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魔導書はあと三つだ。この国に元からあった二つの魔導書を除けば、残りは巨大化微小化の魔導書だ。
ユカリは埃っぽい研究施設の最上階の一角で、ネドマリアの工房らしき大きな部屋を調べていた。部屋の半分には何もなく、剥き出しになった石の床と壁と天井にはさまざまな文字が記されている。石のひび割れのような文字や、這う虫のような象形文字、そしてありとあらゆる目盛りが書き込まれている。部屋の残り半分は簡素だが丈夫そうな机と椅子、そして書物に溢れている。
乱雑になっている書物を見て、ユカリは義母の隠し部屋を思い出した。部屋が散らかるのは魔法使いの癖なのだろうか。調べる内に、大まかに研究分野によって書物の丘が築かれていることがユカリにも分かった。
一つ目は迷いの呪いに関する研究。ユカリがショーダリーを助け、二つの魔導書をヒヌアラとネドマリアから奪うことに成功したのはこの発見のお陰だ。最も多くの文字がこの丘に集まっている。
二つ目はこの国の魔導書に関してだ。存在が確認されているのは祈りの乙女の口の中に安置されていたという伝説が残っている魔導書だ。光を迸らせる魔法を行えるらしい。
そしてもう一つの魔導書だが、ヘイヴィルお抱えの魔法使いたち曰く、双子の女神の片割れが同等の魔導書を持っていないわけがない、とのことだ。当然そうだろう、とユカリも納得する。
しかし遥か昔から名高い魔法使いたちが調査に調査を重ねて魔導書は見つかっていないらしい。存在したが盗まれた、というのがヘイヴィルの魔法使いたちの昔からの見解だったが、ヘイヴィル王国だった頃に政治的な理由で魔導書が有るとも無いとも公表しないことに決め、今に至るそうだ。
三つめはユーアとユーアの中の彼らに関することだった。ネドマリアも独自に調べようとしていたらしい。
その中にユーアを除く四人の人格に話を聞いて、来歴を記したものがあった。魔法少女の小さな手で羊皮紙を捲り、その記述を追う。
やはりユーアは幼い頃に人攫いにあったようだ。その人攫いにショーダリーは関わっていないらしい。注釈によるとショーダリーも覚えがなく、記録にも残っていないそうだ。ユーアたち全員に長い旅をしていた記憶があるらしい。ここは後述にある一人一人順番に生まれたという記述と矛盾している。
初めに生まれたのが、かの巨人像ケトラで特に愛情深くユーアと接していた。親のような役割を担っているのではないかとネドマリアは推測している。心の中に存在していた頃からケトラは自身を巨人だと認識していたという。
次に生まれたのがクチバシちゃんでユーアの孤独を慰めてくれたそうだ。クチバシちゃんもまた自己認識が少女の人形だったそうだ。
次に生まれたのがヒヌアラで、ヒヌアラが主導して人攫いから逃げたそうだ。自己認識は不定形だという。今のような性格や喋り方もネドマリアとの付き合いの中で発生したとのことだ。
最後に生まれたのがパピで、パピのお陰で荒野の蛮族に馴染めたとのことだ。ユーアの消極性を補ってくれたらしい。唯一自身を男と認識している。
ユーアが言葉を失ったのは屍使いの盗賊王バダロットによって村を滅ぼされてからだという。荒野で人々に聞いた話とは少し違うようにユカリには思えた。しかしそもそもあの集落の全ての人々が操られていたのだから考えるだけ無駄かもしれない。
クチバシちゃんがバダロットを操っていたのではないか、というユカリの推測を裏付ける記述は無かった。しかしクチバシちゃんだけ人形劇から名前を取っていることについて、誰も理由を説明できなかったと、ネドマリアは記述している。
ふと違和感に気づき、顔を上げる。臭いだ。焦げ臭い。本を放り出して窓辺へ飛びつく。窓の内に広がる真白き聖市街を赤い炎が舐め尽くそうと燃えている。硝子の窓を押し開けた。
「もう! 何してたの? ずっと呼んでたのに」とグリュエーがユカリを非難する。
「気づかなかった。そうか、室内だったね」
石造りの街が猛るような悲鳴をあげて燃えている。石であるにもかかわらず、焦げてぼろぼろと崩れている。炎は奇妙な動きを見せている。蜥蜴のように手足を伸ばし、聖市街の家屋の石の壁を這っていた。
それは恵み多き山に火事を起こすような罪深い炎をある魔法使いが調教したものだ。暖炉の炎と違って塒を持たない彼らは己の舌と爪で灰の寝床を作るのだった。
その時、二頭の馬が研究施設の前を走って行った。遠目にも何頭か馬が走っているのが見える。乗り手は間違いなく焚書官だった。黒い僧衣に鉄仮面を身につける者たちなどユカリは他に知らない。
「グリュエー、受け止めて」そう言って魔法少女ユカリは窓辺に足をかけて踏み切り、勢いよく宙へ飛び出した。
ユカリをゆっくりと地面へと降下させ、あと少しで着地というところで「あ、まずいかも、ユカリ」とグリュエーが言った。
次の瞬間、ユカリの景色が反転する。少し高いところから落とされ、何とか体を捻るが、勢い余って転倒する。熱風が吹き付けられ、慌てて目を手で覆う。
迷いの呪いを忘れていた。施設の庭にも張り巡らせていたらしい。それも人間に力の及ぶものではなく、空間に作用する魔術だったことが災いした。
街のどこに移動したのかと辺りを見回すと、驚いた様子の十数人の焚書官たちがこちらを見ていた。焚書官たちはそれぞれに黒焦げたような革の袋を持っていて、そこから蜥蜴のような炎を放っていた。
その中の一人が「魔法少女だ!」と叫ぶと、その革袋の口を一斉にユカリに向ける。
ユカリはたまらず【叫ぶ】。
「熱い!」
石畳がユカリの叫びに応じるように動き出し、守護者が生まれ出でた。そしてその石の体でユカリに覆いかぶさり、襲い来る魔法の炎から守る盾になる。
「主よ! 吾輩が石の体とて油断召されるな! 焼かれておりまする! 力を! 力を絶やすことなきよう!」
「わああ! ちょっと待って! どうしよう! 誰か!」
ユカリは思い切り【口笛を吹く】。
ユカリの意識がショーダリーの頭上にも視点を得る。他にパディアとビゼ。すぐ近くだ。三人は、まさに焚書官に囲まれて火責めにあっているユカリを見つけて、駆けつけているところだった。
ショーダリーの視点には、何者かが竈のようになっている守護者の横に平気で立っているのが見える。火を浴びながらもなお平然として、その場に屈みこむ。それは山羊の仮面のチェスタだった。
チェスタが守護者の隙間から手を伸ばす。慌ててユカリは身をよじるがまるで動けない。チェスタの伸ばした手が魔導書を抑える留め具に届き、一枚の羊皮紙をその手が摘まみ、引き抜かれる。慌ててユカリは羊皮紙の反対側を掴む。羊皮紙は二人に引っ張られてなお破れず、火の粉を浴びてなお焦げず。全力で引っ張ろうにもユカリのこの体勢では力が入らず、ついにはチェスタの手に渡ってしまった。
ショーダリーの視点では誰かが勇気を奪う魔法を使ったらしく、焚書官たちがうずくまっている。しかし何故かチェスタだけは平然と立って、奪い返した白紙の魔導書を見つめて何やら苦笑している。
パディアが接近し、その巨躯を振りかぶり、棍棒の如き杖をチェスタに見舞う。しかしチェスタは抜き放った剣で余裕を持って受け止める。剣と杖がぶつかり合う鋭い音は守護者の下でうずくまるユカリの耳にも届いた。
炎から解放されたユカリは何とか立ち上がり、魔法少女の煌びやかな杖で仇敵チェスタを指し示し、守護者をけしかける。
「魔導書を奪われた! 取り戻して!」
「仰せの通りに!」と守護者は叫びながら崩壊した。
え? と言おうとしたユカリの言葉は喉の辺りに引っかかって口から出てこなかった。
恐怖に屈していたはずの焚書官たちが一人また一人と立ち上がる。焚書官たちも声が出せずに混乱している。ビゼもショーダリーも同様だが、パディアだけは手を止めることなく杖による連撃をチェスタに浴びせかけていた。
焚書官の内の何人かも抜刀するが、チェスタが手振りでいさめ、手振りで退却を指示する。焚書官たちが蜥蜴の火の入った革袋をパディアに向けて投げつける。革袋から飛び出した蜥蜴の火が辺りを焼き尽くそうと這い回るがパディアに叩き潰される。その隙にチェスタ率いる焚書官たちは振り返ることなく逃げ去った。
焚書官たちが立ち去ったのを確認し、ユカリは元の姿に戻る。しばらくすると枯れた泉が蘇るように全員の声が戻ってきた。
「今、声が出ませんでした。焚書官の魔法でしょうか?」
ユカリはパディア、ビゼ、ショーダリーに目を向けるが、誰も答えを持ち合わせてはいないようだ。
「それよりユカリ。大丈夫なの?」とパディアが駆け寄ってくる。「あれが話に聞いてた焚書官チェスタよね? 山羊の仮面だった」
「そうだった。すみません。チェスタに魔導書を奪われてしまいました」
「奪われた!? いくつ奪われたんだい!?」とビゼが焦っている。
ユカリは合切袋の中を確認する。
「奪われたのは白紙の魔導書ですね」
元々チェスタが所持していたものが、結局チェスタのもとに戻ってしまったというわけだ。
「だとすると」ビゼは焚書官の走り去った方を見る。「さっきの沈黙の魔法はその白紙の魔導書じゃないか?」
「そうかもしれません。何か読む方法があるのでしょうか」
チェスタが白紙の魔導書を見て苦笑していた顔をユカリは思い浮かべる。
「とにかく次の行動に移るべきだろう」ショーダリーが燃える家々を眺めながら言った。「まだ逃げ遅れている子供がいるかもしれない。私は最後まで探す」
そう言ってショーダリーは走り去った。ユカリはパディアとビゼに現状を説明する。
「ユーアの居場所はまだ分かりませんし、残る魔導書は四つに増えてしまいました。焚書官チェスタに奪われた白紙の魔導書。居場所は分かりませんが巨人ケトラが持っていると思われる巨大化微小化の魔導書。誰が所持しているか分かりませんが、祈りの乙女に安置されていたという光の魔導書。そして実在の疑われているもう一つの魔導書」
「だとすれば誰が所持しているか分かる白紙の魔導書を追うべきだね」とビゼは呟く。「焚書官たちを懲らしめるついでにね」
「ビゼ様」と一言言ってパディアはビゼの方に手のひらを差し出す。
ビゼは惜しそうな顔を隠さず、迷わずの魔導書と勇気を与奪する魔導書をパディアに渡す。そしてユカリに。しかしユカリはそれを断る。
「焚書官はお二人にお願いします。その魔導書で対抗してください」ユカリの言葉にパディアもビゼも異論を挟まず、続きを待つ。「私は実在の疑われているヘイヴィルの魔導書の方に当たります。心当たりがあるんです」
パディアもビゼも驚いた様子だったが、異論を挟むことなくユカリを信じた。
「分かった。後で詳しく教えてくれよ。じゃあそっちは任せる」とビゼ。
「あなたが言うなら間違いないわね、ユカリ。そうだ。念のために私たちに人形遣いの魔法を使っておいて。気乗りしないのは分かるけれど、情報交換が容易くなるわ」
ユカリは【口笛を吹いて】、パディアの言う通りにした。
二人が走り去るのを見送って、ユカリは夜の迫りくる東の空に目を向ける。聖市街を囲む壁の向こうから全天を覆おうと夜の闇が立ち上っている。魔法の炎が蜥蜴のように徘徊する屋根の向こうに、天を仰ぎ咆哮する女神が見える。揺らめく炎と夕暮れに照らされて、紅の女神が顕現している。
「あそこにあるの?」とグリュエーが囁く。
「うん。光の魔導書が祈りの乙女に安置されていたのなら、もう一つの魔導書があるとすれば呪いの乙女。調査に調査を重ねたって記録は読んだけど、まだ探していない場所があったんだ。とにかく行ってみよう」