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闇の帝国要塞と、魔王の頭上に舞い降りた自然の迷彩
カルトの拠点から少し離れた、鬱蒼とした森の奥。
人の気配などほとんど届かないその場所には、昼間でさえ薄暗い木々が立ち並び、地面には湿った落ち葉が幾重にも積もっていた。
鳥の声すらまばら。
風が木々の隙間を抜けるたび、葉がざわざわと揺れる。
そんな森の一角に。
それは、ひっそりと存在していた。
「…………」
巨大な段ボール箱。
それも一つではない。
二つ。
三つ。
いや、よく見ると五つくらいある。
それらをガムテープと麻紐で無理やり繋ぎ合わせ、ところどころ木の枝で補強した、見るからに不安定な謎の建造物。
壁には謎の穴。
屋根は少し歪んでいる。
入口には、木炭で力強く書かれた看板が掲げられていた。
『闇の帝国要塞』
その下には、さらに小さな文字で。
『ダーク・アイアン・フォート』
と書かれている。
ただし。
段ボール製である。
どう見ても。
段ボール製である。
にもかかわらず。
その内部では、世界の命運を左右するほどの重大な会議が開かれていた。
「…………ふふ」
薄暗い段ボールの中。
古びた毛布の上に胡坐をかいたツータイムは、腕を組みながら不敵に笑っていた。
灰色のローブを身体にしっかりと巻き付け、黒い指なし手袋を装着。
黒いウルフカットの髪。
鋭い眼差し。
その姿だけを見れば。
まさに、闇の帝国を統べる孤高の魔王。
少なくとも本人はそう思っていた。
向かい側にはアズール。
灰色のウィザードハットを少し斜めに被り、使い古しのメモ用紙を羊皮紙のように広げている。
その顔には、どう見ても「面白そうだから付き合っているだけ」という表情が浮かんでいた。
「へえ」
アズールが紙を覗き込みながら言う。
「状況証拠は全部揃ったわけだ」
「そういうことだ」
ツータイムは低い声で答えた。
「つまり、我々はついに敵の本拠地を特定した」
「敵の本拠地ねえ」
「うむ」
ツータイムは、段ボールの壁に貼り付けられた謎の地図を指差した。
そこには。
丸。
矢印。
×印。
そして大きく、
『食堂』
と書かれている。
「…………」
アズールは数秒、地図を見る。
「これ」
「なんだ?」
「ただの食堂じゃない?」
「違う」
即答だった。
「敵対勢力の重要補給拠点だ」
「同じカルトの食堂だけど」
「敵対勢力だ」
「自分たちの拠点だよ?」
「だからこそ警戒が必要なのだ」
ツータイムは拳を握った。
「敵は我々の内部に潜んでいる」
「全員仲間だけど」
「油断するな、アズール」
「はいはい」
アズールは笑いながら紙に目を落とした。
「じゃあ、我が闇の軍勢の次なる一手は?」
その言葉を待っていたかのように。
ツータイムの表情が変わった。
「……うむ」
声が低くなる。
「我が軍勢の継続的維持には、何よりも補給物資の確保が不可欠だ」
「うん」
「特に明日の食料」
「うん」
「ジャガイモ」
「…………うん」
「そしてタマネギ」
「…………」
ツータイムは、ゆっくりと目を細めた。
「それらの確保が、現在極めて困難な状況にある」
「そうなの?」
「そうだ」
「なんで?」
「敵の巡回部隊が、物置を厳重に監視しているからだ」
「いや、あれ当番の人がたまに見に行くだけだよ」
「黙れ」
「はい」
「明日の食料を確保するためには、敵の包囲網を突破しなければならない」
「ただジャガイモ取りに行くだけなのに」
「違う!」
ツータイムがバンッと地図を叩いた。
「これは我が闇の帝国の存亡を賭けた極秘作戦だ!」
「ジャガイモ二個くらい?」
「国家の存亡だ!」
「規模ちっちゃ」
「うるさい!」
ツータイムは勢いよく立ち上がった。
狭い段ボールの中で頭をぶつけそうになりながら、それでも堂々と胸を張る。
「敵の目を欺き、物資庫へ潜入!」
「うん」
「ジャガイモとタマネギを確保!」
「うん」
「そして誰にも気づかれることなく帰還する!」
「……つまり?」
「高度な潜行作戦だ」
「夕飯の買い出しじゃん」
「言い方が現実的すぎる!!」
アズールは肩を震わせた。
「じゃあ、その手強い包囲網を突破するために、僕にはどんな役割があるのかな?」
「決まっている」
ツータイムは腕を組んだ。
「君には我が右腕として、敵の視線を逸らしてもらう」
「へえ」
「植物学者としての君の知識を最大限に活用する」
「僕、植物学者なんだけど」
「だからこそだ」
ツータイムは真顔だった。
「『幻惑のハーブ煙』を焚いてもらう」
「…………」
「敵が煙に惑わされている隙に」
腰のゴーストファイア・ダガーへ手を添える。
「僕が神速で潜入する」
「うん」
「そして!」
抜刀するような仕草。
「根菜類を一網打尽にする!」
「…………」
「どうだ」
ツータイムは満足げに笑った。
「完璧な作戦ではないか」
アズールは黙っている。
「…………」
ツータイムは少し不安になる。
「……アズール?」
「…………」
肩が震えている。
「どうした?」
「…………いや」
「?」
「キミ」
アズールが口元を押さえる。
「その前に……」
「?」
「頭……」
「頭?」
「自分の頭、ちょっと見てごらん」
ツータイムは眉をひそめた。
「僕の頭上に何かあるのか?」
「うん」
「もしや……」
ツータイムは目を細めた。
「魔王たる僕の頭上に、神聖なる闇のオーラが――」
「ぷっ」
「…………?」
アズールの肩が震えた。
「……ふっ」
「アズール?」
「……っ」
「どうした?」
「…………」
そして。
限界が来た。
「あはははははははっ!!」
「!?」
アズールが突然、お腹を抱えて崩れ落ちた。
「ちょ、ちょっと待って……!」
「な、なんだ!?」
「あははははっ!」
「僕の作戦のどこに笑う要素がある!」
「違う!」
「ならば何だ!」
「作戦じゃない!」
アズールは涙を浮かべながらツータイムを指差す。
「キミの頭!」
「頭?」
「頭だってば!」
「…………?」
ツータイムは困惑しながら手を頭へ伸ばした。
そして。
指先に何かが触れた。
「…………」
ゆっくり。
恐る恐る。
それを掴む。
「…………?」
引き抜く。
手の中にあったのは。
一枚の。
大きな。
枯れ葉。
「…………」
沈黙。
「…………」
アズールはすでに床を転げ回っていた。
「あはははははっ!!」
「…………」
「無理! 無理だって!」
「…………」
「なんでそんなタイミングで乗ってるの!」
「…………」
ツータイムは固まった。
さっきまで。
自分は。
世界の裏側を支配する魔王だった。
闇の軍勢を率いる最高司令官だった。
敵の包囲網を突破する、歴戦の戦士だった。
その頭上に。
枯れ葉。
たった一枚。
それだけで。
全てが終わった。
「…………」
ツータイムの耳が、じわじわ赤くなる。
「…………これは」
「うん」
「その……」
「うん」
「違う」
「何が?」
「これは、その……」
言い訳を探す。
必死に探す。
そして。
「我が闇のエネルギーが……」
「うん」
「樹木の精霊と一時的に共鳴し……」
「うん」
「自然界の迷彩を纏っただけだ!」
アズールの笑い声がさらに大きくなる。
「あはははははは!!」
「笑うな!!」
「精霊の迷彩って!」
「笑うなと言っている!」
「ただの枯れ葉じゃん!」
「違う!」
「頭に乗ってただけじゃん!」
「違うと言っている!!」
「魔王様かわいすぎ!」
「それは言うな!!」
ツータイムは両手で顔を覆った。
耳まで真っ赤だ。
「…………くっ」
「ふふ……」
「…………」
「ごめんごめん」
アズールは笑いすぎて涙を拭きながら、なんとか起き上がる。
「いや……本当にごめん」
「…………」
「でも」
アズールはツータイムの頭を見て、また少し笑う。
「似合ってたよ」
「…………」
「自然の中に溶け込んでた」
「…………」
「すごく可愛かった」
「…………」
ツータイムは無言で枯れ葉を握り潰した。
「……もう知らん」
「ふふ」
「今日の作戦会議は終了だ」
「え、ジャガイモは?」
「明日考える」
「国家の存亡は?」
「知らん」
「魔王様?」
「知らん!」
完全に拗ねていた。
アズールはそんなツータイムを見て、また笑う。
けれど今度は、からかうだけではなかった。
そっと身体を寄せる。
肩が触れる。
「……はいはい」
「…………」
「お疲れ様、魔王様」
「……笑いすぎだ」
「だって面白かったんだもん」
「……まったく」
ツータイムはぶっきらぼうに呟きながら、アズールの肩を軽く押した。
だが。
本気で離そうとはしない。
むしろ。
ほんの少しだけ、その肩に身体を預ける。
「……でも」
アズールが小さく言う。
「何だ」
「僕、こういうの好きだよ」
「…………」
「キミが魔王様ぶってるところも」
「…………」
「くだらない作戦会議してるところも」
「…………」
「たまに頭に葉っぱ乗せてるところも」
「最後のは忘れろ」
「あはは」
「忘れろと言っている!」
「はいはい」
アズールは笑いながら、ツータイムの頭をぽん、と軽く撫でた。
「じゃあ、今日はここまで」
「…………」
ツータイムは少しだけ目を伏せる。
「……うん」
森の中。
段ボールで作られた粗末な秘密基地。
壁には『闇の帝国要塞』の文字。
地図には食堂。
作戦内容はジャガイモの確保。
そして魔王の頭には、ついさっきまで枯れ葉が乗っていた。
世界征服には、あまりにも程遠い。
それでも。
その小さな段ボールの中には。
外の過酷な世界では決して得られない、二人だけの時間があった。
冷たい風が森を抜けていく。
木々が揺れる。
段ボールの壁が、がさがさと音を立てる。
その中で。
「……なあ、アズール」
「ん?」
「明日の作戦だが」
「うん」
「やはり僕が先行する」
「はいはい」
「君は後方支援だ」
「了解」
「そしてジャガイモを確保したら、速やかに撤退する」
「うん」
「…………」
「どうしたの?」
「…………今度は葉っぱを乗せないようにする」
アズールは一瞬黙った。
そして。
「あははははははっ!」
「だから笑うなぁぁぁぁっ!!」
闇の帝国要塞に、二人の笑い声が響き渡った。
その日。
世界は救われなかった。
だが。
二人の夕飯のジャガイモについては、翌日、無事に確保された。
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