター前で、城ヶ峰たちは一度だけ足を止めていた。
完全停止ではない。
ただ、次にどこを通すかを決めるための短い間だ。
その短い間に、変化は出る。
シャッターの下端。
鍵付きの補助バー。
脇の警備柵の蝶番。
目を離したほんの数秒で、どれも鈍く赤茶けている。
「……来たな」
木崎が低く言った。
彼はカメラを構えたまま、保管棟の出入口と、
その周辺の警官たちを見ている。
誰が敵か、まだ切れない。
だが、錆の広がり方がもう隠す気のないものに変わっていた。
日下部がケースを抱えたまま言う。
「ここ、止まったら食われます」
「シャッターが下りたまま、鍵が閉じたまま、
金属の導線が止まったままになる」
「分かってる」
城ヶ峰が短く返す。
「入るなら開けっ放し、止めるな」
「違う」
木崎が言った。
「そもそもここへ長く入るな。
閉じた建物は向こうの庭だ」
その言葉で、全員の判断が変わる。
保管棟は安全そうに見える。
壁があり、屋根があり、資材もある。
だが今は逆だ。
閉じた金属の箱は、ラストにとって一番食いやすい。
「ルート変更」
城ヶ峰が即断する。
「保管棟は通過点にする。
長居しない」
その瞬間、脇に立っていた誘導用の金属ポールが、何の前触れもなく折れた。
ぱき、ではない。
もっと嫌な、内側から腐っていたものが重さに負けた音だ。
若い警官が驚いて振り向く。
別の警官が駆け寄る。
動きはどれも自然だ。
だから逆に、不自然が埋もれる。
木崎はレンズ越しに、その“駆け寄った警官”のさらに後ろを見た。
一人。
歩幅が一定すぎる。
倒れたポールも、驚く警官も、視線の中に入っていないような歩き方。
まだ顔は切れない。
制帽の影と逆光が邪魔をする。
だが、そこだけ時間の流れが違う。
「……あれだ」
「切れたか」
城ヶ峰が聞く。
「輪郭だけだ」
木崎が答える。
「でも、あいつが動いた線の先から崩れてる」
【現実世界・湾岸方面/保管棟脇・発電設備前・朝】
城ヶ峰たちは保管棟の正面を避け、脇に回った。
44
23
そこには非常用の小型発電機と、
外へ伸ばした臨時ケーブル、照明の分電盤が並んでいる。
金属は多い。
だが、全部いま動いている。
エンジンが回り、ケーブルに電流が流れ、警告灯が点滅している。
日下部がそれを見て、すぐに言った。
「……ここ、まだ食われ方が浅い」
村瀬がしゃがみ込んで確認する。
発電機の外装は傷んでいる。
だが、回転している軸の部分だけは、赤茶けていても完全には崩れていない。
「動いてるところは持ってる」
佐伯が言う。
木崎の目が細くなる。
匠の言葉。
止まった導線。
閉じた金属。
逆に、流れている光と回っているもの。
「城ヶ峰」
木崎が低く言った。
「ここを生かせ」
「全部動かしっぱなしにしろ」
「理由は」
「向こうの手が浅くなる」
木崎が答える。
「完全な安全地帯にはならん。
だが、食う速度が落ちる」
日下部もすぐに頷いた。
「ログの線も同じ考え方です。
循環してるものには乗り切れないなら、こっちから循環を増やす」
城ヶ峰は短く命じる。
「発電機、止めるな!」
「照明は全点灯、点滅維持!」
「ケーブルを回せ、輪を作れ!」
「開閉できる金属扉は固定するな、ゆっくりでも動かし続けろ!」
隊員たちが散る。
非常灯が増える。
脇の通用口の防火扉が、一定間隔で開閉される。
床へ這わせたケーブルが、保管棟脇をぐるりと回るように引き直される。
その時、木崎はまたカメラを上げた。
さっきの警官が、今度は少しだけ近い。
だが、こちらへ一直線ではない。
他の警官に混じり、角度を変えながら、いつの間にか“逃げ道の先”へ回ろうとしている。
「……正面から来ない」
木崎が言う。
「当たり前だ」
城ヶ峰が返す。
「向こうは壊せる場所から壊す」
【現実世界・湾岸方面/保管棟脇・朝】
外へ伸ばした照明線が、一斉に白く点いた。
点いて、消えず、また点滅へ移る。
発電機の回転も上がる。
動いている。
流れている。
閉じていない。
その変化は、すぐに目に見えた。
さっきまで急速に赤茶けていた保管棟脇の手すりの進行が、
ぴたりと止まったわけではない。
だが明らかに鈍った。
広がり方が遅い。
食いつきが浅い。
日下部が息を吐く。
「効いてる」
だが次の瞬間、少し離れた停止中の搬送カートの車輪が、ぼろりと崩れた。
完全に止まっていたものだ。
「止まってる方へ寄った」
佐伯が言う。
「選んでるな」
木崎が答える。
もう、ただ錆びが広がっているだけではない。
“どこを食えばこちらが困るか”を考えている動きだ。
その時だった。
保管棟脇を横切る警官の一人が、ほんの少しだけ顔を上げた。
一瞬だけ見えた。
黒と赤錆色の混じる髪。
深い隈。
瞳の奥を流れる黒い影。
木崎の喉が冷える。
「……いた」
今度は切れた。
ほんの一瞬。
だが、十分だ。
「城ヶ峰!」
木崎が怒鳴る。
「ラストだ! 脇へ回ってる!」
城ヶ峰がすぐに振り向く。
だが、その一瞬の間に、警官の列の中へまた紛れた。
走らない。
叫ばない。
だからこそ見失う。
「見失ったか」
日下部が言う。
「顔は切れた」
木崎が答える。
「だが、今追えば向こうの流れに乗る」
城ヶ峰はすぐに決めた。
「追わない」
「道を作る方が先だ」
それは勝ち負けの判断ではなかった。
奪い返されたら終わる。
だから、中枢ログを持ったこちらが動ける形を保つ方が先だ。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/体育館脇・朝】
学園側では、レアの拘束強化が始まっていた。
体育館の外から、王都側が送った光具と結界杭が運び込まれる。
イデール班が回した光具は、白く柔らかいが芯がある。
ダミエは中央で既存の箱を維持し、その外へ二重目の線を作らせていた。
ハレル、リオ、サキもそこにいた。
ノノはイヤーカフ越しに指示を飛ばし、セラは流れの歪みを見ている。
「外箱はここ」
ダミエが足元へ線を引く。
「今の内箱を揺らさないように、半歩外で重ねる」
セラの声がイヤーカフ越しに入る。
『その光具なら循環が作れます』
『内箱に触れすぎず、外側だけで回してください』
レアは、箱の中でその様子を見ていた。
「……ほんとに大事にされてるね、私」
「勘違いするな」
リオが言う。
「崩れると面倒だからだ」
「知ってる」
レアが笑う。
「でも、これで少しは“運べる形”に近づく」
ハレルが鋭く見た。
「まだ運ぶって言うのか」
「いずれはでしょ」
レアが答える。
「箱をどこに置くかは、結局ずっと同じ場所じゃ済まない」
その言葉に、ダミエは何も返さなかった。
否定できないからだ。
今はここで多層拘束にする。
だが、このまま永久に学園へ置き続けるわけにはいかない。
王都側の判断も、アデルの見立てもそこは同じだった。
サキがイヤーカフへ触れる。
『ノノ、現実側は?』
少しノイズが入り、それから返事が来る。
『顔が切れた』
『ラスト、警官に紛れたまま導線へ回ってる』
『でも、匠さんのヒントどおり“動かし続ける”ので少し鈍らせてる』
サキが息を呑む。
「見えたんだ……」
ハレルの顔がわずかに強張る。
現実側は、もう逃げるだけの段階を過ぎた。
相手の顔まで切れた。
なら次は、本当に“どう振り切るか”の話になる。
◆ ◆ ◆
【異世界・王都イルダ/北西区画・朝】
王都では、北西の線がまだ切れていなかった。
アデルは前線で結界を保ちながら、学園と現実側の情報を同時に受けていた。
ヴェルニの爆風が狼型の影獣を押し返し、王都軍兵の槍列が猪型を止める。
イデールの光具が学園へ回ったぶん、こちらはさらに薄くなっている。
だが、それでも持たせている。
『学園、外箱の構築開始』
ノノの声。
アデルが短く返す。
「それでいい」
『現実側、ラストの顔が切れた』
『ただしまだ振り切ってはいない』
アデルの目がわずかに細くなる。
「なら、向こうもいよいよだな」
崩れた石壁の上では、ジャバがそれを見て笑っていた。
街を散らし、学園を拘束で縛り、現実側には錆を回す。
全部の線が細くなるほど、帰還の光路も危うくなる。
だが、アデルも同じように分かっていた。
細くなったなら、その細さに合わせて守るしかない。
「前列、引くな!」
「今日は線だけで勝つ!」
王都軍兵が応える。
◆ ◆ ◆
【現実世界・湾岸方面/保管棟脇・朝】
木崎は、まだカメラを下ろしていなかった。
ラストの顔は切れた。
だが、それで終わりじゃない。
むしろここからだ。
見えた以上、向こうも隠れ方を変える。
城ヶ峰が低く言う。
「今ここでやることは二つだ」
「読めるだけ読む」
「それと、ラストに“止まった導線”を渡さない」
日下部がケースを抱え直しながら頷く。
「保管棟の中へ閉じこもらない。
循環してる光と線を増やして、移動し続ける」
木崎が小さく言う。
「戦うんじゃない。
食いにくい形へ持っていく」
その表現が、一番しっくりきた。
ラストは強い。
でも無敵じゃない。
食える形を選んでいる。
なら、こちらは食いにくい形へ変わればいい。
保管棟脇の照明がまた白く点滅する。
動いている光。
流れている線。
閉じきらない扉。
その向こうの警官の群れの中で、誰かが少しだけ足を止めた。
ほんの一瞬。
それだけだった。
だが木崎には分かった。
――効いている。
◆ ◆ ◆
ラストはまだ正面から飛びかかってこない。
だが顔は切れた。
動き方の癖も見えた。
食える形と、食いにくい形の差も少し見えた。
学園では、レアの箱が一つから多層へ変わり始めている。
王都では、線だけで勝つ戦いが続いている。
帰還の光路は、まだ細い。
けれど今、守り方の輪郭もまた、少しずつ見え始めていた。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!