羽理の勤める『土恵商事』は、土日が休みのいわゆる週休二日制。
大変有難いシステムだが、羽理は恋人もいなくて外出予定のない人間は、二日ある休みのうち大抵一日を無駄に過ごすに違いないと勝手に決めつけている。
現に羽理自身、今朝方まで録り溜めていた恋愛ドラマを一気観してしまった結果、昼過ぎまで惰眠を貪る羽目になってしまったのだから。
せっかくの休日に半日も寝てしまうとか、勿体なさすぎる。
(半日あったら何文字書けたの!)
そんなことを思いながら、冷蔵庫から取り出したばかりのパック入りの甘いいちごオレをちぅちぅと飲みつつ、他人様には決して見せられない、あられもない部屋着姿のままパソコンに向かっている羽理なのだ。
少し癖っ毛なミルクティーベージュの髪の毛は、黒いゴムで耳の横、テキトーに横結びにしてある。
今現在貴重な休日を半日ばかり寝倒して無駄にしたことを悔やみながら一心不乱にキーボードを叩いている羽理なのだけれど、別に仕事をしているわけではない。
実は羽理、〝夏乃トマト〟というペンネームで、『皆星』という小説投稿サイトに、ちょっぴりエッチな、大人の女性向け恋愛小説を投稿するのが趣味な隠れ創作女子で。
今、『皆星』で職場の直属の上司――財務経理課長の倍相岳斗をモデルにした、普段はのほほん。ベッドでは絶倫ドSなギャップ萌えヒーローが、新人OLとめくるめくオフィスラブを繰り広げる『あ〜ん、課長っ♥ こんなところでそんなっ♥』という連載ものを執筆中。
出だしからエッチ全開な展開にしたのがよかったのか、固定の読者様もそれなりについて、毎日楽しく書かせてもらっている。
(倍相課長って普段はおっとりしてて優しいけど、絶対ベッドではドSだったりするのよ)
チューッと、勢いよく甘ったるい液体を吸い上げながら、勝手にそんなことを考える。
パッケージに盛大に汗をかき始めたいちごオレは、さっきまではキンキンに冷えていたのにほんの少し温んで感じられた。それが何だかとっても残念に思えてしまう。
倍相岳斗は下手をすると後頭部に寝癖がピヨンと跳ねたまま出社してしまうような、のほほんとしたおっとりさん。
でも仕事は早いし、その上きっちり丁寧で、誰に対しても平等に優しい理想の上司だ。
羽理より五つしか上じゃないのに、財務経理課長なんてやっているのも凄いと思う。
それに――。
(倍相課長の手、指がスッと長くて大きくて、骨ばってる所がめちゃくちゃイイんだよね)
(あんな手であちこち触れられたら、きっと自分では到達できない境地へ至れるに違いないわっ!)
はぁ〜、うっとり♥
エッチなんてしたことがないくせに、日頃の読書の賜物。妄想力だけは人一倍の羽理である。
そんな羽理。実は人様より手足が小さめなのだ。
同年代の女性と手比べなんかをすると、第一関節分は負けてしまう感じ。
それで、だろうか。
手の大きな男性に惹かれてしまう傾向がある、いわゆる手フェチというやつで。
顔が少々好みでなかったとしても、手が好みのドストライクだったりしたらついついエッチな妄想をしてしまう。
(いや、倍相課長は見た目も性格もめちゃめちゃ好みなんですけどねっ)
羽理は新卒で今の会社――土恵商事に入社して、財務部経理課に配属されて以来、密かに上司である倍相岳斗に絶賛片思い中だったりするのだ。
とは言え、あくまでも〝観賞用〟として。
(推しは遠目に見るに限る! お手つき厳禁!)
下手に関わりが深くなって、せっかく自分の妄想の中で長年かけて育て上げてきた完璧な人物像が崩れてしまっては一大事。
(お付き合いするなら職場の人は避けたい!)
大学三年生の頃、同じ学部の同級生と付き合った結果、破局してから卒業するまでの約一年間が本当に辛かったのを覚えている羽理なのだ。
浮気されて傷つけられたのは自分だったはずなのに、いつの間にか羽理が彼氏を蔑ろにしたのが悪いと、情報をねじ曲げられていたから。
(あんな思いはもう沢山!)
逃げ場のない人間関係の中で、恋愛はしたくない。
憧れと恋慕は別物だもの。
羽理は漠然とだけどそんなことを思っている。
そう。羽理はその辺をしっかり考慮して、一線を引いて生活が出来る偉い社会人なのだ。
無論、上司をおかずにエッチな恋愛小説を書いている時点で問題ありだと言うことを、しっかりきっちり丁寧に、美しい包装紙で包んで棚上げした場合、の話ではあるけれども。
***
「ん〜! 疲れた!」
今日は半日で一万字ちょっと書けた。
羽理の投稿しているサイトは一頁が大体八〇〇字前後なので、向こう十日間ちょっとストックが出来たことになる。
基本自転車操業常習者の羽理にとって、一週間以上もゆとりが出来たのはとても大きい。
もちろん、書きっぱなしというわけには行かないから少し時間を置いて読み直して推敲作業をしなくてはいけないけれど、それにしたって下地があれば全然違う。
「今日の私、凄い頑張った♥」
めちゃめちゃ気分が良いではないか。
ずっとほぼ同じ姿勢でパソコンに向かっていた身体がギシギシと軋んで、グーンと身体を伸ばしたのとほぼ同時。
グゥーッとお腹の虫が鳴いて、羽理は昼過ぎに起きて来てからこっち、二〇〇ml入りのいちごオレしか口にしていなかったことに気が付いた。
「さすがにお腹空いた……。コンビニに何か買いに行こうかな」
一生懸命頭を使ったので、正直自炊する気力は元より皆無。
こういう時二十四時間いつでもウェルカムなコンビニの存在は本当に有難いなと思って。
(今の時間帯ならスーパーもまだ開いてるよね)
時計を見ると十九時を回ったところ。
コンビニと違ってスーパーだとお弁当やお惣菜は残り物がタイムセールになっている時間帯だ。
でも、それだけに選べる種類に限りが出てしまう。
(やっぱコンビニにしよ♥)
一番近くのコンビニ『セレストア』まで徒歩五分。
ちょっとそこまで、の距離ではあるけれど、お出かけするとなるとそれなりの格好にしなくてはいけないだろう。
そんなことを思ってふと見れば、いつもパジャマにしているLサイズTシャツのまま、着替えてすらいなかった。
(わ〜、私。いくら彼氏が居ないからって干物すぎるっ)
とても絵空事の中で胸キュンドキドキな、(エッチな)恋愛ものを書いている人間の所業とは思えない。
このTシャツ。
猫好きの羽理の気持ちを如実に物語るみたいに、胸元からおへそ辺りにかけてド真ん中。
一本筋が通るみたいに「猫の下僕」と豪快な筆文字で縦書きにドーンと書かれているのだけれど。
(女子力どこに置いてきたっ)
自戒を込めて、そう突っ込まずにはいられない。
羽理は、毎日何かしら猫にちなんだデザインのダボダボなTシャツをパジャマにしている。
暑くなってからはTシャツの丈が長いのをいいことに、お風呂上がりから朝起きて外行き用の服に着替えるまでずっと。下はショーツオンリーで、もちろん上はノーブラ上等な有様。
さすがにこのままでは出られそうにない。
とりあえず――。
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