テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
外の荒涼とした森を、冷たい夜風が吹き抜けていた。
ヒュウウウ……。
トタン屋根の隙間を風が叩き、古びた拠点全体がかすかに軋む。
どこか遠くでは、夜の獣が一度だけ低く鳴いた。
昼間ならば、長老アマラの命令やら、終わりの見えない雑務やら、意味不明なカルトの仕事やらで騒がしい場所も、今だけは静まり返っている。
粗末なベッド。
薄汚れた灰色の毛布に包まれた、狭い空間。
そこだけが、二人にとって唯一の安息の場所だった。
日中の厳しい労働で疲れ切った身体は、とっくに眠りを求めている。
アズールもすでに横になっていた。
いつもの灰色のウィザードハットは枕元に置かれ、黒い髪が少しだけ乱れている。
目を閉じれば、すぐに眠れそうなほど穏やかな表情だった。
しかし。
その隣で。
ツータイムだけは、なぜか眠れずにいた。
「…………」
暗闇の中。
ぱちりと開いた目が、天井を見つめている。
眠れない。
疲れているはずなのに、妙に頭だけが冴えている。
昼間に自分が口にした数々の言葉が、脳内を勝手に再生されていく。
『この漆黒の大地に終焉の刻が訪れようとしている……』
『僕の右腕に眠る暗黒の力が目覚めれば……』
『このスープは世界の命運を左右する……!』
「…………」
思い出しただけで、ツータイムは眉間を押さえた。
「……なんで僕はあんなことを……」
小さな声が漏れる。
だが、それだけではなかった。
昼間の自分。
そして、今こうしてアズールの隣にいる自分。
その二つが、頭の中で妙に混ざり合っている。
アズールが隣にいる。
その事実を意識するだけで、胸の奥が落ち着かなくなる。
ツータイムはごそりと身じろぎした。
黒い指なし手袋をはめた手で前髪をいじりながら、しばらく迷う。
そして。
「……ねえ、アズール」
「ん?」
すぐ隣から、眠そうな声が返ってきた。
「少し……気になっていたことがあるのだが」
「まだ寝ないの、魔王様?」
「…………」
いきなり魔王様呼び。
ツータイムは無言でアズールを見る。
11,220
#Vanity
ゆ♨️
1,878
#azure
ゆ♨️
134
「そういう茶化すような目をやめろ……」
「はいはい」
「その……なんだ」
一度、言葉に詰まる。
自分でも、なぜこんなことを聞きたくなったのかよく分からない。
けれど。
今なら聞いてもいいような気がした。
「どうして君は、僕の本名を呼ばずに……『Two Time』なんて呼ぶんだい?」
アズールが瞬きをする。
「ちゃんと戸籍に登録されている……はずの、由緒正しき本名があるというのに」
「戸籍あるんだ」
「たぶん!」
「たぶんなんだ」
「そこは重要ではない!」
思わず声が大きくなる。
アズールがくすっと笑った。
「はいはい。で、それが気になってたの?」
「……ああ」
ツータイムは少しだけ視線を逸らした。
カルトの厳しい規律の中では、互いの過去や本名を深く詮索することは、暗黙のうちに避けられている。
だからこそ。
アズールが自分だけをそう呼ぶことには、いつの間にか特別な意味が生まれていた。
『Two Time』
その名前を聞くと、胸の奥が少しだけ温かくなる。
同時に。
なぜか少しだけ恥ずかしい。
まるで、自分だけに与えられた呪文のようだった。
アズールは少しだけ天井を見上げた。
「うーん……」
そして、考えるように笑う。
「なんとなく、かな」
「なんとなく?」
「うん」
アズールは横向きになり、ツータイムのほうを見る。
「初めて会ったときさ」
「…………」
「キミ、僕のこと獣か何かと勘違いして、めちゃくちゃ警戒しながら飛び込んできたでしょ?」
「……あれは」
「すごい勢いだったよね」
「……警戒は必要だった」
「僕、ただのアズールだけど」
「当時の僕には分からなかったんだ!」
「うんうん」
「それに、あのときの僕は……」
ツータイムは胸を張る。
「漆黒の荒野に舞い降りた、孤高の戦士として威厳を保っていたつもりだ」
「あはは」
「なぜ笑う」
「いや」
アズールは口元を押さえながら言った。
「僕には、ただの怯えた迷子の子犬にしか見えなかったから」
「子犬!?」
「しかもめちゃくちゃ警戒心の強い子犬」
「僕は狼だ!」
「はいはい、暗黒狼さん」
「絶対に馬鹿にしているだろう!」
ツータイムが毛布を少し引き上げる。
アズールは楽しそうに笑った。
「でも、それだけじゃないよ」
「……?」
「『Two Time』って響きがかっこいいっていうのもある」
「……ふむ」
そこは少し嬉しい。
ツータイムの表情がほんの少し緩む。
しかし。
アズールは続けた。
「それにさ」
「うん」
「二つの顔を持ってるみたいだから」
「…………」
「昼間は中二病全開で、『世界を救う』とか『暗黒の力』とか言ってるでしょ?」
「中二病ではない」
「でも夜になると」
アズールが少し笑った。
「僕が作ったスープの味を気にしてくれたり」
「……」
「怪しい薬を飲ませようとしたら、『我が暗黒の魔力で耐えてみせる』とか言いながら、結局ちゃんと飲んでくれたり」
「…………」
「僕が疲れてると、何も言わずに荷物持ってくれたり」
「…………」
「なんだかんだ、すごく優しいんだよね。キミ」
ツータイムの顔が固まった。
「…………」
「カッコつけてるけど、実は根っから優しくて」
アズールは穏やかに笑った。
「すごく不器用で」
そして。
「そんな君のギャップが、僕はすごく好きだから」
「…………」
沈黙。
三秒。
五秒。
十秒。
「…………っ」
ツータイムの心臓が。
ドクンッ!!
と、とんでもない音を立てた。
「…………え?」
顔が熱い。
耳が熱い。
首まで熱い。
血液が全身を猛烈な勢いで駆け巡っている。
「…………え?」
もう一度呟く。
アズールは不思議そうに首を傾げた。
「ん?」
「い、いや……」
ツータイムは口をぱくぱくさせる。
「ちょっと待て」
「うん?」
「君……」
「うん」
「今……」
「うん」
「なんて言った?」
「だから、好きって」
「二度と言うなぁぁぁぁぁっ!!」
「なんで!?」
ツータイムの顔は完全に真っ赤だった。
中二病の仮面。
暗黒の魔王としての威厳。
孤高の戦士としての風格。
そんなものは、今この瞬間、跡形もなく吹き飛んでいた。
「な、ななな……!」
「どうしたの?」
「何をサラッと言っているんだ君は!!」
「だって本当のことだし」
「そういうところだ!!」
「どういうところ?」
「無防備に甘い言葉を投げてくるところだ!!」
ツータイムは胸元を押さえた。
「僕の胸の内に宿るダークサイドの業火が……!」
「うん」
「今ので完全に蒸発して溶けた!!」
「業火なのに蒸発するんだ」
「うるさい!!」
限界だった。
ツータイムは突然、毛布をガバッと引き上げた。
ばさっ!!
頭のてっぺんまですっぽりと毛布に包まれる。
そして。
そのまま丸くなる。
「…………」
「…………」
毛布の山が完成した。
アズールが数秒眺める。
「…………ふふ」
ツータイムは毛布の中で震えていた。
「…………」
「ぷっ」
「…………」
「ふ、ふふ……」
「笑うな」
「いや、だって……」
アズールの肩が震え始める。
「自分から聞いたのに……」
「…………」
「好きって言われた瞬間、逃げた……」
「…………」
「魔王様、逃げた……」
「これは逃走ではない!」
毛布の中から、くぐもった声が響く。
「これは……!」
「うん」
「闇の防音結界だ!」
「防音結界?」
「現在、外界からのあらゆる甘言を遮断している!」
「あはははははっ!」
とうとうアズールが吹き出した。
「なにそれ!」
「聞こえん……」
「耳まで真っ赤なのに?」
「聞こえん!」
「僕の声、聞こえてるじゃん」
「聞こえないことになっている!」
「あははははっ!」
アズールはお腹を抱えた。
笑いすぎて、ベッドのシーツを片手でバタバタ叩く。
「もう、ほんとに……!」
「…………」
「そんなに恥ずかしい?」
「…………」
「ねえ、こっち向いてよ」
「断る」
「魔王様?」
「断る!」
「ツータイム」
「…………っ」
名前を呼ばれただけで、毛布の中の身体がぴくっと動いた。
アズールはそれを見逃さなかった。
「……やっぱり」
「な、何だ」
「その名前、好きなんじゃない?」
「…………」
沈黙。
「……嫌いでは、ない」
「ふふ」
「……君が呼ぶなら」
小さな声だった。
あまりにも小さくて、風の音に紛れてしまいそうなほど。
けれど。
アズールには、ちゃんと聞こえた。
「そっか」
その声は、さっきまで笑っていたものよりずっと優しかった。
「じゃあ、これからもそう呼ぶね」
「…………うん」
「ツータイム」
「…………」
「大好きだよ」
「うわあああああああっ!!」
「また毛布に潜った!」
「禁句だ!!」
「なんで!?」
「闇の魔王に対する精神攻撃だろうが!!」
「じゃあ、もっと言おうかな」
「やめろぉぉぉ!!」
アズールが笑いながら毛布を掴む。
「じゃあ無理やり剥がしちゃおうかな」
「やめろ!」
「出ておいで」
「断る!」
「ほら」
「絶対に出ない!」
「じゃあ、せーの」
ぐいっ。
「うわっ!」
毛布が引っ張られる。
「返せ!」
「こっち向いて」
「嫌だ!」
「ツータイム」
「…………」
「僕のこと好き?」
「…………」
「ねえ?」
「…………好きだ」
「え?」
「聞こえなかったことにしろ!!」
「あははははは!」
夜のカルト拠点に、二人の笑い声が響いた。
外では、荒涼とした森が風に揺れている。
トタン屋根は相変わらず不安定に軋み、古びた壁は冷気を防ぎきれず、ベッドも少し動くたびにぎしぎしと鳴った。
決して快適とは言えない。
むしろ、まともな生活環境とは程遠い。
それでも。
その狭い毛布の中だけは。
ツータイムにとって、世界のどこよりも暖かかった。
やがて笑い疲れたアズールが、毛布の端から手を差し入れる。
「ほら」
「……?」
「おやすみ」
ツータイムは少し迷ってから、その手を握った。
黒い指なし手袋越しの手が、アズールの手をそっと握り返す。
「……おやすみ、アズール」
「うん。おやすみ、ツータイム」
今度は。
ツータイムは毛布から逃げなかった。
ただ静かに目を閉じる。
外では冷たい風が吹き続けている。
明日になれば、また厳しい労働が待っている。
アマラから新しい面倒事を押しつけられるかもしれない。
世界の命運を左右する、どうでもいい雑務に巻き込まれるかもしれない。
そしていつか。
この二人を取り巻く過酷な運命の歯車が、彼らをどこへ連れていくのか。
この時の二人は、まだ知らなかった。
ただ。
今夜だけは。
この薄汚れた灰色の毛布の中にある小さな温もりが、二人にとって世界のすべてだった。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!